第10話 起床と朝食

 第三十二国民保護隊の一日は、五時前後の夜明けをもって起床。

 その後は点呼、国旗掲揚、隊長訓辞、ランニング、朝食の後に、午前課業開始、となる。


 季候も良く、自然に恵まれた淡路島の朝の空気は、清々しくキミタカの肺を満たしていった。


 彼の朝は早い。

 いつも、日の昇る前には布団を抜け出し、洗顔と歯磨きを済ませる習慣が身についている。

 元々早起きな性分なのだが、夜更かしの島田と違って、キミタカは八時になったらすぐ寝る癖が染み付いていた。


 もっともこの時代、キミタカのような生活習慣の者は珍しくはない。

 電気伝導率の高い物質の取り扱いが規制されている今、夜闇は人間が起きていられる世界ではないのである。


 掃き掃除をさっさと終わらせて、その後は食堂でお茶でも飲みながらクラシックな漫画を読むのが通例となっていた。

 掃除もあらかた終わり、気分良く食堂に向かうと、ほのかにただよう味噌汁の匂いが胃袋を締め付ける。

 食堂に入ると、三十一人と人形一体分の味噌汁が、ぐつぐつと鍋で煮えていた。

 その横で、シズが何やら手帳に書き物をしている。


 どう声をかけるか一瞬だけ迷った後、


「おはようございます、食料班長殿」


 最も丁寧な言葉を、少し砕けた口調で言うことにした。

 すると、バネじかけみたいにシズは跳ね上がり、手帳を落としそうになる。

 なんか一瞬、『アカネまっさつ計画』とかいう不穏な文面が見えたような。……気のせいだろうか。


「な、なんよ。新入りかいな」


 少女はまだ心臓がどきどきしているのか、小刻みに呼吸しながら、慌ただしげに厨房に戻った。


「何か手伝おうか?」


 社交辞令的に言うと、


「なに? 手伝い? なんで?」


 シズはなぜか、スパイでも見るような眼で睨む。


「……野菜を刻むくらいなら、俺にもできるから」

「何いっとぉ。これぁ、ウチの仕事だぁ。ってか、どーゆー風の吹き回しよ?」


 にべもない口調だ。


(慣れない親切心を働かせると、こんなもんか)


 頭の隅で考えながら、キミタカは苦笑交じりに言う。


「あー、いやね。なんか手伝ったら、おまけ貰えるのかなぁ、と思って」


 言うと、ようやく少女の表情が緩んだ。


「なんや。そーいうこと」


 納得してもらえたらしい。


「食い意地張っとるやっちゃな。ま、ええ。そんならトマト8ツに切っといて」

「シズちゃん。大事な話がある」

「なに」

「俺、トマトが苦手なんだ」


 そこでようやく、シズは子供らしい表情を見せた。


「あはっ、ふふふふ。別にきざんでゆーたからって、それやるとは言うとらん。肉が欲しいんだぁ?」


――良い国民保護隊員は、独自の食糧確保ルートを持つものだ。


 島田の言葉を思い出しながら、キミタカは満足する。

 シズに指し示されるがままに、食堂の中にある冷蔵庫を開けた。電気で作動するコンプレッサではなく、気化熱を利用するタイプの最新式である。中には、卵やら各種野菜やらが極彩色の世界を形作っていた。


「そーいや、今日は本土まで物資の受け取りに出るって言ってたな」

「……そうなん?」

「ああ。戻りは六時前、だったかな」


 そう何気なく言いながら、トマトをカゴにいれていると、シズが、妙に思いつめた表情でこちらを見ていることに気づく。


「……? どうかした?」

「ウチも行く」


 有無を言わさない口調だ。


「でも……」

「絶対、行くから。――隊長には、ウチから連絡しとくわ」



 それから、しばらく後。

 朝のランニングを済ませ、朝食をぱくつくキミタカの隣で、島田無行一士がとろんとした目をしていた。


「なあ、キミタカ、なぜ彼女はあんなに魅力的なんだと思う?」


 彼の視線の先には、せかせかと食堂内を駆け回るシズの姿が。


「まあ、可愛らしい子ですよね」

「ああ、可愛いな。本当に可愛い」


 今の「可愛い」に天と地ほどの差があるように感じられるのは気のせいだろうか。


「舐めたいなぁ……」


 ボソリと本音を呟く先輩に、キミタカは海よりも深く嘆息した。


「そうですか。自首してください」


 今も昔も、児童性愛に向けられる視線は冷たい。

 島田無行は優秀な保護隊員だとわかっているが、どうにもこの歪んだ性癖だけは始末に困るのだった。


「それより、この目玉焼きにかける調味料の話をしましょうよ。ソースがいいか醤油がいいか」

「どうでもいい」


 話題を変えようと思ったが、無行はそっけなく答える。


「もちろん、俺だって身分をわきまえてるさ。直接彼女をどうこうしたりするつもりはしない。けど、あの可愛さは時折……胸が締め付けられるような時がある」


 キミタカは先輩の話を完全に無視することに決めて、目玉焼きにかぶりついた。


「決して届かない想いを心に抱える辛さ、お前にわかるか?」

「いやー、うまいなー。目玉焼きうまいなー。世界で一番うまいなー」


 朝は、いつもこんな感じだった。

 今日もいつも通りに一日が始まるな、と思っていると、


「おっはー」


 どかりと、普通の六倍はある分量の目玉焼きが、キミタカの目の前に置かれた。


「みなさん、朝早いんですねぇ。アカネ、ソンケーしちゃうなっ」


 ゾワッとするような猫なで声の《人形》。――アカネだ。

 もっともみんな、そろそろこの特徴的な口調と声に慣れてきている。

 慣れていないのは、キミタカぐらいだ。


「今朝は細めですね」

「朝っぱらからセクハラとは。恐れいったなあ、キミタカくん」


 どういう理由か知らないがこの《人形》、自分に対してだけ口調と態度を変えるのである。

 島田に目配せすると、どうやらシズに熱い視線を送るばかりで、こちらのことは気にも留めていない。


「そういうつもりじゃ……」

「あたしだって、好きでこんな体質な訳じゃない」


 言いながら、アカネは胸焼けがするほど大量のマヨネーズとケチャップを目玉焼きにぶっかけて、それをどんぶりご飯に乗っけてムシャムシャと食べ始めた。


「そんなことはどーでもいいのよ。――ねえ、キミタカ。あの、シズって女の子のことなんだけど」

「シズちゃんがどうかしたんですか?」

「あの娘、何者なの?」

「何者、とは?」

「どういう経緯で、あんな娘がここで働いてるのか、ってことよ」

「……さあ。俺もここに来たばかりなので、詳しくは。神園隊長の親戚ってことしか。――ねえ、島田先輩」


 隣の島田に話を振ると、


「……ふぁ?」


 夢見心地の返答。


「あんたの恋人さんの話ですよ」

「ば、馬鹿! まだ、そんな。恋人だなんて! フヒーッ」


 気持ち悪さを全開にして、へらへらと笑う。


「シズちゃんって、いつごろからここにいるんです?」

「へ? ……あー、どうだっけ。一年前くらいか? 神園隊長が急に子供を連れてきたかと思ったら、『ワシの姪なんじゃが』とか言って」


 するとアカネは、


「一年前かぁ」


 と、小さく独りごちたあと、特にそれ以上何も言うことなく、席を立った。

 会話は数分足らずだったが、山盛りの目玉焼きは綺麗に無くなっていた。

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