第25話 家族

 崩れた物見砦を出たところで、マキが他のモンテイと一緒に待っていた。

 ブンゴに肩を借り、支えられながら屋外へと出たクラウスは、マキが駆け寄る気配を感じたが、そこで意識を失った。

 トロワとの戦闘で受けた傷、失った血の量、そして、百魔剣雷切らいきりの魔力を初めて行使したことによる、凄絶な疲労感。それら全てが、外に出て暖かな日の光に包まれた瞬間、一斉に押し寄せた。



 そこから、どうやってドウセツの館まで戻ったのかは、クラウスにはわからない。後で聞いた話では、ブンゴに背負われて、館まで帰りついたそうだ。意識を失ってなお、クラウスは雷切とトロワの百魔剣を手放さず、守るように抱えていてくれたので、助かった、とブンゴが豪快に笑いながら話してくれた。

 クラウスの傷は、クラウス本人が想定していたよりも深く、回復には時間を要した。しかし、クラウスは慌てなかった。動けない時間は、ひたすら『心眼』の更なる体得に当てた。部屋から出ずに、外にいるもの、あるものの気配を関知する。手に取るように感じ取る。それはそれで、有益な時間になったと思っている。



 復調してからは、再びドウセツから、直接『心眼』の体得と、雷切伝授の修行が始まった。トロワ・メドゥサと名乗った刺客を相手に雷切を使いこなしたとはいえ、力の使い方にはまだまだ無駄が多く、それに使う度に意識を失うのでは、武器としては危険過ぎて使えない。そうしたひとつひとつの問題を、ドウセツから指導を受けるなかで、クラウスは解決していった。



 やや寒冷であるが、一定の気候にある神聖王国カレリアと違い、東方諸島郡には、はっきりとした寒暖の移り変わりがある。こちらではそれを『シキ』と呼んでいた。シキの移り変わりに合わせて、島の景色は様々に色付く。雷切の力で、時折戻る視力で、クラウスはその美しい景色を魔力の眼に焼き付けた。ハルの花。ナツの高い青空。アキの、赤や黄色に華やいだ木々。そしてフユの白い雪。どれを取っても、クラウスには生きていることに感謝を抱きたくなる美しさだった。気が付けば、この島を、この土地を、愛していた。だが、クラウスには、帰りを待つものがいる。その人のために、自分はここにいるのだ、とクラウスは立ち上がる。白い雪が溶け落ちて、暖かなハルが産声を上げる、それはそんな日のことだった。 




「本当に、本当に帰っちゃうの、クラウスさん!?」


 始まりの日と同じ様に、桟橋から一番近くにあるハタゴ『銀の貝殻亭』は賑わいの気配を醸し出していた。クラウスはその賑わいにひとりでも負けない元気さで声を張り上げるマキを見下ろして、少しだけ笑った。


「元々、二年と約束している。だから帰らねば」

「でもでも、クラウスさん、まだ修行中の身じゃないの? オヤカタ様の指導は一年やそこらじゃ……」

「これ、マキ。クラウス殿はそれを超えられたのだぞ。オヤカタ様は全てを授けたと仰った。皆伝だ」


 そのマキを宥めるのはブンゴだ。周囲には他のモンテイたちの気配もあった。ドージョー総出で、クラウスの帰国を見送りに来てくれていた。


「で、でもぉ……」

「寂しくなるな、クラウス殿」


 ブンゴが手を差し出す気配を感じた。クラウスは応じて握手を交わした。


「オヤカタ様のこと、よろしくお願いいたします」

「ふむ。勿論だ。お主が雷切を持って出れば、奴らが再び訪れることはなかろうが、事となればお主の騎士剣、ありがたく使わせてもらうぞ」

「ブンゴ殿のような腕力自慢の方にこそ、あの剣は力を引き出してもらえるでしょう。是非、使ってくだされ」


 クラウスはこの島まで持参した騎士剣を、ドージョーに預けた。腰に佩いた雷切と、背中に背負った蛇腹剣と引き換えて、使ってもらえるなら、とブンゴに託したのだった。


「え、クラウスさん、自分の剣を置いていくの?」

「……ああ、そうだが……それが……」

「じゃあ、取りに来なきゃだめだね! 取りに帰ってこなきゃ!」


 マキが急に勢いを取り戻す。快活で、明瞭で、人好きする少女だと、クラウスは思う。なるほど、彼女も、自分がここを去ることを、寂しいと感じてくれているのか。クラウスはありがたく思う。自分のような過去を持つものが、これほど皆に想いを寄せてもらってよいものか。


「ふむ。なるほど。その通りだな。クラウス殿。マキの言う通りだ」

「そうですよ、クラウスさん」

「ドージョーの皆、クラウス殿がまた来る日を、楽しみに待ってます」

「どうかご無事で、クラウス殿」


 ブンゴに続いて、ドージョーのモンテイたちから、次々に言葉を掛けられ、クラウスは動じる。応じる言葉が出てこない。


「クラウス殿。ここはお主の、我々の家だ。第二でも、第三でも、それは構わん。だが、わたしたちはいつもお主の無事を祈り、待っているぞ」


 そなたに欠けているのは、自らの存在を認める心だ。


 もう、わかったのだろう?


 ふいに、ドウセツの言葉が聞こえたように思えて、クラウスは顔を上げた。視線の先には、ハルの高い空があるはずだった。僅かな光の感触を、瞼に感じた。

 足の悪いドウセツは、この場にはいない。いまはドージョーの奥の一室で茶の湯を手に、中庭に咲く花を見上げ、好好爺然とした細い目を一段と細めているに違いない。そんな師の姿が、クラウスには青空の代わりに見えた気がした。


「そうか……わたしは世界ここにいて、いいのか」

「そうだよ! 何言ってんの!」


 マキの大声が響き、モンテイたちの笑い声が続いた。クラウスは、必ずまた来る、と約束を交わして、桟橋から小舟に乗り込んだ。

 沖に停泊した外洋船に向けて漕ぎ出した小舟から、桟橋を振り返る。桟橋では詰め掛けた見送りの人々の声と気配が犇めいていた。

 その時だ。意識など少しもしていないのに、腰に佩いた雷切から、突然魔力が膨れ上がった。クラウスは驚いたが、流れ込む魔力を抑えることはできず、雷切の雷は、青白い光を放ちながら、クラウスに視力を取り戻させた。


「クラウスさん!」


 桟橋から一番大きな声が響く。マキだ。クラウスは顔を上げた。視力の戻った目に、自分の帰りを待つと言ってくれたものたちの、ひとりひとりの顔が映る。大柄でも優しい顔立ちのブンゴ。後二、三年もすれば、美しく活発な女性に成長するであろうマキは、ぼろぼろと泣きながら手を振っている。ドージョーの面々。ひとりひとり、クラウスはその瞳に焼き付ける。家族。そんな言葉と共に。


「あんた、一年ちょっと前に送った傭兵さんかねぇ?」


 突然、近くで言われ、クラウスは声の方を向いた。言葉の主は、小舟を漕ぐ老いた船頭だった。あ、とクラウスはこの島での始まりを思い出す。


「あれからぁ、どうしたかと思っとったけんど、ずいぶん印象が変わって、わからんかったわぁ。あんた、強くなったなあ」

「……そうか?」

「ああ、そうさ。あんなにたくさんの人に想われるもんは、その分強いはずだぁ」


 老船頭は真っ黒に日焼けした顔に、深い皺を刻んで笑う。


「……オヤジも、達者でな」

「ほいよ。傭兵さん、また来るのかい」

「ああ……その時も、船頭を頼む」

「ほっほっほっ、ほしたら、長生きせんとなぁ」


 笑う老船頭が漕ぐ櫂が、力強く小舟を進める。クラウスはもう、桟橋を振り返ることはしなかった。魔力を宿した青い瞳は、真っ直ぐに、自分の歩むべき道の先、その先に待つ光の姿を見据えていた。


〈了〉

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紫電の如くー百魔剣物語・外伝ー せてぃ @sethy

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