第19話 百鬼夜行

 午後の課業を終えて、一息ついて。

 食堂の隅っこで、キミタカがのんびり緑茶を飲んでいると、


「おい、キミタカ。とんでもないことになったぞ」


 島田一士が、蒼白な表情で現れた。


「……は?」

「今夜は百鬼夜行になる」


 キミタカは一瞬、呆けたように言葉の意味を噛み砕く。

 一拍遅れて、羽虫をまるごと飲み込んだ時にする表情を作った。


「百鬼夜行って……」

「言葉通りの意味だ。中央府の人形から連絡があってな。前、ソウジキを仕留めた基地、あったろ」

「ええ、まあ」


 キミタカはあの日、アカネと眺めた花火を思い出す。


「あそこがなんかの拍子で起動したらしくてな。偵察用のドローンが動き出している」

「……そ、そんな……」

「で。とりあえずアカネ隊員の意見を聞きたいんだが、どうにも姿が見えん。何か知らんか?」

「知りません」

「そうか。参ったな」


 それ以上は、わざわざ命令を受けるまでもなかった。


「探してきますッ!」


 キミタカは立ち上がり、食堂を駆け出す。

 一歩歩くごとに、心臓がばくばくと脈動する。

 何かが起きようとしている。


 そしてあろうことか、――自分はそれに、心当たりがあった。


 まずキミタカが向かったのは、誰も隊員が近づきたがらない、アカネの部屋である。島田は恐らく、遠回しにこの部屋の捜索をキミタカに命ずるつもりだったのだろう。


「アカネさん、いるなら返事をしてください……っ」


 ノックしながら、声をかける。

 返事はない。

 中を見る必要があった。

 ドアに手をかけて……キミタカは息を呑む。

 場合によっては、”例の病”に襲われる可能性もあるためだ。

 だが、不動の精神力で、キミタカはそれを開く。

 すると、


『はろー。そこにいるのは、キミタカかな?』


 アカネの声が、部屋の奥から聴こえてきた。

 一瞬、全身から力が抜ける錯覚に陥る。

 だが、よくよく部屋を見回しても、アカネの姿はない。


「……隠れてるんですか?」


 散乱した中から、人が隠れられそうなスペースを見回す。


「悪ふざけは……」

『ぶぶー。隠れてないよ。スピーカーごしにしゃべってるだけ。厳重に隠してあるから、見えることはないと思うんだけど、あんまり下手に周囲のものに触らない良いわよ』

「……スピーカー?」


(ひょっとしてそれ、機械の一種じゃないか)


 気づくと同時に、すでに戻りかけていた冷静さが吹き消される。

 キミタカは全身に汗をかきながら、


「まさかアカネさん、ここにいないのか?」

『そだよー』

「危険だ! 百鬼夜行が始まってる!」

『まあ、それは知ってるんだけども。外だし』

「それじゃあ早く帰って来てください!」


 すると、アカネが少し不満気に、


『おーおー。命令してくるねえ。百年前の人間みたいに』

「冗談を言ってる場合じゃ……」

『ねえ、キミタカ。あんた、アイカって人形と会ったね?』


 息を呑む。

 キミタカはその瞬間、自分がこの世で最も愚かで卑怯な人間だと痛感した。


『想像するに、アイカとの連絡手段は、郷里に送る手紙、とかじゃない? 近況報告に見せかけて、あたしの情報をさり気なく織り交ぜた、とか』

「それは……」

『まあ、あいつの立場なら、郵便物を覗き見するなんて簡単だろーからね』


 そこまでバレていたならば、もはや観念する他にない。


「そう、です。アイカという名前の、青い髪の人形です。俺が、島田先輩に大阪へ連れて行ってもらった時、その、……ちょっと特殊なサービスを行っている場所に行ったんです。そこで、突然話を持ちかけられて……。最初は手伝う気なんてなかったんですが、手紙代が時々届いていたので……つい、律儀に手紙を出す癖が付いてしまって……」


 何を言い訳めいたことを言っているんだ、自分は。

 自己嫌悪の情が、むくむくと起き上がる。


『あっそ。別に気にしてないよ』

「そう……ですか?」

『うん。あんた、《上官命令》を受けて洗脳されてっぽいし』

「上官……命令?」

『うん。だってほら、あんたってさ、――』


 そこでアカネは言葉を切る。

 次なる言葉、どうやら少し迷っているようだったが……やがて彼女は、こう言った。


『人形、じゃん?』


 キミタカは視線を逸らして、


「……そのことも、お気づきでしたか」

『そりゃーね。あたし、人形とそうでない相手を見分ける力があるから』


 正直、そうではないかと思っていた。

 これで、シズちゃんと自分にだけ態度がぞんざいだった理由も納得できる。

 なんでも戦時中に作られた“人形”は、人間が心地よく感じる声色を使うようプログラムされている者もいるという。

 アカネもそうした“人形”の一人だった、ということだ。


『まあでも、“金属病”を発症した時は驚いたけどねー』

「それは……」

『知ってるよ。調べたもの。子供がいない家族のための、――代用品なんだって? か。時代は変わったわ。昔じゃ、ちょっと考えられない』

「…………………」


 一瞬、自分を育ててくれた家族に対する想いが吹き上がった。

 だがどう考えても、今はふさわしいタイミングではない。


『そんなあなたに、一つ聞きたいことがある』

「……。なんでもどうぞ」

『《マッドドリーマーズ・システム》。聞いたことは?』

「なんですか、それ」

『月から電波をゆんゆん放射してる、大昔の兵器。”金属病”の正体』

「……はあ?」


 驚いて、キミタカが目を丸くしているが、――それ以上の情報はない。

 スピーカーごしの声はしばらく、『ってことは……』とか、『うーん』とか、一人でぶつぶつ呟いている。


「ええと、あの」

『ごめん、ちょっと黙ってて』


 わからない。アカネの意図が。せめて、顔が見えれば違ったのかも。

 便利なようで、ひどく不便だ。この、声を送る機械は。

 それから、少し間を置いて、


「……アカネさんはこれから、どうするんです?」

『そりゃもう。決着をつける。「悪いことしちゃ、メッ」ってする。あたし、お姉ちゃんだからね』

「手伝います」

『スパイなのに?』

「だからこそ、ですよ。……俺、友だちを裏切ってしまった。その償いをしたい」

『そう』


 そして再び、『ってことは……』とか、『うーん』という、スピーカーごしの声。

 だが、その次に続く声は、驚くほどに明るい。


『わかった。やろう』


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