第14話 マクベス
(……………ッ…………)
くらくらする頭を押さえる。
シズは今、街はずれにある、小さな森まで来ていた。
陽はすでに、かなり傾きつつある。
予定の集合時間はとうに過ぎていた。
(あれ……? ウチ、なんでこんなところに……?)
幾度となく繰り返される疑問。
だが、その答えは明白だった。
『やるべきことがある』から。
辺り一面、桜色の絨毯が敷き詰められている。暗すぎない程度に月光で照らされた木々は、まさしく幻想的な光景、といったところ。
(神様。もし、自分を見てくれているなら、どうか、頭から爪先まで、恐ろしい残忍さで満たしてください)
アカネを、撃つ。撃ち殺す。
『ええ。でも、あいつはしぶといから、ただ撃ったくらいじゃ死なないの。もし、確実に命を奪うなら……』
頭を撃つこと。
『個性』が発動させないよう、脳を完全に破壊してしまうこと。
やったことはないが、……わかる。
《人形》とは、そういう生き物だ。
彼女が生み出された時、自分の第一声をよく覚えている。
『で? 仕事は?』
最初から、何もかも承知で生まれてくるのが《人形》なのだ。
頭の中には、はっきりとイメージが出来上がっている。
頭を撃ち抜かれ、四肢から力が抜け、地面に崩折れるアカネの姿が。
(はやく終わらせて、さっさと全部忘れてしまおう)
そして、みんなにチーズケーキを焼いてあげるのだ。夕食もうんと豪華にして。
不思議と、『やらない』という選択肢はなかった。それが自分の義務なのだと思った。
「おーっす。おはよー」
ふいに、アカネが姿を現す。
例によって。アザラシのような体型。
その手には、桜色のソフトクリームが二つ。
「見てみて~。これ、桃味のソフトクリームだって。めちゃうま!」
そして、両手にあるそれを、二口でムシャリ。
心の準備は完全だったはずなのに。
シズは、自分の両手が震えるのを感じた。
「どうも。ご、ごせいがでますね」
声は完全に裏返っている。
「いやー、あんまりいい陽気だったもんで、公園の椅子でうとうとしてたら、すっかり遅くなっちゃってさあ。……みんなはもう、帰っちゃった?」
落とし穴は、自分の正面、少し手前にある。できるだけ悟られないように、つとめてアカネと目を合わせる。
「さ、さあ、どうでしょう。ひょっとすると、探してくれてるのかも」
「ふーん。……で、用事ってなあに?」
「……用事?」
「シズでしょ? 『話があるから来て欲しい』って言伝」
恐らく、あの奇妙な女がやってくれたのだろう。当然だ。全てはあの女の手のひらの上なのだから……。
(もう銃を取り出すか?)
いや、まだだ。確実に射程距離に捉えるまでは。
なにせ、確実に頭を撃ち抜かなければならないのだから。
せめて、あと数歩……。
そう思った瞬間だった。
「動かないで」
アカネが拳銃を、目にもとまらぬ速さで抜く。
「えっ」
息が止まる。何か、ドジを踏んだのだろうか。
「あんた、《上官命令》を喰らったわね」
「………………なんで、そんなこと…………」
「鏡見てみ。子供を誤って撃ち殺した兵隊さんみたいな顔してるから」
良くわからない喩えを言いながら、アカネは微笑む。
「気を落ち着けて深呼吸しなさい。あなた本当に、あたしを殺したい?」
「……それは……」
ポケットの中の、『アカネまっさつ計画』と書かれた手帳を思い出す。
明日までに殺す、とか。
殺し屋に頼む、とか。
……でも。
(ウチ、あれをどこまで本気で書いたんやったっけ)
少なくとも、現実的に人形を一人撃ち殺すことなんて、不可能だってわかっていた。
腹立ちまぎれにやる、くだらない児戯にすぎなかったのだ。
計画に現実味がないことなんて、最初っから気づいていて。
本当は、適当に理由をつけて華ヶ丘を満喫したかっただけで。
(――あれ?)
憑き物が落ちた、というのはまさにその時のことだった。
シズは冷静さを取り戻し、急にずしりと重く感じられたポケットの中の拳銃を、慌てて地面に落とす。
アカネはそれを、満面の笑みで見守ってから、
「さて。――小手先の作戦が失敗したところで。そろそろ出てきたらどう?」
アカネに釣られて、シズは後ろを振り向く。
そこにいたのは、例の《人形》……ではなかった。
「………………きゃあ!」
シズが悲鳴を上げたのも無理はない。
暗闇の中から、物の怪が姿を現したためだ。
『…………――』
人型をしているが、見紛うはずがない。
その物の怪は、漫画でしか見たことのないような、中世の騎士の甲冑そのままの姿をしていた。顔はヒゲの生えた口だけが出ており、あとは面で隠れている。
腰を抜かして、その場にぺたりと倒れ込む。
物の怪はしばらく、その場で凍り付いたように動かなかったが、
『どんな酷いことでも、臆せずやってのけるのだ!』
よく響く声で、口を開け閉め。しかし、しゃべるために唇を動かしているというよりは、人間に見せかけるために一応ぱくぱくさせているだけ、と言う感じだ。
『高の知れた人間の力など、鼻の先で笑え! マクベスを倒す者などいないのだ! 女の股ぐらから生まれたものの中には!』
「久しぶりじゃない、マクベス。百年ぶりかしら」
どうやら顔見知りらしいが。
マクベス、と呼ばれた物の怪は応えず、ゆっくりと腰の剣に手を伸ばす。
……と。
どかんどかんどかん、と、雷のような音が三度。
耳慣れぬ音に、耳が狂ったのかと思った。
アカネが銃弾を物の怪の腹にぶち込んだらしい。
だが、物の怪は、
『マクベスを倒す者などいない!』
まるで応えていないようだった。よく見るとこの物の怪、腹の中はほとんど空洞らしい。穿たれた穴から、向こう側が見える。
「ちぇーっ、当たりどころが悪かったかー」
物の怪は腰の剣に手を添え、鈍く輝く剣を引き抜く。
どうやら、やる気らしい。
シズはというと、すっかり物怖じしてしまっていた。物の怪とアカネに挟まれる格好で、ぺたんとその場に座り込んでいるしかない。
「シズ、そこから離れなさい!」
「で、で、で、でも……」
瞬間、物の怪がシズに向かって駆けた。
その足取りから、シズを蹴散らしてでもアカネに襲いかかるつもりだということがわかる。
幼い《人形》は、為す術もなくそれを見つめていることしかできない。
「……………ッ!」
「シズ。――このばか!」
瞬間、アカネの太い腕に突き飛ばされるのを感じて。
その腕が。
物の怪の刀に、肘のあたりから、斬り落とされているのを、……目の当たりにする。
ぱっと辺りに、赤い花が咲いた。
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