第3話 てほどき

 あれからまた数匹ほどつり上げたキミタカは、魚の入った桶をがっぽがっぽといわせながら、《人形》に近づいていく。

 そこで、彼女が倒れたまま、身動きひとつしていないことに気がついた。

 早足で近づくと、アカネは一週間前に見た時とは想像もつかないほど痩せこけている。

 頬はべっこりとへこんでいて、骨と皮と筋だけ、といった感じだ。一週間前はアザラシのようだった彼女は、今は枯れ木のようになっていた。


「うえ……うえええ……たべもの……」


 この一週間、ろくに食事を摂っていなかったのかもしれない。


(いや、だとしても、あそこまで太ってた奴が、こうも極端に痩せたりするものだろうか?)


「おい、しっかりしろ、……して下さい」


 アカネの肩を軽く揺する。身動き一つない。微かに息をしているから死んではいないだろうが、死体だと言われたら信じてしまいそうな有様だ。

 キミタカは湖のそばまでよって、黒曜石で作られたナイフをフナの腹に当て、さっと内臓を取り出す。

 それを適当な枝を突き刺し、近くのたき火にかざすと、数分もせずに香ばしい匂いが当りを包んだ。


「ごめん。先にいっとく」


 アカネが、死んだように倒れたまま、口を開く。


「おかわり」


 そう言うやいなや、彼女はむくりと起き上がり、まだ微妙に生焼けなはずの魚を、ひったくるようにして食べ始めた。

 ぽかんとしていたのもつかの間。

 キミタカは、彼女のご所望に答えることにする。

 頭の隅っこで、島田一士の「罰ゲーム」という言葉が蘇ったが、彼女を見捨てるわけにもいかない。


(これ、結構楽しいな。保護隊を辞めたら、小料理屋でも始めてみようか)


 そんな風に考えながら手際よくフナをさばいていると、ふいに、目の前で起こっている奇怪な出来事に気がついた。


「――……ッ!」


 思わず、目を丸くする。

 幻でも見ているかのようだ。

 魚を食む《人形》の身体に、見る見る肉が付いているのである。

 しぼんでいた花が開くように、アカネの肌は、健康的な色とつやを取り戻していく。


(この《人形》。こうして見ると、めちゃくちゃ美人じゃないか)


 数匹恵んでやるだけのはずだった魚は、気がつけば一匹残らず消え失せていた。

 五匹目の魚を食べ終えた頃には、アカネの身体は平均的な女性の体格にまで回復していた。


「ぜんぜん足りないけど……命の危機は脱したわね」


 《人形》は、過去の大戦の生物兵器だ。

 彼らの中には、こうした人類の範疇を超越した特徴を持つものもいるという。

 アカネもそうした特別な《人形》の一人だということだろう。


「それで、あんたはなんでこんなとこにいんの? あたしの捜索に来たって訳じゃないでしょ。神園隊長には、一週間ほど空けるって言ってあるし」

「自分たちは、食料調達の任務中です」

「ふうん。あたしの時代では、釣りは趣味か遊びでやるものだったけど」

「自分も、昨日までそう思っておりました」

「……なあに? 要するにあんたら、暇なの?」


 キミタカは答えない。

 これではっきりと、「ノー」と言えれば、どれだけいいか。


「まあ、どうでもいいけど。隊長には今晩帰ると伝えといて」

「了解しました」


 それだけ言って、アカネは自分のテントに潜り込む。

 中から、がちゃがちゃごそごそと、なんとも気味の悪い音が聞こえてきたので、キミタカは慌てて立ち上がった。

 空っぽの桶を抱えながら、ふと、彼女から一言も感謝の言葉を聞いていないことに気がつく。

 まあ、別にいいけども。



 その一時間後。

 小早川キミタカは、再びアカネのテントを訪れる羽目になっている。


「あー、腹減ったー腹減ったー♪ 今日も明日も腹減ったー♪」


 即興で歌う《人形》は、さっきと比べるとまた少し痩せているように見えた。よほど燃費の悪い身体構造らしい。

 深い、……とてつもなく深い嘆息。

 先ほど、島田一士より言い渡された”罰ゲーム”の内容が、何かの呪いのように思い出される。


――今晩、誘ってこい。あの《人形》を。


 それは、ベテランの国民保護隊員ですら物怖じするほどの度胸試しであった。

 中世ヨーロッパの価値観に例えるならば、平民が貴族に向けて小便ひっかけるようなものである。

 奥歯を思い切り噛み締めながら、キミタカは《人形》に向かって、口を開いた。


「あのう、アカネさん?」


 声を掛けると、ようやくアカネはキミタカに気づいたらしい。


「んー?」

「ええと、非常に言いにくい話でありますが……」

「なに?」

「本当に申し訳ないんですが、あの、……その、ですね」


 そこでアカネは、テントを片付ける手を止めて、キミタカに向き合う。


「どうかしたの?」

「じ、自分に、せ、せせせ、性交の手ほどきを、……お願いできないでしょうか」


(言った! 言ってやった)


 全身から、だらだらと脂汗がにじみ出る。

 アカネは、ぽかんとした表情をしたあと、


「えーっと、ひょっとして、あんた、……したいわけ? ……その。……せいこーを」


 そう言った。


「……ええ、その。わりと」


 キミタカは絞りだすように応える。


「若いなぁ」


 妙に感心するように言われるものだから、逆に気味が悪い。

 アカネは、キミタカが想定していたありとあらゆる反応ではなく、むしろ好意的に言った。


「ま、いいや。じゃ、夜になったら部屋においで」

「……は?」


 キミタカは耳を疑う。


「部屋、……で、ありますか?」

「うん」

「そこで……その」

「ええ」


 アカネはにっこりと笑う。


「あなた、目が高いわ。任せておきなさい」


(もう、泣きたい)


 底なし沼にすぶずぶと沈んでいく錯覚に陥りながら、キミタカは応える。


「は、……ははははは。拝命、しました」



 キミタカが戻ると、島田一士は妙に改まった表情で、キミタカの肩を叩いた。


「ご苦労」


 そこで限界に達したらしく、島田の口元が緩む。


「それにしても、お前、……せ、性交のてほどきって……お前、お前、お前……」


 同時に、他の先輩方が、弾けるように笑い転げた。

 どうやら、知らないうちに見世物にされていたらしい。

 先輩方が大いに笑う中で、キミタカだけが、むっつりと口をつぐんだまま、その場に立ち尽くしていた。


――じゃ、夜になったら部屋においで。


 彼らにしてみれば、笑って終いのことかもしれないが。

 自分は約束を取り付けてしまっているのだ。


(当然、冗談じゃすまないよな)

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