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この秋禅、つまり本件に於ける相続人である夕景の、更に息子である彼は、本影と同じ様な優雅さを備えていた。その、灰っぽくすらある白い肌と、並の女よりも嫋やかな挙止やポーチを抱えている指は、この秋禅も大した労苦を味わっていないことの、殆ど証跡であろう。しかし、彼女とこの御曹司との違いは、彼は肉体のみでなく精神までもまこと優雅らしいということだった。あの女中の、餓鬼が椀飯を搔き込むような勢いで「交流」を貪り、具体的には、半ば病的に止めどなく話し続けた様子と違い、この秋禅は、語り口まで悠然としていたのだ。
「この度は、有り難う御座います。ほんと、御足労まで含めまして。……しかも、結局おじいの遺書を開けるのって、明日になったんですよね?」
「ええ。天候という、真に已むをえぬ事情で、」と妖崎。
「已むを得ぬって、……妖崎さんがここに居られるんだから、本当はそんなこと無いんだろうけど、」
「はは、手厳しいですね。」
ここで私は、秋禅が、左の耳朶から豆粒より小さい金の八面体を鎖で垂らしているのに気が付いた。彼は、少し首を傾げて、その無益な振り子を僅か揺らし始めつつ、
「しかし、天気がそれほど酷いってことは、妖崎さん達も今から本土へ戻れないって事ですよね。なら、まぁせめてゆっくり過ごして行って下さい。……放蕩息子の俺が言うのも変かも知れないですけど、おじいが酔狂を働かされた事だけは有り、この館、というか島からの眺めは結構なものですからね。ただ、妖崎さんのお仕事のスケジュールとかは気になりますけど、」
「幸いにも、極端に急ぎのものは無かった筈です。まぁ一日仕事が出来ません分は、どうせ二日取る事にしている週休の片方を犠牲にして帳尻を合わせますよ。」
「それでしたら、本当に羽を伸ばして頂かないと駄目ですね。」
ここで突然、その、ぼんやりとしている目が此方を射ぬいた。
「竜石堂さん、不躾ながらお訊ねしたいんですけど、……貴女、人間ですか?」
思わず、変な声が出そうになった。
妖崎とああ企んだ以上、出来る所までは頑張ろうと思った私が、懸命に表情を御しつつ、
「そう、見えませんか?」
と、曖昧な返事をしておくと、
「ああ、済みません。見える見えないと言いますより、そもそも
「ああ、」
そういえば、そうだった。
「そこで、何となくの外形とか臭いとかで相手の種族を占うんですけどね。……人間っぽい見た目だし、臭いも近いけど、これまでに嗅いだ経験とは少し違うような気もするなぁ、と。いえ、皆さんまず見た目で種族を把握されるつもりらしいので、僕らもそうしておいた方が摩擦が無くなるかなぁという位で、大した意味も無いんですが、」
言葉通り、実際大した意味は無かったらしく、秋禅は自ずから話題を変えて、
「ところで、お二人とも、何か申賀さんと話されてましたが、」
私と妖崎が居竦んだのを、この御曹司は何らかの手段で察したらしく、
「ああ、済みません。しかし、僕らって耳が利くんですよねどうしても。阿古がどうだとかこうだとか、話していたみたいでしたけど、」
妖崎は、技巧なのか素直な性格なのか、とにかく堂々と返した。
「ええ、話の流れがそうなりまして、」
「まぁ、あの件については大丈夫ですよ。僕ら家族は、勿論愛しあっていますからね。妹或いは娘を、そんなぞんざいに扱ったりなんかしません。
ただ、妖崎さん、……実は、その阿古のことで、前々から御相談したいと思っていたことが有りまして。」
妖崎は、申賀に対してもそうだったように、彼なりに何か気持ちを切り替える様な間を少し要してから、
「それは、弁護士として、で宜しいですか?」
「はい。……親父ではなく、特に俺からの相談って、顧問の範疇に収まりますかね。」
「収まらないというのが正直な話ですが、血原家の皆様とは御縁がありますし、簡単なことなら伺ってしまいますよ。何か本格的な話なら、手付金を頂戴はしますが、勿論精一杯やらせていただきます。」
「ええっと。多分、簡単な方ですね。合法かどうか、弁護士の人に教えて欲しいだけで、」
そう言いながら秋禅は、抱えていたポーチからVHSテープを取り出した。
「これ、そこのモニターとデッキで掛けてもらえませんか? ああいえ、俺がやっても勿論良いんですけど、何分目が悪いので、操作に梃子摺るんですよね。」
所在なさげにしていた私は、妖崎が返事する前にそれを奪ってしまった。
「有り難う御座います、音量0でちょっと視てもらえますか?」
そう声を掛けられつつ、部屋の隅に有った、古式床しいヴィデオデッキと、此方は中々に新しいものが用意されている大型なテレヴィモニターの前まで寄ってしゃがみ込む。それを差し込む前に、テープに貼られたラベルをふと検めたが、表面に紫の太いマーカーによる金釘字で算用数字の「35」と、それを囲む丸が大書きされているだけだった。背のラベルには、何も書かれていない。
機械の中に押し込んだ後、労せずにモニター電源を入れ、苦労してデッキの再生釦を探しだした。それを、
すぐに、内容が私の目の前で大写しとなった。
まず、一面を占める女の顔である。秋禅と同様のボンヤリとしている瞳と白い肌が、この女が
視点が、引かれていく。顎の下の首許が画面に入って来、そこでは、骨のような頚動脈に吊り上げられている皮が、女が仰向けに寝ながら頭を持ち上げていることで余らされ、斑蛇の腹のように真っ白い帯を連続させている。姿勢によって肉付きが強調された顎と、首の太い動脈による峰の為す三角形の盆地は影を帯び、月の海のようだ。カメラ位置がだんだんと引かれて行くので、ますます阿古の躰が画面に入ってくるが、鎖骨の有るべき場所は、餅のようにぼってりした
しかし、これらが突然意志を揃え、天井の方を真直ぐ見据えるようになる。両脇から登場した彼女自身の腕に、寄せ集められたのだ。そうして
無音声で再生していたが、女の方の乱れた息のリズムは、その何かしらの歓喜に顰められた眉と、上下する肩の様子で瞭然と窺われた。見覚えの有る、燦然たる八面体の金が、男の左耳の辺りで暴れていて、その顎の根元を、根太の出し入れと同じ周期で叩いている。
「と、いうわけなんですよ。」
この秋禅の言葉によって、私は、自分が再生釦を押したままの位置と姿勢で、ぽかんと画面を眺め続けていたことに漸く気が付いた。
「こういう訳なんですよ、妖崎さん。つまり、俺と阿古は、ずっとこういう関係なんです、已むなくね。」
流石の妖崎も、何らかの種類の衝撃に打ちのめされたらしく返事に手間取っていたが、なんとか持ち直して、
「何が已むを得ないのかは摑めませんが、ええっと、まず、秋禅さんの心配は、刑事的な意味と言うことで大丈夫でしたか?」
「ああ、民事とか刑事とか有るんでしたっけ。まぁ、刑事の方でしょうね。」
「そうしたら、……竜石堂先生、貴女の方がお詳しいですよね。」
振られてしまった私は、声音が乱れぬことを祈りながら、
「秋禅さん。まず、近親相姦については、特に刑法は禁じておりません。丁度、不倫を犯しても犯罪扱いにはならないのと同じですね。民事裁判や社会的な圧力・制裁がどうなるかは全く別の問題として、被告人として刑事裁判に立たされることはないです。」
「そう、ですか。意外と寛容ですね。」
「誰と誰が性交渉を行うべきでないのかというのは、宗教的信念やそのコミュニティの常識に依存しますからね。両者が、姙娠その他のリスクについて理解し、然るべく受容乃至回避を行っているならば、少なくとも検察は文句を付けません。」
「成る程、安心出来ました。」
「但し、」私は、意図的に一発、強い声をそう張ってから、「これは、近親相姦のみについての話です。強制性交等罪、旧称で言えば、強姦罪の成立要件についても考えなくてはなりません。」
秋禅が、暗そうな目の上の眉を不服そうに持ち上げる。
「強姦、ですか? 人聞きが突然悪くなりますね。」
私は、渋々もう一度画面を一瞥してから、
「確かに、強制性交には私からも見えませんが、しかし、『準』という字、『
「『準』?」
「刑法の第百七十八条により、『一人類の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は』、同法第百七十七条と同じ様に扱われます。第百七十七条とは、強制性交等の規定であり、平たくいえば強姦罪の事です。つまり、名前は一文字多くとも、同じ様に五年以上の懲役刑の罪として扱われます。」
「ああ、成る程。」秋禅は、そのポーチを、持っていた手で絞るように締め上げつつ、「つまり、兄妹であることは最早関係なく、純粋に、阿古が問題な訳ですか。阿古の精神状態が、その心神喪失とやらに当たるかどうか。」
「そういう、ことですね。私は先ほど『理解』という言葉を使いましたが、性交渉に先立って、彼女が『理解』を本当に達成していたのかが疑問、と言うことです。……秋禅さん、私は検察や刑事としてここに参った訳ではないですし、それに阿古さんについて何も知りませんので、これ以上は踏み込まないでおこうと思うのですが、いかがでしょう。今回お聞きしたことについては、弁護士としての守秘義務を破って良い場合かどうか微妙ですので、私も妖崎も、別に通報など致しませんので。」
真剣な、しかし同時に、苛立ったように不穏でもある相好を見せていた秋禅は、刺すような雰囲気を醸しつつ、暫く、その覚束ない瞳を此方へ向けてじっとしていたが、やがて――何故か一旦小首を傾げながらも――満足そうに表情を緩めた。
「有り難う御座います、竜石堂さん。ただ、ですね。一つ、解決を試みてもいいですか?」
その突拍子の無い単語に、私は眉根を寄せてしまう。
「『解決』?」
「はい。つまり、妖崎さんがさっき『何が已むを得ないか分からない』と言ったり、貴女が『阿古のことについては知らないが』と言ったり、俺は、今この場のそういう事態を解決したいんですよ。即ちこれは、先生達が俺のことを、他言はせぬにしてもとにかく、『準』の付く強姦魔かもしれないなぁ、と思っていて、そしてそのままこの島を去るということを意味するのですから。俺は、そんなのまっぴら御免な訳です。」
この投げつけられた屈折の糺弾を、私は人並みに否定しようとも思ったが、延々法律論を垂れた直後に根拠を示せない誤魔化しを述べる気にもなれず、ただ、向こうの次の言葉を待ってしまった。
「だから、阿古のことを少し俺に話させてもらえますか? 彼奴について知ってもらえれば、もっとちゃんと俺のことを評価して貰えるでしょうから。その結果、ああ確かに準強姦者だったな、と思われてしまうかもですけど、俺は、全部理解さえしてもらえたら、きっと真っ白な人類だと先生方に評価してもらえると、俺の中で信じているので。」
作法を知らぬのか、それとも
つい、不遜に足を組んでしまう。確かに、私へ任せたよな。と、先程の妖崎の言葉を言い訳に、彼を無視して勝手に話を進めた。
「お受け致しましょう。……私、普通の弁護士よりも、少しだけ裁判に詳しいですので。」
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