第20話 暗殺者 vs 剣士
「存在そのものが眉唾物の百魔剣について、ずいぶんと詳しいあんたは何者だい?」
「何者だ、と言われて、答えるわけはない。そう言ったのは貴様だ」
「……なんだ、てめえ、くそ真面目に……お前みたいなやつは、キョウスケの野郎の次に嫌いなんだよ、おれは。めんどくせえ」
『九人目』の気配が、石床に呑まれて消える。
「では、そのキョウスケと剣を交えたことのあるもの、と言えばわかるか」
「わかるわけねえだろ。おれもあいつも、何人殺してると思ってんだ。相手にしたやつなんぞ、いちいち」
気配は消えたのに、声だけは聞こえた。その声が、突然笑い声に変わる。
「待てよ、待てよ待てよ、てえことは何か? あんた、あのキョウスケとやり合って、死ななかった、ってことか?」
「……そうだ。負けはしたが」
クラウスは奥歯を噛み締める。百魔剣『
『九人目』はそんなクラウスには構うことなく、笑い声を上げる。声が聞こえるのに、気配がわからない。こんな経験は初めてだった。
「負けて!? 死んでねえ!? 訳がわからねえ!! でも、いいぜ、あんた、最高だ。最高にムカつく野郎だが、最高に最高だ。最高に殺してえ」
その気配を察知できたのは、奇跡である。偶然、と言ってもいい。クラウスは飛来するものに向かって、鞘に納められたままの
がき、と重たい金属の音がして、壁から突然生えてきた蛇腹剣の刃を金属の鞘が弾いた。
「てめえ、いまのわかってなかったろ!? 腹立つな!!」
「貴様は少し言葉が過ぎるな」
辛辣な言葉を返すものの、否定はできない。次に防げるかどうかはわからない。相変わらず、『九人目』の男の気配は掴めない。
『九人目』の不機嫌な男が持つ魔剣が、何と言う名を持つのかはわからない。おそらく、シホならばわかるだろうが、クラウスにそこまでの知識はない。シホならば、剣の形状と能力を伝えただけで、その名を言い当てる。
そう、剣の形状と能力だ。それだけははっきりした、とクラウスは未だ鞘に納められたままの雷切を腰に
「剣士は、総じてもっと静かなものだと思ったが」
「うるせえんだよ、雑魚が! おれは剣士じゃねえ、生まれてこの方ずっと暗殺者だ。お前やキョウスケみたいなブシドー?なんて遊びは知らねえんだよ」
「……暗殺者なら、なおのこと隠密であるべきではないのか? キョウスケのように」
「はい、偏見ー。だから堅物は嫌いなんだよ!」
今度は背後に、『九人目』の気配が現れた。斬られる、と反射的にクラウスは振り返ったが、その瞬間、稲妻が走るように、クラウスの脳裏にある映像が過った。考えるよりも早く、クラウスの身体はその映像に沿って動く。振り返った上半身を、お辞儀をする要領で前に倒した。
クラウスの頭上を、重たい金属の刃が行き過ぎた。それは間違いなく『九人目』の蛇腹剣だった。視力に頼れないクラウスには、想像する他ないが、おそらくは背後に立った『九人目』が、蛇腹剣のしなりを利用して、クラウスを回り込むように刃を振ったのだ。
たったひとりでも、相手を挟撃するような攻めが可能な敵。クラウスは『夢幻』の力で分身することのできたキョウスケとの戦いを思い出した。
あれほど絶望的ではない。だが、厄介なことは確かだった。相手の気配がわからない。壁に、床に、埋没する敵。それこそが、『九人目』の持つ蛇腹剣状の百魔剣の力なのだろう。
「はあ!? てめえ、またわかってねえのに……」
低く身を沈めた姿勢から、無駄口を叩く自称暗殺者の足元を狙って、クラウスは蹴りを見舞う。だが、これを相手は軽やかに跳躍して退くことで避けた。跳躍した先は壁だったが、男はそのまま壁の中に消える。また気配がわからなくなった。
「ちっ! めんどくせえめんどくせえ! キョウスケが仕留め損なったなら、おれが仕留めりゃ、あの野郎に嫌味のひとつもくれてやれるかと思ったが、めんどくせえ!」
「……ずいぶんキョウスケを嫌っているようだが、同じ組織の仲間ではないのか?」
「はあ? あんな野郎と仲間だあ? ふざけんな、雑魚が!」
気配はわからない。だが、またクラウスの脳裏に映像が過った。足元。そう理解するよりも早く、クラウスはその場で飛び上がったが、その瞬間に別の映像が過り、衝撃は真横から来た。
波を打つように暴れる蛇腹剣の刃が、クラウスの足元で弾んだ後に、クラウスを追うように飛び上がったのだ。切っ先がクラウスの脇腹を捕らえ、避けようもなく突きを受けた。衝撃を殺すこともできずに反対側の壁まで飛ばされ、クラウスは頭から叩き付けられた。
「よっしゃー、めいちゅーぅ! 死んだ? 死んだ?」
『九人目』のおどけた声が聞こえた。頭部に傷を負ったらしい。血が流れている冷たい感触がある。脇腹は、衝撃の割に傷は浅い。深くは突き刺さらなかったようだ。それでもやはり、血は流れ出ている。
クラウスはそれらの確かに感じながら、ある納得を噛み締めていた。
始めに蛇腹剣を避けたとき。
次に背中側からの刃を避けたとき。
そして、いま、脇腹に一撃を受けたとき。
全ての瞬間に共通して起こった、ある感覚。それは、知っている感覚だった。ただ、忘れていた感覚だった。初めの一刀を避けたのは、奇跡だと思った。背中側からの刃も、わかってしたことではないと思った。だが、それは違ったのだ。どちらも、クラウスはわかって避けていた。その理解に至った感覚を、クラウスは暫くの間、忘れていたのだ。
「まさか、もう死んだ、なんてことはねえよなあ?」
「……そうだな」
クラウスは応えて立ち上がる。やはり、頭から血が流れ、顔全体を被っている。それが、わかる。
取られよ、クラウス殿。
あの日、師ドウセツが口にした言葉を、クラウスは思い出した。
この剣が、教えてくれる。
なるほど、確かに、とクラウスは腰に佩いた雷切を、左手で強く握り締め、腰を落とした。そして雷切の柄に、徐に右手を添えた。壁から外に出ている『九人目』の気配は、いまは正面にある。赤く染まる気配に、クラウスは納得を深める。
「あ? なんだ、そりゃ? てめえ、魔剣の……」
『九人目』が何かを言おうとした。その言葉を、クラウスは最後まで聞こうとはしなかった。
一歩を、踏み出す。
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