第28話 マッド・ドリーマーズ

 物の怪の目を逃れつつ、約束の場所まで向かう。

 うまいことに敵は見当違いの場所を探索しているようだった。うまく撒いたのだろう。


 アカネは、驚くほど簡単に見つかった。


 と、いうより彼女、かなり目立っていた。

 この闇夜であの娘、発光していたのだ。小さくだが、高い音も発している。


 一応、草場で身体を隠していたが、見開いた目が、揺らめくような光を発していた。

 覆いきれなかった葉の間から、光が漏れ出ている。


 明らかに、様子がおかしい。


「おい……おいっ」


 声を掛けるが、ぴくりとも動かなかった。


 とりあえず布で顔を覆って、光を少しでも遮るが、変な音は消えない。

 混乱して、ほっそりとした身体のあちこちを触る。


――セクハラ。

――初めて触る、女の身体。


 そんな言葉が頭に浮かんだが、さすがにそれを躊躇している暇はなかった。

 着物の帯を緩めてみたり、頭をぽんぽん叩いてみたり。


「おい。乳触られたくなかったら、起きろ」


 などと、気まぐれに脅してみたり。

 いろいろ試して見て、頭を押さえると少し音が小さくなったから、頭のどこか奥深くが振動している音なのだろうが、そうなるとお手上げだ。


 仕方なく、身体で覆い隠すように頭を抱きかかえていると、


「……あんた、何やってんの」


 アカネが口を開いた。

 我に返って顔を引き離すと、あきれ顔の彼女が、じっとキミタカを見上げている。

 気付けば高い音は止んでいて、彼女も元通り、いつもの状態に戻っていた。


 彼女、ゆっくり自分の身体を見て、


「なんで着物がはだけてるの」


 怒気を含んだ声を出す。


 ……ひょっとして、何か間違ったことをしたのだろうか。


 状況としては間違ってなかったかも知れないが、人として間違ったことをした気がする。

 アカネは頭を押さえて、


「多分だけどなんとなく、なんでこんなことをしたかはわかるわ。……でも一発殴る」


 静かな闇夜にぱちーん、と、気持ちいいほど見事な平手打ちの音が響いた。

 紅葉型のあざを頬につくって、皮肉にもここにきて初めてできた負傷を撫でる。


「なんだって、あんな状態になってたんです」


 すこし理不尽な気持ちになりながら、とりあえずの疑問を口にした。


「あんた、アイカから何にも聞いてないの?」

「聞いてないですよ。あいつ、一方的に命令してきただけだったから」


 この辺、シズの経験談と変わらない。

 キミタカはあの娼館で、現れたアイカに一方的に”命令”を受けただけ。

 彼女が何者か。

 なんでアカネを憎むのか。

 何一つ、よくわかっていない。


 するとアカネは、困ったような表情で、言った。


「月に、ちょっとした装置があってね。

 《マッド・ドリーマーズシステム》っていうの」

「さっき言ってたやつ、ですか」

「そ。……んで、そっから人間の脳に影響する電磁波が放射されてるわけ。そのお陰で人類はいま、一種の暗示状態になってる。それが金属病の正体。月が茜色に見えるのも、それが理由」


 じつに、あっさりと。

 どの教科書にものってない、この世界の秘密を聞く。


「なんだそれ。――そんな話、いままで一度も聞いたこと……」

「これ、人形たちの間でもトップシークレットだからねぇ」


 でも、良いのだろうか。自分なんかが、その事実を知っても。

 そう訊ねかけて、――それが愚問だと気付く。

 友だち、なのだ。

 理由はそれで十分だった。


「そりゃあね。あたしらも、金属病の原因が人形にあるなんて、ばらしたくないのよ。……あ、ちなみに、これ、絶対人に言っちゃ駄目よ。ばれたらあたし、消されるから。さくっと」


 たしかに、反人形主義者なんかに聞かせたら、大喜びで槍玉に挙げそうな話だ。そうなると、また世界がひっくり返るような大騒動になるだろう。


「……あ、ちなみに、そいつを昔に起動したのがあたし。ちょっと色々あってね」

「色々って……」


 あんまり適当な口調で大事なことをいうものだから、呆れてしまう。


「その関係で、このシステムは元々、あたしにしか使えないように設計されてたんだけど。今はシステムが暴走して、誰にも止められない状態なの」

「? なんだってアカネさんだけしか使えないんです?」


 アカネは何故か少し得意げに、


「あれを作った科学者が、あたしの熱烈なファンだったのよ。だから、あたしじゃないと使えないように作ったんだって」

「……ファン?」

「そう。物凄い偏屈な爺さんでね。世界を変える兵器を使うのは、あたしみたいな奴がふさわしい、なんて言い出して。だからあれには、あたし専用のセキュリティ・ホールがある」


 キミタカは曖昧な調子で一応相づちを打つ。


「……で、今、少しだけシステムをダウンさせたわけ。……巧く説明できないけど、頭の中の情報を一気に送り込んで、一時的にフリーズさせた、って感じ。でも、三十分が限度。その間はあたしも無防備になるし」


 正直、長台詞の途中から、彼女が何を言っているのかわからなくなっている。

 が、とにかく、あの奇跡はアカネに負担がかかる上に、そう長く使えない、ということだ。キミタカもそれは期待してはいなかった。

 そう簡単に治る病気なら、こんなにも長くこの状態が続いているはずはない。


「先輩方は、大丈夫でしょうか」

「大丈夫じゃない? ちょっと金属病から解放されたくらいで深追いするほど、頭の悪い人たちじゃないわ。それより、何か食べ物持ってきてない? お腹減っちゃってさー」

「ああ、それなら……」


 キミタカは持ってきた干し柿と煎餅を取り出す。

 ついでに水筒の玄米茶もコップに入れて渡した。


「……渋いなぁ」


 端的におやつの感想を言って、それでもこの人形は美味そうに、持ってきた食料を全て平らげた。痩せ気味だった身体が、平均的な女の子の肉付きになったあたりで、


「……で、どう?」


 覗き込むような目をして、キミタカにたずねる。


「? どう、とは?」

「いや、今の話よ。なんかさらっと流したけど、ものすごく大事なことを言ったと思うんだ、あたし」

「大事なことって……ああ、あの、金属病のくだりですか?」


 アカネは眉を段違いにする。


「他に何があるのよ。あたしは、この世界をこんな風にした原因なのよ」


 たしかに、考えてみれば大変な話だ。

 だけど今は、倫理とか、道徳の話をしに来たんじゃない。


「気を悪くしたなら、帰っても恨まないわ。思ったより保護隊のみんなが頑張ってくれたお陰で、もう雑魚に気を払わずに済むし。あんたのお陰で、力も回復したわ」


 自分で言うのも何だが、キミタカは鈍い男だ。

 人の気持ちを察することなどあまり得意な方ではなかった。

 そんなキミタカでも、これがただの強がりだということくらいはわかる。

 そういえば、彼女はさっきから一度もキミタカと目を合わそうとしていない。


「嫌だ」


 少し険を込めて言う。


「なんでよ……。ひょっとして、あんた、あたしに惚れたの?

 あたしったら可愛いから、無理はないけどね」


 これが明らかな挑発だとわかっていても、キミタカの頭にかっと血を上らせる。


「馬鹿だな、あんた」

「……なんですって?」

「あんた、なんだってみんなが、こんな危険な目にあってるか、考えたか? 保護隊の義務? 違うね。俺が……っていうか、みんなが、あんたのこと、好きだからだろ。あんたと一緒だったのは短い間だけど、それでも、一ヶ月間でも、家族だったからだろ、仲間だったからだろ。俺だってガキの使いじゃない。やることがあるなら、自分で見つけてみせる。命だって賭ける。なんだってやるさっ!」


 そうだ。

 今からのこのこ基地まで帰るなんて、選択肢にも入っていない。

 先輩方もきっと、そんな自分を許さないだろう。


「……そう」


 アカネは、ゆっくりとこちらを振り向く。

 目が合う。

 相変わらず、綺麗な紅い瞳だった。

 どうやったらこんな色合いになるのか、宝石のように澄んでいる瞳は、見ていると吸い込まれそうだ。


 むっつりと口を一文字に結んで、アカネの反応を待つ。


 アカネは、「悪かったわ」と、思い出したように呟いて、「なんでもやってくれる?」と、また、ぼそりと声を出した。


「ええ。何かできることがあるんなら、やらせてください」

「頼っても、良い?」

「どんどん頼ってください」


 これほど、自信と気力にみなぎっていると自覚した日はない。

 自分が正しいことをしているという確信があった。

 こういう時の青年は、あらゆる障害を打ち倒すことができる。


「うん。それじゃあ、お願いがある。実を言うと、あたしよりも妹の方が戦闘に特化しているの。一対一でやっても、きっと勝ち目はないわ。援護してほしい」

「なんだ」


 そんなことか。


「もちろんです。いくらでもお手伝いしますよ」


 アカネは少し嬉しそうに、「ありがとう」と、やさしく微笑んだ。

 その表情は、キミタカが初めてみる顔で、素直に「可愛い」と思う。

 だが、そんなキミタカの気持ちを裏切るように、アカネは事も無げに言った。


「じゃあ、目玉交換、しよ?」

「よし。いいでしょう。目玉を、――」


 一瞬だけ言葉を切って、


「えっ? いま、なんて?」


 アカネの手にはいつの間にか、瓶詰めになった眼球が握られている。

 眼球の色は、宝石のような、美しい紅。

 今、目の前にあるそれと、同種の輝きを放っていた。


「やったことないの? ……ないか。あなたまだ、生まれて二十年も経ってないからね。いい? 全ての人形は、身体の部品を交換できるようにできてるって、知ってる?」

「えー。あー」


 キミタカは一瞬、寝起きに鞭打たれたような間抜け面を晒した後、


「……それはなんか、以前も聞いたことがある、ような、」

「なら、話は早いわ。

 さっき調べたけど、型番も合ってたから大丈夫だと思う。最初は違和感があるかもしれないけど、数分で定着するわ」

「でも、交換って具体的にどうするんです」

「難しくないよ。目玉の外側から指を突き入れて、指が目玉の裏側に入り込んだら、こう、ぷりっと。たこ焼きをひっくり返すみたいなかんじ」


 アカネはたこ焼きをひっくり返す時そのままの手振りで、まったく参考にならない手本を見せる。


「人間と違って、視神経でつながってるわけじゃないから、簡単に取れると思う。

 ただ、あんまり癖つけると、くしゃみした拍子に目玉が取れたりするらしいけどね(笑)」

「……いやいや。(笑)って。笑えないっす」


 キミタカは、ぐいぐい押しつけられる眼球入りの小瓶を押しのけ、


「なんで?」

「え?」

「なんでそんな――むごい真似をする必要が?」

「そりゃあもう。“金属病”を無効化するためよ」

「目玉を交換すると、“金属病”がなくなるんですか?」

「うん」

「それは、なんで?」


 強い口調で訊ねる。

 まるで納得できなかった。


「ええと……理屈を説明するの面倒だし、『そういうものだから』じゃ、ダメ?」

「ダメです。もう完璧にダメです」


 アカネはどこか、毒気を抜かれたような顔になって、


「……ええと。まず、あなたの存在が、あくまで人間を模した代用品だということはわかってるよね?」

「はあ」

「でもあなたって、完全な人間じゃあないの。人形と人間の差はわかる?」

「人工的に作られたものと、自然に作られたもの、だとか」

「それじゃ、人形とロボットの差は?」

「金属かそうじゃないか、では?」

「ちょっと違うかな。正確には、ロボットと人形を分ける差異は、“生体部品”が使われているかどうか」

「生体……部品?」

「そ。要するに人形は、有機的な素材が使われているだけで、ロボットとそれほどには変わらない存在なわけ」

「はあ」

「そんじゃ、……ここでちょっぴり想像してみて。いま、ロボットが、人間のをしています。そのロボットは、“金属病”が発病します。……でもそもそも、ロボットと人間はまったく別物。そうでしょ?」

「そう……、でしょうね」


 あくまで漫画知識だが、ロボットというのは、様々な金属が組み合わさった複雑な部品が頭部に仕込まれていて、それによってものを考えているという。

 つまり自分も、――ロボットのように、脳みそでものを考えているわけではない?

 なんだか気分が悪くなってきた。


「あなたの“金属病”はね、あくまで擬似的に再現されたプログラムにすぎないわけ。シズの言葉を借りるなら、『個性』。……つまり、初期インストールプログラム――生まれた瞬間から頭の中に入っていた“能力”なのよ。人間と全く同様の精神的影響を受けるという、マイナスの能力」

「……はあ」

「あなたはこれから、あたしの生体部品を装着する。すると、あたしの『個性』が、あなたの『個性』を書き換えるわ。あなたの、《金属病》という『個性』を、ね」


 その、瞬間だった。

 かつて、とある人に言われた台詞が蘇る。


――あなたは人間じゃあない。

――だから、選んでちょうだい。

――“人間”として生きるか。

――“人形”として生きるか。

――もし後者を選ぶなら、あなたを人間らしく見せている全てを消すことができる。


 キミタカは前者を選んだ。

 自分は、人間として生きてきた。

 これからもそうありたい、と。


「ああああああ、あの、で、でも、やっぱり、眼球を交換するっていうのは……」

「もちろん、他の部位でも『個性』の上書きはできる」

「だったら……」

「でも、この場ですぐ取り替えられる内臓系の部位って、他にある? 眼球だけでしょ?」


 口に鼻に耳、尻の穴に至るまで想像を巡らせてみたが、確かに。

 手術なしに交換できそうな部位となると、……眼球の他にない。


「でも、安心して、あたしの目玉は戦時下で作られた特別製。一度定着すれば、半永久的に使うことができるわ。もし失明することがあっても何度も再生するし、視力は五・〇」

「は、はあ……」

「あなたの《金属病》は消えるけど、――しばらくは、後遺症として残るかもしれない。だから、金属に直接触れたりとか、そういうことしないこと。それと、アイカがいるのは、例の自衛隊基地の跡地よ。あの子も、あの中にさえいれば、敵はあたしだけだと油断するはず。あたしがアイカをひきつけるから、ばしっと一発、決めてちょうだいね」

「いや、あの」

「助かるわー。正直、あんたの覚悟、舐めてたよ。でも、、なんてさ。ちょっと格好良かった。

 それじゃああたし、急がなくちゃいけないから。

 あんたもさっさと済ませて、追いついてね」


 気がつけば、物凄く断りにくい空気が作り出されていた。

 アカネは立ち上がり、隠れていた木陰から飛び出す。


「あー、ちょっとちょっとちょっと! ってか、よくわからないんですけど、そこまでする必要、あるんですか? 基地から敵をおびき出すとか。うまくすれば、敵に他の人形の増援が来たと勘違いさせることができるかも……」

「無理よ。あたし、あんたとシズ以外に、人形の友達、いないもん。それに本当かどうかはわからないけど、さっき、やつからメッセージが届いたわ。物の怪の大半は、第三十二国民保護隊に突撃したらしい。どうやら、何人かは捕虜になっちゃったみたいね」


 ぐっ……と、息が詰まり、声が出なくなる。

 先輩たちがやられているのか。


「だから、実はあたし、急いでるんだ。

 あの子のことだから、無茶な真似はしないと思いたいけど……」


 そういうアカネは、少し寂しげだった。


「残念だけど、策を弄している暇は、ないの。

 今のあたしにできる、唯一の頼み事が、これ」


 目玉が入った小瓶を、爪の先でこん、と叩く。

 突如として深刻な病気を言い渡された気分だ。酷く現実感覚がない。


「……状況は、わかりました。ただ、最後に一つ、いいですか」

「ん? 何かな? なんでもしてくれるキミタカくん」

「ひょっとしてあんたさっき、わざと俺に、挑発を、」


 アカネは長い髪の毛を揺らして、振り向く。


「ひ・み・つ☆」


 小悪魔を通り越して、もはや悪魔的と形容するにふさわしいアカネの唇の歪みに、キミタカは猛烈な頭痛に襲われた。


「でも、本当に、――このまま帰っても、恨まないから」


 最後にそういって、アカネは、たっ、と、右足で地を蹴ったかと思うと、一飛びでキミタカの視界から消え失せた。


 誰もいないことを確認して、キミタカは頭を抱える。


 眼球の交換。

 この提案に、「はいそうですか」と言えるほど、自分の身体に愛着がない訳がない。


 たしかに人形は、自分の身体を交換する「機能」がある。

 いかに長持ちする生体部品といえど、何十年も使えば精度が悪くなっていくし、そのうち使えなくなるためだ。

 古びた肉体を定期的に交換するからこそ”人形”たちは、不老の存在たり得ているのである。

 だが、そんな情報はキミタカにとってなんの慰めにもならなかった。


 まずキミタカが考えたのは、――他に方法はないか、ということだ。


 だが、自分の十字弓の腕では、遠距離からの狙撃には自信がない。

 やるとしたら、どうしてもある程度は接近しなければならない。


 ちら、と、押しつけられた小瓶を見る。

 そこにある、アカネの眼球を。

 紅い瞳が、月光を受けてきらきら輝いていた。


 こんなの、冗談じゃない。

 まったくもって、正気の沙汰じゃない。

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