第11話 華ヶ丘へ

(さすがに少し、無理を言ってしまっただろうか)


 シズは、遠目に見える朽ちた巨大な橋を眺める。

 かつて明石海峡大橋と呼ばれたそれは、今では天高くそびえ立つ、赤錆びた数本の支柱となっていた。

 “酸化爆弾”という金属を一瞬にして無害化する兵器により、徹底的に無害化されているのである。

 シズは過去の人類の遺産を見上げながら、ほう、と、小さくため息を吐いた。

 ああいうものに浪漫を感じるのは、変わっているだろうか。

 いつまでも見ていられる気がする。


「はぁ……はぁ……ぐへぇ……おごぼろぉ……死ぬぅ……」


 それに比べて、目の前で必死に船をこぐ島田の顔は正直、見られた物ではない。

 長時間に渡る重労働の結果、彼の全身からは汗と涙と鼻水が、際限なく頬を伝って船底に流れ落ちているのだ。

 通常、本土方面に渡る際はもっと大きい船を使うのだが、今回は訓練もかねて、手こぎのカヌーを使っている。

 潮の流れの早いところは避けて遠回りに進むので、こぐのは全工程で十数キロほど。天候も安定しているため、屈強な保護隊員が力を合わせれば大した労力ではないはずだ。

 とはいえ、いまカヌーに乗っている者で苦悶の表情を浮かべているのは、島田無行一士のみ。

 彼を除く三人は、一切手を動かすことなく、涼しい顔で海風に揺られている。

 シズと、小清水一曹、そして、赤髪の人形、――アカネ。


「手ェ貸そか?」


 さすがに気の毒になってきて、そう言うと、


「駄ぁ~目ぇ♪ シズちゃん。これも訓練なんだから」


 むしろ小清水一曹に窘められてしまった。


「命ぜられたことは、死んでもやり遂げるの。保護隊員って、そういう仕事なのよ。そうでしょ? 島田一士」

「ウッス! よゆーっす!」

「だったらペースを早めて。他の船より随分遅れてるわ」


 そう言って微笑む小清水一曹は、美人な顔に似合わず、辛辣である。

 もっとも、島田がこのような眼に遭っているのも自業自得、というか。

 この男、今日一日仕事をサボってシズに付きまとう計画を立てていたらしい。

 その詳細な計画内容をシズは知らないが、――出立前、『二人は幸せなキスをして終了』という結末が書かれた怪文書が小清水一曹の手によって焼き払われているのは見かけた。

 もの思いにふけっていると、


「ねーねー、何書いてるの?」


 アカネがすり寄ってきた。その手には、ピーナッツをチョコレートでコーティングした菓子の袋詰めがある。この状況でよく食欲が失せないものだ。


「近づかんといて。あんたの重さで船が傾く」


 ぴしゃりと言ってやる。

 が、アカネはなおもしつこくいいじゃない、暇なのよ、ねーねー見せてよー。と、子供のように駄々をこねた。

 シズは新品の手帳をぱたんと閉めて、これ見よがしに、持ってきたリュックサックにしまい込む。


「なによー。けちーっ」


 もちろん、手帳の中身なんて見せる訳には行かない。それには、密かにアカネを抹殺する方法についての計画が書き込まれていたためだ。


「それよりあんた、暇なんだったら、手伝ったらどうだぁ?」

「あたし、箸より重いもの持ったことなくてね。おほほほほ」


 とりあえず、手伝う気はないらしい。手伝おうとして手伝えないのと、手伝えるけど手伝いたくないのは、どちらが罪深いのだろう。きっと、この赤髪の女の方が悪い。シズは言葉の温度をいっそう低くして、


「さよかぁ。……そのお嬢様が、なんでこんなとこまで、はるばるいらっしゃるん」


 あわじ駐屯地の連中に言わせれば、シズに睨みつけられても、全然怖くないらしい。だからあえて相手を見ることはせず、目を瞑ってそっぽを向いた。


「そりゃーもちろん、お菓子の仕入れに決まってるじゃない!」


 華ヶ丘には、中央府――大阪から流れてくる全国の様々な特産品があるという。

 アカネは常に何かを食べ続けなければ生きていれない身体らしいので、食べ物のために遠出するのも無理はない話か。

 くわえて華ヶ丘は人形達の愛する街でもある。人形は趣味に金を惜しまないので、毎年物凄い額の金を落としていくのだそうだ。


 まあ、それもこれも、シズにはまったく縁のないことだが。



 船が対岸に着くと、島田は水死体のように海岸にうち捨てられる。

 そこをキミタカに背負われ、二人は命ぜられた仕事先へと消えていった。

 それを見送った頃には、他の保護隊員の姿はどこにもなくなっている。

 市場でいくつかの消耗品の買い出しや、卸業者の荷物運びの手伝いに行ってしまったのだろう。

 シズは、集合時間だけ確認して、華ヶ丘の中心部へと向かった。元より休日をとっている身。誰に咎められることもない。


 潮の匂いに混じって、ここまで漂ってくる華の香り。

 世界でも十本の指に入るという美しい街の前で、一息つく。


 とにかく、ほとんど思いつきでここまできた。だが、運命的なものも感じている。

 偶然、こんな好機がやってくるだろうか? ……いや、そんなはずはない。


 アカネが華ヶ丘にいるのも、なにかの天命の気がした。


 人混みに紛れてを起こせということだろうか?


(いや、まだや。もっと慎重に行動しなきゃ)


 とにかく、シズにはどうしても、自分一人の力であの女を殺せるとは思えない。

 最低でも、武器が欲しい。

 もしくは、漫画によく出てくる、人形専門の殺し屋みたいなのを雇えればいいのだが。

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