第21話 紫電の如く

 百魔剣のひと振り、雷切らいきり伝授の修行は、『心眼しんがん』を会得する修行と平行して、ドウセツとほぼ一対一で行われた。ほぼ、というのは、ドウセツの付き添いであるシンタの存在で、彼の少年はドウセツだけでなく、クラウスに対しても、盲目で不自由があれば、優しく、甲斐甲斐しく、手を貸した。

 そうした日々の中で、雷切のような『カタナ』と呼ばれる、東方諸島郡の戦士『サムライ』が振るう特有の武器の、扱いに対する手解きを、クラウスはドウセツから直接受けたことはなかった。元々、半年以上、ドージョーで鍛練した時間の中で、兄弟子であるブンゴやその他のモンテイたちに鍛えられ、騎士剣とは異なる武器の特徴とその扱いを叩き込まれていたからだろうとは思う。それが達人である師、ドウセツの眼鏡にかなう領域に達することができていたのだろう、と。

 ただ、ひとつだけ、ドウセツがクラウスに直接指導をした剣術がある。その剣術はドウセツが最も得意とする剣術であり、ドウセツ曰く、『心眼』と『雷切』の双方が揃ったとき、真の強さを発揮する。ブンゴやその他、高位のモンテイにも指導はしているらしいが、『心眼』と『雷切』が揃った状態のその剣術は、それらどちらかが欠けた状態とは比べものにならない。


「ニノタチイラズ、だ。クラウス殿」

「ニノ……?」


 閉ざされた闇の向こうで、ドウセツが片足を引き摺りながらクラウスに近づく気配があった。


「この剣術の名は『ニノタチイラズ』。わしが知る限り、これより速い剣はない。故に一刀を以て敵を葬る、二振り目を必要としない『二の太刀要らず』という」


 一刀必殺。

 かつて、神殿騎士の長であった頃、自分に付けられていた渾名を思い出す。

 クラウスはずいぶん久しぶりに微笑んだ。



 

 ドウセツに手解きを受けた日の記憶が、クラウスの脳裏を駆け抜けた。クラウスは右足を一歩、踏み出した状態で、また一段と深く、腰を落とす。左手に握った雷切の鞘を、刃が外に向くように傾ける。

 ぱちり、と何かが弾ける音がした。音は連続して起こり、その間隔は徐々に短くなる。


「なんだ?」


 鼻と口を黒い布で覆い、頭にも頭巾を纏った姿で、確認できるのは頭巾から漏れ出た男の長い焦げ茶色の髪と緑色の瞳、そして左目の上下、額から頬にかけて縦一列に伸びた、何かの文字のような刺青だけだった。頭巾は上半身に纏った黒い外套と一体になっているもので、口数の多さに反して、そうした格好は、実に暗殺者然としたものであった。

 クラウスは雷切に添えた右手を離し、顔についた血を拭った。すると相手の黒い外套姿から。よりはっきりとした、赤混じりではない黒い色を認識できるようになる。やはり、間違いなかった。


「てめえ、まさか、雷切を……!」


 蛇腹剣を握った黒い外套姿が、先手を打とうと動いた。クラウスにはその姿がはっきりと

 クラウスはもう一度雷切を握る。これまでドウセツの前で、何度握り締めても、この鞘から抜き放つことはできなかった。その前に、溢れ出る魔力におののいたクラウスが手を離してしまうか、本当に強すぎる力の前に拒絶され、弾き飛ばされてしまうか、どちらかだった。

 だが、いまは不思議なほど静かだった。雷切も、自分の心も。傷付き、生命の危機にあって、肝が座ったのか。いや、それでは雷切の魔力が穏やかである理由にはならない。それに、自分も、生命の危機を感じて抱いたのは、覚悟ではなく、ある人の姿だった。


 我欲。確かにそうかもしれぬ。


 黒い外套姿を。目の見えぬクラウスがいま、はっきりとした対峙した『九人目』の姿を見ていた。クラウス自身にも、何故見えるのか、何を通して見ているのかの説明はできなかった。『九人目』の黒い影が、奇妙なほどの緩慢さで動く。その不思議を感じながら、クラウスは頭の中で流れる声を聞いた。


 我欲。だが、それを否定できる人間などいない。


 それは、いつか聞いた言葉であった。同時に、言われた記憶はない言葉でもあった。だが、クラウスは納得をしていた。師ドウセツほどの達人、精神世界での立ち回りだけで、相手を追い詰めることのできる剣士は、修行として一対一で対峙し続ける日々の中で、多くの言葉を語りかけていたのだろう。クラウスはそれをしっかりと。本人でも意識できない、精神世界の中で。


 要となるのは、用いり方なのだよ、クラウス殿。そなたの欲は、誰かを傷付けるものではない。誰かを否定するものでもない。誰かに望まれるものだ。


 ドウセツの声を聞きながら、ドウセツの姿は思い浮かばなかった。ただ、クラウスはシホを見ていた。


 クラウス殿。そなたに欠けているのは、自らの存在を認める心だ。許してやれ。お主の帰りを待つもののために。


 そうか、とクラウスは得心する。いま、何故こんなにも心が穏やかなのか。こんなにも雷切が穏やかであるのか。

 魔剣は、道具である。道具は、使うものの心を映す。クラウスは自身を否定し続けて来た。それは没落貴族である母に、役立たずと罵られ続けた幼少期に始まり、妾の子として疎まれ、教会組織内に捨てられた十代の頃には常態となっていた。自ら死を選ぶ、という選択肢を持たない幼子だったが故に、どうにか生きることができていたが、ただ息をして、修道院の中で規則を判で捺すだけの生活をしていた。それが幼いクラウス・タジティの全てであったし、それ以上、変わることのない世界のはずであった。

 それを変えたのが、シホという存在だ。実の母よりも慕う第二の母とでも言うべき存在から託された、あまりにも無力な存在。後をついて歩いては、時折、弱々しい笑顔を見せる存在。

 守らねば、と思った。命を賭けて守らねば、と。それがいつしか思慕の念になっていた。それ故に、クラウスは百魔剣に囚われる、という大きな失敗を犯した。

 変わり始めた世界が閉ざされ、その代償であるかのように視力を失った。シホの騎士としてあり続けたいと願いながら、その心は自分を否定する、かつての自分に戻っていた。


 我欲。いいではないか。


 いま、クラウスにはシホに寄せる思慕はない。いや、思慕では説明ができない、そんな想いを抱いている。それは事実だった。ただ、それが自分に許されることだとは、どうしても思えなかった。シホは、クラウスにとって生きる意味。存在理由そのもの。それを、その想いを、認めていいと言うのだろうか。


 我欲でいい。お主の大切なものを、お主を大切に想うものを、守れ、クラウス。


「……そうか。おれは、そうか」


 刹那の間に駆け抜けた師の言葉を、シホの姿を、クラウスは雷切を握る手の力とした。力強く握り締めた雷切は、やはり穏やかな魔力をクラウスに伝えてくる。魔剣は、道具である。道具は、使うものの心を映す。いまならば、いまの自分ならば、応えてくれる。それが、わかる。


「死ね、サムライ!」


『九人目』が右肩に振り上げた蛇腹剣が、掛け声と共に放たれる。振り下ろされる刃は鞭のようにしなる。その独特の軌道が自身に届くのを待つことなく、クラウスは間合いを詰める一歩目を踏み出した。


 二の太刀要らず。その剣は稲妻。まさしく紫電の如く、敵を討つ。


 師の言葉が、クラウスの右手を導く。鯉口を切った雷切から、青い稲光が迸った。


 二の太刀要らず。またの名を……


 蛇腹剣がクラウスの身体を捉える一瞬前、ついに雷切が抜き放たれた。雷鳴の如き音と、光を伴い、鞘から飛び出した刃は、身を低く構えたクラウスの右手の先で、『九人目』の蛇腹剣の下を掻い潜り、『九人目』の身体を捉えた。


「……イアイ」


 心の中で聞こえる師の声に乗せて、クラウスが小さく呟いた。

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