第22話 決着

 確かな手応えがあった。黒い外套の切れ端が宙を舞った。

『九人目』の身体が、錐揉み状態に回転しながら弾き飛ばされる。『イアイ』の威力を左半身だけに受けた結果だ。刀傷から漏れた血が飛沫となって帯を引き、物見砦の広い部屋に拡散する。

 だが、『九人目』が石床や石壁に叩き付けられる音は続かなかった。回転しながら飛んだ『九人目』の身体は、最も近い壁の中に、吸い込まれるように消えた。蛇腹剣の、あの百魔剣の力だ。クラウスは気配を探るが、やはり捉えることができない。


「ふざけんな……聞いてねえぞ、雷切が……魔剣の使い手が他に移ったなんぞ……」

「そうだな。言っていなかった。だが、いま移ったのだ。許せ」

「……だから、何なんだてめえ、くそ真面目に……ふざけやがって……」


 クラウスは雷切を鞘に戻す。浅い手応えではなかった。それ故に浅い傷ではないはずだった。だが、刺客の気配は読めなくなったが、その声から感じられる闘志は、潰えていなかった。『九人目』は、まだ戦う気だ。


「負けられねえ……負けられねえんだよ……キョウスケの野郎には……おれが、このトロワ・メデゥサが、『博士の鼠たち』の中では最高に最高なんだ……最強で最高なんだよ!」

「『鼠たち』?」


 クラウスがおうむ返しに呟いた瞬間だった。唐突に壁の中から蛇腹剣の刃が飛んできた。映像としてはっきり確認した上で、クラウスはそれを上半身の身のこなしだけで避ける。


「あの野郎と同じ様に、まだおれたちが『使える』ことを示すんだよ……その、キョウスケでも手にできていない魔剣雷切を手土産にして……だから! てめえにも! 負けられねえんだ!」


 はっきりとした事情はわからない。恐らくは『円卓の騎士ナイツオブラウンド』の中で勢力争いがあり、キョウスケが現れたことで、この『九人目』……トロワ・メデゥサを含む勢力が力を失った、ということなのだろう。それを盛り返すために、雷切を奪いに来た。

 引くつもりは、ないようだ。


「……次はないぞ、トロワとやら。次は確実に、命に届く」

「へっ、暗殺者が、殺す対象に心配なんぞされてたまるか。てめえはさっさと死にやがれ。めんどくせえ」


 再び、蛇腹剣が、今度は石床から飛び出す。クラウスは跳躍して下がり、これを避けたが、その直後、蛇腹の刃は真横の壁から飛び出した。どうにか身を捻って避けはしたが、その時に脇に受けた突きの傷が猛烈な痛みと血を吹き出した。


「偉そうにべらべら喋りやがって。てめえもその傷なら、じきじゃねえか。さっさと死ねってんだよ」


 蛇腹剣の猛攻は止まらない。雷切を鞘に納めたクラウスは、身のこなしだけで避けるだけになる。


「このおれに、この魔剣フォンダンの力がある限り、てめえの雷切は届かねえ。諦めろ!」


 だが、言葉とは裏腹に、蛇腹剣の剣速は明らかに落ちていた。やはり傷は浅くない。そういう相手は必ず、慌てる。


「……残念だが、トロワ。おれに諦めるという選択肢はない」


 クラウスは先ほどとまったく同じ姿勢を取る。右足を踏み出し、腰を落とす。雷切を納めた鞘を左手で握り、刃が外へ向くように倒す。そして雷切の柄に、右手を添える。


「おれは聖女の騎士。シホ様が諦めない限り、おれには諦めるという選択肢が、そもそもない」

「……へ、そうかよ。サムライの間違いじゃあねえのか? まあ、どっちでもいいか。とにかく、死ね」


 気配は相変わらず掴めない。強いて言えば、部屋全体からトロワの気配を感じた。魔剣の力を使い、部屋の壁や床に溶け込むということはつまり、この部屋と一体になっている、ということなのかもしれない。

 クラウスがその理解に至る直前、蛇腹剣が特有のしなりを見せながら、クラウスの頭上……石造りの天井から落ちてきた。クラウスはそれを一瞥し、駆け出す一歩を踏み出した。

 二歩目を踏み出した時には、クラウスは常人では達することのできない速度を得ている。雷切から力が流れ込み、広間の端から端までを、一瞬にして駆け抜けた。


「くそがっ!」


 そのクラウスに追い縋るように、蛇腹剣が背後から迫った。だが、その刃はクラウスの背には届かない。それがクラウスにはわかっていた。速さがその原因、というだけはない。

 意識を僅か外側へ持っていく。するとクラウスの周囲を、無数の青白い光の球体が取り巻いていた。それが雷切から発せられる魔力によって生み出された、稲妻の球であることにクラウスはすぐに気付いた。

 その球が、クラウスの動きに合わせて、クラウスの後方に広がっている。蛇腹剣がその球体に触れると弾け、剣の軌道を逸らした。何度も何度も、蛇腹剣は弾かれて、その刃は決してクラウスの背中を捉えることができなかった。


「あああ、めんどくせえ!」


 ついに、トロワと名乗った九人目の刺客は石床の中から飛び出した。背を向けたクラウスの背後で、蛇腹剣の刃の可動域を最大に展開し、自分の身を包み込むようにしたトロワは、体当たりの要領で雷切の球体を打ち払いながら、クラウスの背後に肉薄した。


 その剣は稲妻。


 クラウスは背後に発した暗殺者の気配を確かにした。その上で、


 まさしく紫電の如く、敵を討つ。


 師ドウセツの声が聞こえていた。

 クラウスは壁に激突する直前、その壁を蹴りつけた。


 紫電の如く、だ。クラウス殿。


 ドウセツが笑う。クラウスはその笑みに感謝した。あなたが師でよかった、と。


 石壁を蹴りつけ、無理矢理に軌道を変えたクラウスは、そのまま。すぐ背後に迫ったトロワを置き去りにし、壁を走った青白い稲妻は、トロワの背後を取る位置に立つと、その場でイアイの構えを取った。深く、息を吐く。

 唐突に身を翻し、しかも剣の間合いに踏み込んだクラウスに対して、驚愕の表情を浮かべたトロワが、慌てて振り返る。だが、遅い。

 クラウスは雷切の鯉口を切った。

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