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人を喚び出した
「いやぁ、お待たせを。」
振り返ると、受話器を置いていた妖崎が、その
「そんなに焦って窓の眺めに見惚れなくとも、大丈夫ですよ。
如何にも、妖崎らしい軽率だと思った。私は風景など見ていなかったし、それに、私が実際に眺めていたものは、五十年以上代わり映えのしていない、それこそ本当に見飽きたものだったのだから。母親の方の妖崎、つまりかつて私の同僚として最高裁判事として職をこなしていた、今は亡き妖崎元判事とは、どうも似ても似つかない男だった。いや、所属小法廷が違ったから彼女とそこまで親しい訳でもなかったが、しかしそれにしても、こんな軽薄の権化のような
ところで、
「妖崎君、その、『イソ弁』と言う言葉は、もしかして、」
「ああ、余り御存知ないですか? 『居候の弁護士』、つまり駆け出しで事務所を持たず、弟子に取られている未熟な弁護士のことですね。いえ、勿論竜石堂先生の場合は法曹人として僕なんか比較にもならないのですから、弁護士ならではの諸手続や俗習をお教えする位に留まる訳ですが。……例えば、『イソ弁』などという、下らない言葉について御教授するですとか。」
そう語りながら、妖崎は彼の執務机に置かれた
私は、何となく腕を組みながら、
「成る程な。弁護士諸君は、そうやって教育される訳か。」
「まず五年くらいそういう丁稚の身分で過ごすのが一般的なんですが、勿論貴女の場合は具合が違うのですから、そんな長い期間も要らないでしょう。その後は、僕のことを信頼して頂ければ、一丁前の弁護士として一緒に働いて欲しいですし、そうならなければ、ウチを卒業してもらって独立していただく、と。」
妖崎は、椅子を引き出して掛けてしまってから、
「今後のことを考えたせいで、ふと思ったんですが、竜石堂先生って後何年くらい生きるんですか? つまり、
私も、空き席を適当に占領しつつ、
「それが、分からんのだよな。老いはしない、つまり誤嚥性肺炎や痴呆を起こしたりはしないが、しかし結局生きている以上腫瘍や心臓の故障を起こす可能性は普通に有る訳で。二百年近く生きた奴も居るらしいが、私よりもずっと若く病に死んだ者も居る。」
「成る程、……そう聞いてみると、案外老いというのは便利な現象なのかもしれませんね。そんな御様子だと、人生計画が立て辛くてしょうがないでしょうから。」
「私のような、子を得も育みもしない存在に、世間並みの計画が必要なのかは疑問だがなぁ。まぁとにかく、向こう五年十年の内は生き延びる可能性の方がずっと高いだろう。暫くは宜しく頼むよ、妖崎君。」
「ええ、来週からお願いします。……ところで先生、その、僕の名前の呼び方なんですが、」
「……うん?」
「ああ、いえ、」妖崎は、寛然と椅子へ背を預けつつ、「勿論僕個人としてはそんな感じで宜しいのですが、しかし今後、『イソ弁』『ボス弁』の関係となって、しかも片割れの貴女の容姿がそんな乙女然としていると、周囲には奇妙に聞こえてしまうと思うんですよ。だからって出先で一々説明するも面倒なので、人間の女性が
「ふむ、」
妖崎を目上において言葉を発し続ける自分を想像してみたが、寒気が走ったし、三日目くらいで胃に穴が空きそうだ。折角老いぬ身なのだから、消化管は大事にせねばならない。
すると、手打ちな所は、
「『妖崎先生』。……これで、いいかな。」
「悪くない、と思いますよ。実際医官や教育官は、上下関係なく身内を『先生』と呼び合うらしいですから、同じ様なものと思えば丁度良いでしょう。」
妖崎の企みを聞いて、私は一つ気が付かされていた。つまり、その、私が小娘に見えることを前提としていた
この変転については、しかし実は、楽しみの方が大きかった。私は種々のものを失ったのだろうが、その代わりにこれからは、世俗的な、多くのものを
ふと、また窓へ視線をやった。時刻が更に深まったので、ますます内側の景色がはっきりと写り込むようになっている。泛かんでいる、染みの一つも無い私の顔には、全く死の徴候など及んでいなかった。ならば、やはり、私はまだまだ学び続けねばならぬだろう。新たな世界を見知ることによって得られる、謙虚と衝撃で、永く生き過ぎる精神の放埒を戒めていかねばならないだろう。
突然、外の街灯が灯り、私の虚像の額に輝点を投じた。
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