第12話 蒼い髪の人形

 華ヶ丘。名前の通り花の街だ。


 地理的には、かつて神戸と呼ばれた街の一角で、件の金属病の発症から後、最も大阪の人間が流れてきた場所でもある。

 シズはというと、耳が破れそうな喧噪を避けて、人通りの少ない道を一人で歩いていた。


 眼前に広がるのは、街の建物という建物に隙間無く絡みついた、見事な花、花、花。


 百年以上前に植樹された桜は今の時期、ほとんど散りかけていて、時々視界を覆うほどの花弁を舞い散らせる。

 柔らかな花弁が頬に触れ、すこしくすぐったい。


 並木通りには、様々な肌の色をした人間が歩いていた。人形もちらほら。


 初めてこの街に来た者は例外なく、その自然の驚異とエネルギーに立ちつくすという。

 野生化したハイビスカスやタンポポ、センダンなどが咲き乱れ、人工と自然が一体化した街。そこでは、廃棄された建物に動植物が入り込み、ひびというひびに植物の根が入り込んでいた。

 人形たちにより金属が取り除かれたその街は、まさに地上の楽園。

 シズは大きく、街の香りを吸い込んで、


「……よーし!」


 気合を一発。

 まず、頬をぺちんと叩く。


(裏通りを歩いてみよう)


 あるいは、武器が手に入るかもしれない。

 魔女みたいなお婆さんが売ってて、ちちんぷいぷいで即死するようなやつ。


 そういうものが、どこに売っているかはわからない。

 けど、たぶんどこかには売っているのだろう。


(できれば、殺し屋的な人がいてくれたら助かるけども……)


 シズのよく読む漫画でも、華ヶ丘の裏路地に危険な殺し屋が潜んでいたりする描写があった。どれだけ漫画が事実にそって描かれているかは知らないが、いくら子供向けの雑誌に載っているとはいえ、まったくのデタラメを描いたりはしないはずだ、多分。


(もし、殺し屋に頼むとしたら、……うーん。お小遣い、足りるかな?)


 その時、笛の音が高く、十度鳴る。十時の知らせである。


(まだたっぷり時間はある、けど)


 急ぐに越したことはない。

 みんなを心配させる訳にはいかないから。

 シズは喧噪の中、高鳴る胸を押さえながら、人がいない場所を選んで進んでいった。

 やがて、甘い味が付いたような空気の通りを抜けて、日陰が支配する通りへと向かっていく。周囲の枯れたツタのように、その場に座り込んで動かない老人を何人も見かけた。

 やがて、三十分も店の前でふらふら歩き回って悩んだあげく、意を決して、暗い雰囲気の古い飲み屋に入る。


「あのーう。ごめんくださぁい」


 そして、殺し屋の存在に訊ねる前に追い出された。


 どうにも、自分の容姿では飲み屋に入れてもらえないらしい。残念。

 方針の転換が必要だった。

 殺し屋の線が駄目でも、せめて何か糸口を見つけなければ。

 各種の方言が飛び交う市をあてもなくさまよう。

 名物であるさくらんぼ味のソフトクリームを舐めながら。


(こういうとき、漫画なら必ず奇跡が起こるもんやけど)


 思いつつ、何かが起こるのを我慢強く待ち続ける。

 シズは、奇跡が起こることを信じていた。自分のように善良な娘の聖域が奪われるような真似、神様が許すはずがない、と。

 だから、


「くふふふふ……、あなた、うまく化けてるようだけど、でしょう……?」


 そう、囁くような声で自分の正体を見抜かれた時にも、驚きはしなかった。むしろ遅すぎると思った。

 そのころには街を彷徨ってから五時間ほどが経過していて、もうすでに、ありとあらゆる空想をし終わった後だったのだ。


 声は、女。

 何やら占い師のような格好をした人で、顔はベールに隠されて見えない。


 一瞬、誰が話しかけたかわからなかったのは、彼女がこちらには一瞥もくれず、視線を手元の漫画本に向けたままだったからだ。

 その漫画はシズも少し読んだことがある、大昔の漫画だ。機械が知能を持つ世界で、一人の勇敢なロボットの少年が悪党どもをやっつけるストーリー。なかなか先見性のある漫画だったと記憶している。


 タイトルはたしか、……『鉄腕アトム』。


「この物語で面白いのは……くふふ。

 最終回で、人造物が人類を支配する未来を予見していることですわ」

「そおなん?」

「ええ。『アトムの最後』ってタイトルでね」


 そして彼女は、語り始める。

 近未来。環境汚染が進んだため、人類の個体数が激減、結果として世界は人類の創造物、――ロボットが支配するようになる。

 そんな世界において、博物館で眠っていたアトムは人類のために戦い、その命を落とす。


「……へえ。アトムって、そんな話なん」


 なんだか哀しい気持ちになって、シズはうつむく。


「でも、事実ですわ。それに先見の明もある。現に、今や人が作り出したはずの生命が、人を支配しているわけですし」

「……『支配』した覚えなんてない。ウチらは手伝ってるだけだぁ」


 人形が人間に不当な何かを要求したことなど、今までで一度だってないはずだ。ちょっとした内政干渉でさえ行われた記録がない。全て人間の自主性に任せているのだ。人形はただ、飢餓や極端に不平等な貧困、紛争を防ぐための手伝いをしている。人間は一度に何十トンもの物資を海の向こうへ運ぶことは出来ないし、短時間で長距離移動もできない。そういった生活をする上で不便なことは全て人形が行っている。

 もちろん対価はもらっているが、それも暴利と言うほどではない。


 シズが知っている限り、人形が自分たちに課したこのルールを破ったことはない。


 だが一方で、そんな我々を憎む者もいる。

 反人形主義の人間は、狂信的になると自分の身体に爆弾をくくりつけてまで、人形を殺そうとするという。

 人間と人造人間は結局のところ、相容れない存在なのかもしれない。


 女の顔は見えないが、にやあっ、と笑ったのが顔の輪郭の動きでわかった。

 シズは、そんな彼女に何か薄ら寒いものを感じながら、


「……ちなみに、一応聞くけど。なんでウチが人形ってわかったん?」


 髪さえ染めれば、人形と人間の区別など不可能なはずだ。


「くふふふふ。そりゃ、わかるわ。私も人形ですもの」

「何? 特別な『個性』でももっとんのけ?」


 女はシズの言った意味がわからないようだった。

 やがて、『個性』が初期インストールプログラム――生まれた瞬間から頭の中に入っていた知識や技術のこと――の俗称であることに気がついたのか、


「まあね」


 と、また囁くように言う。

 掠れたような声を、わざと作っているようだった。


「そういうあなたの個性は……《基礎医療》と《基礎機械知識》、それと《生活一般情報》、《動植物についての知識》、《高度演算能力》に、簡単な《護身術》。時代かしら。平和なプログラムばかりだわ……」


 すらすらと自分の個性を見抜かれて、さすがに驚く。

 大昔の《人形》は、他の人形の能力を《鑑定》する『個性』が存在したというが……。


「なんなん? あんた……」


 女は応えない。代わりに、


「ねえ、あなた。さっきから同じところをぐるぐる回って、ずいぶん悩んでるようだけど……どうかした?」


 その人形は、再びにやあっと笑って、シズを見る。

 意識していなかったが、いつの間にか自分は不審な動きをしていたらしい。

 ちょっとだけ気恥ずかしくなって、うつむく。


「べつに、ウチは……」


 だがそこで、自分の使命を思い出して、


「……その……なんか、護身用? の、鉄砲とか、欲しい気がして……その……」

「あら、そうなんだ。ちょうど良かったわ」


 そう言って、女は新聞紙にぐるぐる巻きにした何かを、シズのポケットに押しこんだ。


「……え?」


 きょとんとする。


「拳銃よ。《護身術》があるなら、使い方は知ってるわね?」

「ええ、まあ……」


 異常だと思った。

 何かの手違いがあると思った。

 確かに、武器が欲しいとは望んだが。

 こんな危険ものが、……当然のように手に入るとは思えなかったのだ。


「でも、……ウチ、こんなの買えるようなお金……」


 すると、また、にたあ。


「お代はいらないわ」


 何か問いかける前に、


「その代わり、とある人形を殺す手伝いをしてくれない?」


 と、奇妙なことを言う。


「ころ……す……?」


 おかしい。

 危険だと思った。理由はわからないが。頭の中で警報が鳴り響いている。


 しかし、もはや遅かった。シズは囚われていた。

 何に、と言われると、よくわからない。

 強いて言えば、声。声に、シズは心を支配されていた。

 背筋を冷たいものが撫でる。


 人形は、ある音域で発される声には決して逆らえない、という話をどこかで聞いた覚えがあって。


(これ……まさか、《上官命令》ってぇ『個性』じゃ……)


 疑問は声にならず。


「わかったわね? ちゃんと撃って。ちゃんと殺すの、――あの、赤髪の人形を」


 シズは、棒を飲んだようにその場で立ちすくみ、聞き分けのいい子供のように答える。


「は………い………」


 彼女の言葉は絶対的に正しく、美しく、やさしく、神の声を聞く信徒のように、独裁者の演説の前の聴衆のように、シズの心を絡め取った。


 やがて、危険だというシズの意識も霞み、思考の外へと追い出されていく。


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