第9話 ドウセツの傷

 ドウセツとの『会話』の後、クラウスはドウセツの言葉通り、彼のドージョーのモンテイとなった。

 ドージョーに併設されたドウセツの館の一室に住むことを許され、翌日から他のモンテイと共に、剣の道を求める生活が始まった。

 一日はドージョー内外の掃除に始まり、ドージョー近隣の山野森林を走ることで基礎体力を養う。実際に剣を打ち込み合う鍛練の他、特徴的であったのはザゼンと呼ばれる鍛練で、心静かに瞑想をする、というものだった。剣と心、即ち精神は直結している、という考え方がサムライの間にはあるらしく、クラウスは経験したことのないこの鍛練に、ひどく共感した。剣は、筋肉だけでは振れない。クラウスの実感としてそれは心の中に存在していたが、それをどう表現し、鍛えるのかという考えまでには至っていなかったからだ。

 それらモンテイに課せられる数多くの鍛練が、クラウスにも他のモンテイと変わらぬ形で与えられた。盲目であることは考慮されておらず、その都度、鍛練の内容に応じて工夫が必要になったが、クラウスにとってそれは、むしろありがたいことであった。騎士長であった頃の中では、積み重ねることのできなかった体験を積み重ねることで、クラウスは鍛練だけでなく、ドージョーに関わる全ての物事で、元々騎士として培った、『気配を察する能力』をより強く、戦いの場だけではなく平時にも、無理なく感じ取れるようになっていった。



 そんな生活が続き、気がつけばシホの元を旅立って、半年以上の月日が流れていた。


「ふむ。クラウス殿、隣、よろしいか」


 穏やかな陽気だった。いまはこの目で見ずとも分かる。眼下に広がる青々と繁った木々の波が、そよ風に揺れている。腰を下ろした草原の緑も美しく、風にゆっくりと揺れる。ここはドージョーの北側に位置する崖の上で、ドージョーとその周囲を一望できる場所だった。もちろん、クラウスにはその光景は、感じ取ることしかできないが、半年前に初めてここに立った時よりも、確実に色濃く『見る』ことができているように思っていた。


「ここはよい場所です。この島の美しさがよく分かる。遠くには海も見えますからな」


 クラウスの返答を待たずに、声の主は隣に腰を下ろした。ブンゴだ。


「……訊かないのですな、クラウス殿」

「……何をです」


 ブンゴはドウセツのドージョーの筆頭モンテイであり、ドウセツに代わり、指導する立場にもある。この半年、この男にはずいぶん鍛えられて来たが、悪い感情はなく、むしろ親交を深めていた。こうして並んで話すことも初めてではないし、もう違和感はない。


「なぜオヤカタ様がそなたをモンテイにしたのか」

「……もしくは左足のこと、ですか」


 ブンゴが驚いた気配があり、その後大きな笑い声が蒼天へと登った。ブンゴはクラウスと同じくらい、体格に恵まれた男で、その身体つきから想像される通りに、豪快な性格の男だった。


「全く、やはりそなたは常人が目で見るより、余程様々なことが見えてるようですな!」

「……日々の鍛練の賜物です」


 ありがとうございます、と付け加えたクラウスに、ブンゴが小さなため息を吐いた。クラウスは気にすることなく、言葉を続ける。


「理由はどうあれ、オヤカタ様がわたしをモンテイとして迎えて下さり、いままで鍛練して下さった。それだけで、わたしには十分です。ただ……もし、ブンゴ殿が訊ねよ、と仰るのであれば、わたしはあの左足の状態を訊ねるでしょう」

「実にクラウス殿らしい考え方だが、何故気にかかるのです? オヤカタ様は老齢である。自力で歩けずとも、そう珍しいことではないのではありませぬか?」


 クラウスはドウセツと初めて会った廊下のことを思い出す。あの時、ドウセツはシンタに支えられて立ち上がった。その気配でクラウスはドウセツの左足のことに気づいた。気づかれたドウセツは、クラウスに足のことを告げた。その時の気配が、クラウスの中に居着いて離れない。あの後悔と、僅かな悲壮の念は、なんだったのか。決して老齢が原因ではないことを、あの気配が雄弁に語っていた。


「……おそらく、刀傷が原因でしょう。誰かに……もしかしたら、ごく近しい人間に打たれた……」

「それを、オヤカタ様の気配から察されたのですな」

「……ええ。違いますか」


 ブンゴが背中から草原に倒れ込む気配があった。ブンゴの巨体に潰された青い草が僅かな音を立てる。


「……実はわたしが気になっておったのですよ。オヤカタ様は何故、深くは知らぬクラウス殿をモンテイとして迎えたのか。……いま、分かり申した。確かにそなたは『心眼しんがん』のほとりにいる」


 そういうと、身を起こしたブンゴが、何かを決めた気配を放った。


「……この話をわたしからしていいものかは、分かりかねますが……」


 ブンゴが何かを語りだそうとしたときだった。突然、どーん、という大きな音が響いた。身体に振動を感じるほどの音は、眼下のドージョーの入口辺りから響いて来た。クラウスはすぐに立ち上がる。ブンゴもやや遅れて立ち上がった。

 人々の争う声が聞こえた。何度か響く音は、門を打ち破ろうと複数の人間が板戸に殺到している音か。


「クラウス殿……!」

「……戻りましょう。いったい……」


 いったい、何が。そこまで口にすることはなく、クラウスは草原を駆け出した。ドージョー生活が長くなり、彼らと同じ、彼ら東方諸島の民族衣装のひとつ、濃紺だというドウギを纏ったクラウスは、胸元が大きく開くのも気にせず、全力で走った。同じ色のハカマという下履きが、足に絡み付く違和感があったが、それを考えている間はなかった。何が起きているのか。誰と誰が争っているのか。そもそも争う理由は何なのか。皆目見当も付かない。それでも、いまは、守らなければ。全ては、守ってからでも遅くはない。

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