第30話 紅い月

「ちっくしょう! ふざけんなよ!

 気軽に言ってくれやがって! 無茶苦茶気持ち悪かったぞっ!」


 言って、キミタカはあの、おぞましい感覚を思い出す。

 同時に、目の奥の深い部分がずきりと痛んだ。


(錯覚だ。気にかけるな。思い煩うな)


 十数分前の記憶が、鮮やかに思い出される。



 眼球を――交換してみる、として。

 とりあえず、利き目は抵抗があった。


 だから、左の目玉を中指と親指で押さえて、ぐい、とひっぱってみる。

 人間のそれと違って、”人形”の眼球は、ガラス玉に近い。

 つるつる滑るが、掴めないことはなかった。


 さらに引っ張ると、涙腺が刺激され、自然と眼球が濡れた。

 同時に、なんだか笑い出したくなる。

 壊れる。このままだと自分はきっと、壊れてしまう。


 だってほら。

 こんなにも本能に反したことをしているのだから。


 そこまで考えて、何もかも嫌になった。

 そもそも、こんな大それたことが成功するはずがない。

 できっこない。やったところできっと、なんの意味もない。


 気がつけば、暑くもないのに、服をしぼれるほど汗をかいている。


 なんだよ。ここまでして、自分に何が得られると言うんだ?

 あの変な人形なんて、死のうが生きようが、知ったことじゃないじゃないか。

 だいたい、自分はあいつのこと、どう思ってるんだ?


 惚れている、のだろうか。


 どうだろう。


 考える。

 考えて、考えて。

 やがて、


(このような真似をしてまで、アカネを助ける価値などないな)


 という、明確は結論が出た。

 だが、しかし、


「う、おおおおおおおおお!」


 気がつけば、人差し指を左目の端に突っ込み、あの赤髪の女が言うように――目玉の裏の部分まで指を突っ込んでいた。


 ぐり、ぐり、ぐり。


 信じられないほどの異物感。

 死んだ方が何百倍もましだと思った。


「は・は・は・は・は! こわいこわいこわいくそ! 畜生!」


 退屈な日常に、畜生。

 大昔の戦争に、畜生。

 くそったれた世の中に、畜生。

 あの蒼い髪の人形にも、畜生。


 イカレる。イカレる。いまに気が狂う。


「たこ焼き、を、ひっくり、かえ、す!」


 指を曲げる。

 引き抜く。


 ぬと、


 残った片方の目で、自分の片目がぽろりと取れるのが見えた。

 

 血は出なかった。

 落ちた眼球は地面に落ちて、月を見上げている。

 人間だと視神経が繋がっているはずの部分には、鈍色の石のようなものがついていた。磁石か何かだろうか。何にせよ、目玉が簡単に取れないのは、この石のようなもののお陰なのだろう。

 一瞬だけ気持ちが冷めて、あ、やっぱり俺、人間じゃなかったんだな、と思ったが、次の瞬間には恐怖と狂気がない交ぜになった感情の奔流に、意識が飛びかける。

 話によると、目玉の交換時期は三十年ほどだという。

 人形にとっての眼球は、消耗品だ。

 ゆえに定期的に交換するのが“普通”だという。

 だが自分で目玉を交換した人形など、そういるものではないだろう。


「…………! はあ………はあ………うううう」


 呻く。胃の中のものがこみ上げる。

 痛みは、嘘のようになかった。

 だが、あまりの気持ち悪さに、胃の中のすっぱいものがこみ上げて、吐いた。自分の目玉だったものにそれがかかって、さらに気持ちが悪くなる。

 脳内ではなにかよくわからない麻薬のような物質が物凄い勢いで形成され、腕は自分のものではないみたいに震えた。


(終わらせれば全部、大したこと無くなる……)


 そう、必死で自分に言い聞かせ、目玉の入ったビンをあける。

 ただそれだけのことなのに、信じられないくらい時間がかかった。

 そして、アカネの目玉をはめ込む。はめ込むと言うより、当てる感じだった。それだけで、アカネの目玉はようやく見つけた宿主を逃がさないように、磁石で吸い寄せられるように、ぽっかりと空いた穴にはまり込む。


 涙はしばらく止まらなかったが、不思議とまるで痛みはなかった。


「……くそっ。全部終わらせて飯食って、シャワー浴びて、……休暇を取ろう」


 狂太郎は頭をくらくらさせながら、キミタカは吐瀉物で汚れた地を後にする。

 一応、抜いた目玉はアカネの目を入れていた瓶に入れて、背のうに仕舞っておく。

 十七年も付き添った目玉だ。気色は悪いが、捨て置くのも気が引けた。


 歩きながら、ゆっくりと呼吸を整えて。


 世界が、――驚くほど鮮やかに見えていることに気付く。


 木。

 土。

 空。

 星。

 そして、――鮮やかに紅く輝く、月。


 アカネの眼球の性能は、それまで使っていた眼球のそれを遙かに上回る。

 そのため、右目と左目で見え方が違って少し気持ちが悪い。


 自然、狂太郎はかつて使っていた方の目を、包帯でふさいだ。


「これで、よし」


 そう呟くのと、鉄塔が倒れたのを見たのは、ほとんど同時だった。


「………ッ!」


 キミタカは我を忘れて走る。そうしていると、なんとかまだ自我を保てた。気が触れそうな苦しみの記憶をのんびり味わうのは、後々の楽しみに取っておこう。今はそれよりも大事なことが、あるんだ。


 島田先輩。俺、やりました。

 俺、安い男じゃないですよね。


(馬鹿野郎)


 島田の声が聞こえた気がした。


(それが決まるのは、これからだぞ)


 違いない。

 キミタカは笑って、あれだけ恐れていた鉄塔へと一直線に突っ込む。



 その後、現着。


 青色と赤色の髪の毛を見て。

 状況を確認し。

 大弓を構えるのはその、数瞬後。


 アイカとアカネ。


 一応、妹のアイカの方とも顔見知り、である。

 どこを撃つか。

 殺すこともできるが。

 少し考えて、キミタカは殺さない方を選ぶ。


 敵の集中力が100パーセント、アカネに向いているタイミングを見計らって。


「……――ッ」


 クリーンヒット。

 一本目の矢を腕に当て、アカネへの恨み言を一言。

 彼女は倒れ伏したまま、ピクリとも動かない。


 その姿を見ただけで、――不思議と、キミタカの奥底から、無尽蔵のエネルギーが爆発した。


 アイカが銃を取り落としたのを見た次の瞬間には、キミタカは二本目を発射している。


「……………ちいいっ」


 だが、今度は少し狙いがそれた。恐るべき反射速度で躱された、と言うべきか。

 左足を狙ったつもりだったそれは、脇腹をかすっただけだ。

 彼我の距離は、数メートルほどまで肉薄している。

 キミタカは次の矢を装填し、しっかり狙いをつけながら、接近。


「動くなよ……殺したくない」

「半端な人形の分際で……」


 そして、深呼吸。


! 

「――ッ!」


 瞬間、ぐ、と、首根っこを押さえつけられたような感覚が走る。

 これが、アイカの個性、――《上官命令》というやつだろうか。

 とはいえ、キミタカは即座に、彼女の”命令”を打ち消した。


(自分の上官は、この人じゃない。自分の仲間は、この人じゃない)


 自分が、何者であるか。

 それを知っていれば、――最初から、こんな小手先の洗脳術など通用しなかったのである。


「もう、止めよう。終わったんだ。アイカ」

「…………………く、そッ!」


 説教は、ここまで。

 とにかく、この場を何とかおさめなければ。そのことで頭がいっぱいだった。

 火照った頬に心地よい風が当たる。

 こんな状況じゃなかったら、少し涼みたい気分だが。


「アカネの前に、お前を殺してやる。

 その後、お前の仲間も、みんな殺してやりますわっ!」


 彼女、以前に会ったときとは様子が違う。まるで獲物を横取りされた虎だ。


(この姉妹、どちらも二面性のある性格なのかもしれないな)


 そんなことをのんびり考えながら、踏み込めば十字弓の先が届くほどの距離……数メートルほどまで接近する。

 アカネを横目で見ると、どうやらかなり痛めつけられてるみたいだった。彼女のことだから放っておけばすぐ治るだろうが、回復するまでどれだけ時間がかかるのだろうか。


 時間にして、刹那。


 気がアカネの方にそれた瞬間だ。アイカが素早く腰に手を当てたかと思うと、次の瞬間には、何かの奇術のように手に拳銃が握られていた。

 キミタカは素早く十字弓を前に投げ、一瞬だけアイカの視界を塞いでから銃を握っている手首を握り、全身の力で捻った。

 肩の関節が曲がらない方向にアイカの腕を持っていき、絞り上げるように手を取る。

 何千、何万回と繰り返した動作だ。すべて自動的に身体が動いた。


「く、くそぉ……」

「……いやぁ、俺、訓練学校じゃ、体術ではちょっとしたもんだったんですけど……。こっちきて誰にも敵わないから、自信なくしてたんですよね」


 アイカが身を捩らせる。骨が軋む音が聞こえる。

 だが、物理的にここからひっくり返すことはできない。


「でも、俺が弱いんじゃなかったんだ。うちの先輩方が強すぎるんだ。

 それが確認できただけでも、今日、頑張った甲斐があります」


 すこし軽口を言う。

 アカネは、寝不足なのに無理矢理起こされたみたいに、むくりと半身を起こす。


「まったくもー、もっと早く助けに来なさいよ」

「……欠点ですか?」

「馬鹿ね」


 アカネは、治りきってない傷口を眺めながら、


「点数なんて、つけられないわよ」


 そして、呟くように、言った。


「実は期待してなかったわ。ありがと。

 あなた多分、あたしの人生で一番の友達よ」


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