第7話 ドウセツ老師
『ドージョー』と呼ばれるものが、武術訓練施設だとわかったのは、出入口で出迎えた数人の戦士……サムライと呼ばれる男たちが鍛練をしていた気配からだが、ブンゴに導かれてドージョーの奥へと進むと、クラウスの知っている神聖王国カレリアの武術訓練施設とは、異なる気配を感じるようになった。
空気が、静かなのだ。
騎士団が訓練を積む施設は、何処と無く殺伐としている。殺気、とまでは言わないものの、それに近い気配に満ちていて、鍛練を積むものたちの怒号、鍛練をさせるものたちの怒声が響いていた。
だが、このドージョーにはそれがない。ただあるのは、ひとりひとり、一心に剣を振るう、真摯な空気だけだった。鍛練する側、される側はある様子で、怒鳴り声に近いものは聞こえている。だが、それが不思議と殺伐としていない。空気が、澄んでいるのだ。
この違いは、何なのだろうか。そんなことを考えながら、クラウスは板葺きの床をブンゴに従って歩いた。
少し前に建物の中に入るとき、靴を脱ぐように言われた。裸足で冷たい板葺きの床を踏む感触が不思議だが心地よく、クラウスは奇妙な体験だ、と思いもしたがすぐに慣れた。
板葺きの床に板葺き壁、天井。そんな木の温度に包まれた建物内を暫し歩くと、不意に正面から空気の流れを感じた。行き先のどこかで窓が開いている。いや、それにしては流れる空気の量が多い。
中庭か? とクラウスが顔を上げると、前を歩くブンゴが立ち止まる気配があった。
「オヤカタ様。マキが参りました」
「ドウセツ様、こんにちは!」
中庭と思われる広い空間があり、そこに向かって廊下全体が開けている様子を感じた。神聖王国では見られない、特殊な作りだ。その廊下から中庭に降りられるようだが、その降り口の辺りに二つの気配が座っていた。ひとりはマキよりも幼い子ども。もうひとりは老いた男性のものだ。
「おお、マキか。いつもすまないな」
「いいえ! うちもゴヒイキにしていただいて、助かってます!」
およそ物怖じという言葉とは無縁のマキは、先ほどまでとまるで変わらない様子で、老人に答える。好々爺然とした空気を纏う老人は、その気配にふさわしい穏やかな声で頷くと、隣に座る子どもの頭を撫でて、
「シンタとその母だけでは、モンテイの分まで昼を作るのは大変でな。いつも助かっている。ありがとう。ところで……」
老人の視線が、自分に向いたことにクラウスは気付く。
「そちらのゴジンは、旅の方か」
老人がそう口にした瞬間、凄まじい威圧がクラウスに飛んできた。先ほどのブンゴと同じだが、重量が圧倒的に重い。気配は線の細い、痩せた老人のものに代わりはない。だが、その威圧感は、思わずその場で膝を折ってしまいそうになるほどのものだった。このままではいけない、とクラウスも気を張る。神殿騎士団騎士長として、シホの騎士として、数々の戦いを潜り抜けた心の強さに自ら訴えかけ、それを老人の威圧感にぶつけるように押し出した。
「……ふむ。クラウス殿……!」
ブンゴが振り返る気配があった。同じ剣に生きるもの同士、その見えない気のやり取りに、すぐに気づいたのだろう。声には、その気は強すぎる、とクラウスを案じる様子がありありと浮かんでいた。
「……クラウス殿と申されるか」
「ドウセツ様、クラウスさんは目が……」
「マキ、よい。いまご本人から伺った」
ドウセツと呼ばれた老人から、威圧感が消えた。マキはいまの一瞬、この場に満ちた不穏な空気には、まるで気づかない様子で、「ふえ?」と珍妙な声を出す。
「ただ、もう少し、話をしたいところだな。……シンタよ」
「はい」
人のよい老人に戻ったドウセツが、隣に座った子どもに合図する。シンタ少年が立ち上がる気配があり、ドウセツ老人がそのシンタに支えられるようにして、漸く立ち上がった。その様子から、クラウスはあることに気づく。
「……自らの油断でしてな。歳もあるのか、もう左足が動きませぬ」
クラウスが気づいたことを察したのか、ドウセツが言った。その言葉に後悔と、僅かな悲壮の念が宿っていることを、クラウスは敏感に読み取った。
「……やはり、そうでしたか」
「こうしてシンタに助けて貰わねば、立ち上がることもままなりませぬが、如何ですかな、クラウス殿。もう少し、話など」
クラウスが無言のまま頷くと、ブンゴがやはり頷く気配があった。
「では、ドージョーをご用意して参ります」
話、とは、やはりそういうことか。クラウスは納得したが、では、自分はドージョーで誰と向き合って話すのか。シンタに支えられて歩くドウセツに廊下を譲りながら、つい考えてしまった。
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