無私の蜥蜴女
敗綱 喑嘩
序
久方ぶりに使用された大法廷の傍聴席は、期待された通りに満席であった。仰ぐ者に、牧場の家畜を連れ去る未確認飛行物体を思わせる、余りに壮大な天窓が、その豊麗な光量を以て、今日も法廷内の種々な意匠の存在を危うく消し飛ばしかけている。奥まって高く居並ぶ十五人の最高裁判事達の殆どは、その放恣な光の到達を免れており、薄暗い展示台へ鹿爪らしく並べられた胸像のようだ。しかし、天窓の
定刻となり、撮影用に凍りついていた判事らも理窟の上では自由となったが、その解放を謳歌する者は一人も居らず、最小限に書類を手繰る長官を除いては、ただ、胸像の微動だにせぬ礼儀正しさを維持し続けていた。
「判決を言い渡します。主文、本上告を棄却する。」
傍聴席からは大きな落胆の雰囲気が洩れてきたが、原告弁護団の絶望はそこまででもなかった。たとえ係争上は棄却と言う門前払いであろうとも、何かしらの法的判断が下されることは、まだここから充分期待出来る為である。つまり、「どうやら残念ながら我々の依頼主には何ら利益が無さそうだが、何か世の中がひっくり返るようなとんでもないことを(何せ大法廷回付だ!)、最高裁の意見として述べてくれるのではないか。……それも、今後国家に永久に残る爪痕として!」と、弁護士の彼らはその能力で尤もらしく期待したのだ。
だが、その期待も、長官が
しかし、
「
長官がこの言葉を発し、手許の文書を置いて口を閉じると、むっつりしていた原告団は互いに見合わせつつ小声で騒つきはじめた。対する被告側、つまり国側の代理人団もどこか浮き足立っている。
まさか、と思う彼らの畏ろしい予感は、長官に隣る、見た目麗しい竜処女が朗々と語り始めたことで的中となった。長官以外の判事が、大法廷で発言するだと?
竜石堂の、若々しく、しかし同時に太い声は、法廷内の隅々まで伸びやかに響いた。
「民法七七〇条により『配偶者に不貞な行為があった』場合に離婚の訴えを提起出来ることや、また多くの民事事件の判例や社会通念に照らしても明らかなように、婚姻は当事者両者に厳格な貞操義務が課されるものであり、ならばそれは嫡出子を儲け、育むことや、その為の性行為を当該者間のみで為すことを社会的に宣言することによって、それらの行為に対する障碍を社会的に排除することを、基本的な目的の一つとしていると考えられる。仮に、体質、疾病その他の事情により事実上嫡出子を得ることが困難と思われる場合でも、互いが生存して遺伝子が存在している以上、夫婦が男女間であるならば、実際に嫡出子を授かる可能性は、現代や将来の科学技術をもってすれば、常にゼロではない訳で、またその困難性を客観的かつ画一的に評価することも、婚姻に関する諸事務を執行する行政機関においては事実上出来ない訳であり、よってこの様な場合は婚姻を認めるのが相当と思われ、現在も実際に認められている。
然るに、二者が同性である場合、少なくとも現時点の医術や技術では実子を得ることは絶対に不可能なのであるから、同性間の婚姻が認められないことは、本国における婚姻制度の理念に照らして不自然なものではなく、よって、原告等の主張は必ずしも認められるものではなく、本上告は棄却されるべきである。」
言葉が進むにつれて、聴衆の醸す幻滅の色は濃くなっていった。そんな、道のりが多少異なるだけで、結局本判決と変わらぬ、――いや寧ろ、詐欺的な期待を伴った分だけ余計に下らぬことを、貴様はわざわざ慣例を破って述べ上げるのか、と。
敵意を含んだ空気がその顔許まで及んでいるのは明らかであるのに、竜石堂は、一旦息を呑むような間を取ってから、露と動ぜずに高みから朗読を再開した。そして、この瞬間を明確な区切りとして、法廷の不穏な雰囲気は、何か感動的なものへみるみる塗り変わって行ったのである。
「但し、原告らの述べるように、婚姻によって得られる社会的立場の確認や法的な立場の獲得が叶わないことによって、互いを愛する二者の同性愛者の人類権が、婚姻可能な者らと比して酷く制限される場合が有るのは明らかであり、また実際に妥協策として養子縁組を用いるなどの手法を曲解的に強いられる者も少なくないのであり、このような現状が、性別間の公平を保証する憲法第十四条に反することは論を
しんとなった。多数意見にならなかったとは言え、原告団に希望を与え、そして立法府を叱り飛ばすような言葉が、永くに渡った闘争の末にとうとう与えられたのである。
十五人の最高裁判事の中で、これを言えるのは彼女だけであったのだろう。彼女は、
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