第6話 物の怪退治

 準備には、十分もかからなかった。


 息を整えて、キミタカはその場に伏せる。

 その手には、アカネから借りた18式大弓が一台。

 先輩方はこの大弓を、ただ”イッパチ”と呼ぶ。そう言うのが正しい保護隊員の在り方だという。キミタカは未だ、その呼び名に慣れていない。


 18式大弓は、新人の保護隊員が最初に使い方を覚える装備であった。


 大弓というと単にサイズが大きい弓を想像しがちだが、これはクロスボウに近い形状をしている。もちろんこちらは、金属製の金具の類は使われていない。多くの部品は、強化プラスティックとゴム素材が代用に使われていた。

 この弓の最も優れている点は、その汎用性にある。台座にセットできるものは、そこらへんに落ちている石から専用の矢まで、かなり幅広い。

 今回キミタカが使っているのは、道中拾ってきた、ちょうどいいサイズの石であった。

 強化プラスティックによって作られた矢を使っても良かったが、かなり高価なものである。失くすと、先輩から大目玉を喰らうため、それは避けたい。

 ソウジキは、まだその辺のうろうろしているらしかった。


(大丈夫。最悪の事態にはならないさ)


 自分で自分を説得すると、少しだけ気が楽になる。


「がんばれぇー」


 気楽な口調で、隣のアカネが言った。

 こんなんでも《人形》が隣にいてくれるのは心強い。


「……では、いきます」

「おっけー」


 予告した後、思い切り声を張り上げた。


「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいっ!」


 そして、物の怪の様子を伺う。

 静寂。

 動きに変化はなかった。

 ため息を吐いて、


「アカネさん。あいつの名前ってなんでしたっけ」

「ザ・お掃除君」

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおいっ! お掃除くぅうううううん!」


 すると、連中の動きが止まる。名を呼ばれたからだろう。

 そして、ライトが、一斉にこちらを向いた。

 一瞬だけヒヤリとする。が、発症には至らない。

 十分に距離が開いているためだ。


「説明書によると、『お掃除君を呼ぶときは、「助けて! お掃除君!」と呼んで下さい。』……だ、そうよ」


 一瞬だけ躊躇して、


「助けてくれぇ!」


 叫ぶ。


「反応ないわねー。元気が足りないんじゃない?」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ! 助けてくれぇええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!」


 だんだん恥ずかしくなってきたところで、動きがあった。

 三匹の物の怪が、完璧に統率された兵隊のように、等速度でこちらに向かってくるのだ。

 のっぺりした体型に似合わず、かなり素早い。

 もちろん、このままではやられてしまうので、事前に罠を仕掛けてあった。

 彼らの進行方向にあるのは、落ち葉でできた山である。


 作戦は、単純だった。


 事前にアカネから聞かされていた、『ゴミを収集する』習性を利用して、奴らを罠にかけるのだ。

 物の怪は、三匹揃って落ち葉の山の前で止まり、片付けを始める。

 遠目に、物の怪の腹の中に落ち葉がみるみる吸収されていくのが見えた。

 どういう原理か知らないが、あっと言う間に落ち葉が片付けられていく。

 いささか慌てて、キミタカは油紙を巻いた石ころに火をつけた。


 訓練の時にやった限りでは、自分が確実に当てられる距離は六十メートルほど。

 その上、今回は的が大きい。

 外すことはないはずだ。


 訓練を思い出し、風が止んだのを見計らって、――慎重に引き金を絞る。

 イッパチから放たれた石が、一筋の流れ星のように落ち葉の山へ突っ込んだ。


 ひゅっ、と、風を切る音。


 その数瞬後、落ち葉周辺にぱっと赤い炎が広がる。

 予め、落ち葉に大量の油を撒いておいたのだ。


「――よし!」


 思わず歓声を上げる。

 だが、


「ダメみたいねー」


 アカネの厳しい口調に、冷静さを取り戻した。

 燃え上がる炎を後ろに、物の怪が、ういいいいいん、という気味の悪い音を発しながら、ゆっくりと体勢を立て直しているのが見える。

 どうやら、仕留めたのはたった一匹だけらしい。


「…………ぐッ!」


 危うく、――情けない声を上げそうになった。

 自分の考えた策など、これで仕舞いだ。他にできることはない。

 二匹の物の怪は、こちらにライトを向けて、無機質な口調で、こう言った。


『――ゴヨウハ、ナンデショウカ?』、と。


 キミタカにはそれが、「今からお前を殺しに行きます」と言っているように思えている。


「――ッ!」


 歯の根が合わない。指が震えた。

 次弾を装填し、手前のソウジキを狙う。


「……失せろ!」


 心の底から願いを込めて、キミタカは叫んだ。


 こういう時、焦ると失敗する。

 それくらいは知っていた。

 では、どのようにすれば焦らないでいられるか。

 皆目検討もつかない。

 一発目は、ソウジキの手前に落ちた。冷静さを失っている証拠だ。


「がんばれ~」


 アカネが、気が抜けるほど呑気な声で応援してくる。

 キミタカはそれに「はい」と短く答えて、もう一度狙いをつけた。

 運がよいことに“物の怪”は、二匹とも動きを止める。

 放った石ころを、ゴミだと思ってくれたらしい。

 大弓の射程距離は、平均百数十メートルほどである。当てられない距離ではない。少なくとも先輩たちなら確実に当てるだろう。なら、自分にだって出来るはずだ。


 大きく息を吸い、吐く。

 身体中の血液が高速で駆けめぐる。


(訓練を思いだせ。夢に見るまで繰り返した技術じゃないか)


 台座を固定し、てこを使って弦を引き絞り、弾を装填し、狙いをつける。

 そして、そっと引き金を絞った。

 弾が跳ね、がぁん! という金属質の忌々しい音が当りに響く。

 どうやら、ソウジキの胴体(と思しき部分)に命中したらしい。隣のものを巻き込んで、その場に横転した。


「これで、こっちを警戒してくれれば……!」


 だが、その期待はあっさりと裏切られる。

 二匹の物の怪は、先ほどと同じく、ゆっくりと起き上がり、こちらに向かって前進し始めた。


 声が聞こえる。


『ゴヨウハ、――ナンデショウカ?』

「……ッ! ねえよッ!」


 歯を食いしばり、もう一撃。

 今度は物の怪の足元に当たったが、倒れずにこちらに向かってきた。


「もう一度……ッ!」


 その時、遂に限界が訪れる。

 せめて目を伏せていれば良かったのだが、――間に合わない。

 キミタカの全身を、あの恐ろしい感覚が襲う。


「……………げぇッ……」


 それは、病気の時に観る夢に似ていた。

 恐ろしい何かが迫っているのに、どこにも行けない。……そんな感覚。

 頭が締め付けられるように痛む。足が痙攣する。動けない。


「ぐう、ぐうう……ぐえええええ」


 喉からは、自動的に潰れた蛙のような声が発された。


 目からは涙が。

 口からは唾液が。

 自分の意志とは無関係に垂れ流されていく。


 そこで、ふと。

 耳元で、アカネの囁くような声が聞こえた。


「物の怪、――か。バカみたいな話ね。彼らは、律儀に人間の命令を守ってるだけなのに」

『ゴヨウハ』

「ま、律儀って意味じゃ、《人形あたしら》も変わらないか」


 どかん、どかんと、二度。

 次に、ぎりぎりとも、がりがりともつかない音が聞こえて、物の怪の声が止んだ。

 残った一匹は、同じ言葉を、念仏のように繰り返している。


『コショウシタ キタイガ アリマス。

ギョウシャニ レンラクヲ オネガイシマス。

レンラクサキノ デンワバンゴウ ハ……』

「ばいばい」


 そして雷のような音。

 物の怪は、完全に沈黙した。


「……ほら。しっかりしなさい」


 アカネに引っ張られて、安全な場所まで移動する。

 ”例の病”の症状が、すっと身体から抜けていくのを感じた。


「うう……ぐう……ぐぐぐ……」


 キミタカは、まだ泣いている。

 物の怪にやられたせいもあるが。


 少しだけ、悔し泣きも含まれていた。


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