第5話 ザ・お掃除君
「ところで、さ」
そこからさらに、二時間ほど歩いたあたりだろうか。
「――その、“例の病”? ってやつのことなんだけど」
唐突に漫画談義を打ち切って、アカネが訊ねる。
「目を瞑ってれば大丈夫なのよね」
「人によっては、それでも嫌な人はいますが」
どっちが右手でどっちが左手か聞かれてるような気分で、キミタカは答える。
「結局、ぜんぶ気持ちの問題なんでしょ? なんとかならないの?」
「無理ですね」
人間代表として、キミタカは断言した。
”例の病”は克服しようというあらゆる試みは、今のところ全て失敗に終わっている。
「でも、人間の身体には鉄分が流れてるじゃない。それは気にならないの?」
「……さあ、そこんとこは、自分も専門家じゃないんで詳しくは。でも、鉄でも鉱石の状態でなら大丈夫だったりしますからね。精錬すると駄目になるとか、電気伝導率が関係してるとか、そんなふうに聞きました」
故に、現代の暮らしに置いて、かつて電化製品、あるいは機械と呼ばれていたものは存在していない。もちろん人外の者である《人形》たちの生活圏内は別だが……。
「ふうん。……難儀ねえ」
「と言っても、今の俺たちは電化製品があった時代のことを良く知らないので。そういうものだと受け入れてますが」
話していると、近くから水が流れる気配を感じた。どうやら、いつの間にか新昭和湖の近くまで来ていたらしい。
「それじゃあ、ちょっと目を瞑っててくれない? ……三十秒くらい」
「はあ」
なんとなく嫌な予感がして、すぐに目を瞑る。
すると案の定、アカネのいる方向から、かちゃ、かちゃ、ぴっ、ぴっ、と、気味の悪い音が聞こえてくる。恐らく、何らかの金属製品を弄っているのだろう。
「ここらへんね。目標からは、二百メートルってところかしら」
「……え?」
(二百メートル?)
「す、すぐ目の前じゃないですか」
「うん」
全身が粟立つ。冗談じゃない。
(せめて、もう少し早く教えてくれても良かったんじゃないのか)
だが、文句を言っても仕方がなかった。
アカネはこの時代のことを何も知らないのだ。
それを計算に入れていなかった、自分の迂闊である。
立ち向かうよりはむしろ、逃げる算段の方が頭に浮かんだとき、すぐ近くの草むらが、がさりと揺れた。
「わあっ」
慌ててそことは逆方向に飛び跳ね、手で頭を隠してうつぶせになる。
念仏でも唱えようかと思っていると、上の方から、人形の笑い声が聞こえた。
「あはははははははは。マジでびびってる」
同時に、「なーん」という鳴き声と、耳元を何かが走り抜ける音。
薄目で見ると、山猫が一匹、間抜けを見る目でこちらを眺めていた。
即座に立ち上がって、言う。
「帰っていいですか?」
だが、その言葉は完全に無視された。
アカネは、バックパックから何か取り出す。見ると、プラスティック製の筒のようなものだ。
「ちなみにあんた、何メートルくらい離れてたら大丈夫なの?」
「……四、五十メートルくらいで、もう駄目です」
「そう。じゃ、まだ大丈夫ね」
何が大丈夫なのか聞く前に、アカネはその筒を放り投げた。
華奢な見た目からは想像もつかない肩力で、棒が地面に落ちる。同時に、そこから強い光が発生し、その周辺が照らされた。
「あれは……っ!」
光に照らされたのは、一本の鉄塔。
高さ二十メートルはあるだろうか。巨人に噛みつかれたみたいに、ところどころが歯形に崩れている。それを補強するかのように、何かの植物が隙間無く絡みついていた。
キミタカにはそれが、複雑な形をした一本の木に見える。
あたりをよくみると、それを取り囲むように建物が建っていた。素っ気のない長方形の建物だったはずのそれは、植物に取り込まれて一種のオブジェに見える。
「……こんなものが……」
どうやら知らない内に、人間が立ち入ってはいけない領域に踏み込んでいたらしい。
アカネと話し込んでいたものだから、道中にあった『立入禁止』の看板を見逃していたようだ。
「沙羅双樹の花の色、ってやつねー」
数分で発光は消え、再度、周囲に静寂な闇が訪れた。
「見て」
アカネが中腰になってキミタカに指し示す。発光筒があったところだ。
キミタカが目をこらしてそこを見つめていると、再度、そこの周辺が発光した。
光は何かを探るようにあちこちを照らし、――やがて、アカネが投げた棒を発見する。
光の数は、三つ。
息をのむ。
「……あれが、“物の怪”……?」
キミタカも、直接見るのは初めてであった。
驚くほど正確に作られた円柱状の物体が、うぃーん、とうなりを上げながら、発光筒のあったあたりを走り回っている。ずいぶんと正面がわかりにくいデザインだ。
「知ってる?」アカネが聞く。
「ええ、有名なヤツです。ソウジキって名前で、廃墟によく出現する物の怪だと聞きましたが」
「そう。……ソウジキ、ね」
そこでアカネは、キミタカにもう一度目をふさぐように言う。
さっきの機械を操作するのだろう。
数分後、
「出たわ。『CL2019型。商品名は、『ザ・お掃除君』。体長は百二十センチ、横幅三十三センチ。あなたの家を、隅々までお掃除。ゴキブリ、ネズミも退治する、主婦の味方。それが僕らのスーパーロボット、ザ・お掃除君。太陽光発電システムで、電気代もとってもリーズナブル』……だ、そうよ」
「なんですか、それ」
「売り文句。ネットで調べたわ」
「……ネット?」
「《人形》が使う、万能の辞書みたいなもんよ」
「へえ」
そういえば、そんな感じの用語を漫画で読んだことがある気がする。確か、インターネットとかいう……。
「多分、地下の倉庫にあったものが、何かの拍子で動き始めたんでしょう」
見ると、お掃除君とやらはまだ、発光筒が落ちた当りをウロウロしていた。
あれを仕留めれば。
確かに、一人前以上の戦果になるだろう。
そう考えると、悪くない気がしてきた。
「あたし、手を貸さないから。あんた一人でやらないと、意味無いからね」
一拍置いて、大きく深呼吸をする。
「……了解です」
「どう? 勝算ありそう?」
「わかりません」
キミタカは、正直に言った。
「でも、試してみたい作戦はあります」
すると、アカネは満足したように笑う。
「いいわね」
面白い見世物が始まるわ。――そんな感じの表情で。
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