⑥ いただきます、夜ごはん

 日付が変わるころになってようやく、一行□□はオルドビス宅に帰ってきた。玄関を照らす灯籠が夜の訪れを知らせていた。欄干から湖を見ると、朧月が反射して二つになっている。オルドビスからお風呂を勧められたので、さっそくはいって汗と疲労を流す。のほほんと湯船に浸かりながら地球は、一日を振り返った。

 あっという間だった。朝、食べたうどん以降、なに一つ口にしていない。空腹を知らせる音が風呂場に反響する。

 部屋へ戻ると、美味しそうな香りが嗅覚をくすぐった。色とりどりの食べ物が机の上に置かれている。今日の夕食は、ふっくら炊けた白米のごはんとお味噌汁、野菜にお肉だ。とても美味しそう。食卓が輝いてみえる。

 野菜を盛りつけていたオルドビスが顔をあげた。

「陛下、湯加減はいかがでしたか」そして微笑む。「その顔がすべてを物語ってますね。気持ちよさそうでなによりです」

「なんておいしそうなんだ。おまえがつくったのか」

「ええ。陛下が拙者の家に来られたのですから、腕をふるわなければと思いましてね。久方ぶりに料理をしてみました。最近はもっぱら外食続きでしたので」料理人は作務衣の袖をまくった。「さあ、お座りください」

 椅子を引き、二人で向き合うように座った。片手でお椀をもち、片手で箸を手に持っていざ食べようとしたところ、

「陛下、食べる前にいただきますを言いましょう」と言われた。

「それはなにか」

「いただきますは命をくださるものたちへの感謝と、それらを育ててくださったヒトたちへの感謝の言葉です」

「ありがとうございますではないのか」

「意味はありがとうございますと同じですね。命をありがとうございます、お仕事ありがとうございます、有り難く頂戴いたしますという意味を込めて、いただきますなのです」

 地球は目の前に輝く美味しそうな食べ物を見た。白米、一粒一粒にここまで育て上げ、夕陽を背に汗水流して刈り取った農家のヒトの姿が見える。その白い輝きにこの食卓にくるまでバトンのように繋いでいったヒトたちの姿が見える。そしてその白米を育んだ麦の命を頂戴したことを知った。

 お肉も生きていた。野菜も生きていた。いまは動かず、皿の上で新たな生命の一つとなるのを待っている。

 食事とは命をいただく行為なんだ。こころなしか箸を持つ手に力が入った。

「いただきます」

 ぱくり。

「おいしい、ハオツー」

 なんておいしいんだ。無我夢中でほうばった。

「極楽浄土」オルドビスも美味しそうに食べている。

「ところでデボンにはこれから会うとして、五大絶滅将軍のほかの三人はどこにいるのか」地球は、アノマロカリスの出汁がきいた味噌汁をすする。「味噌汁もおいしい」

「デーヴァペルムはパンゲア台国の首都レーマンで教師をしています。たしかニンゲンとしての名前は、ヴィクター」

「ヴィクターかあ。いい名前だな。とくにヴィの部分が。教師っていうのは?」

「子どもに勉強を教える仕事です。けっこう子どもに人気あるらしいですよあいつ」

「はは。こんど突撃訪問してみようぜ。ほかの二人は?」

「それが拙者にもわからず。ニンゲンの世になってから、もう何年も連絡をとっておりません」オドントケリスの肉を食べながら、オルドビスが打ち明ける。ちなみにオドントケリスとは大昔のカメのことだ。

 オルドビスは、地球がお皿を平らげたのを見て言った。「食べ終わったら、ごちそうさまでした、です」

「ごちそうさまでした」

 食後に温かい緑茶を出してくれた。これがまたおいしいのなんの。程よい苦味がまたいい。やはりオルドビスの出す茶はおいしいのだった。


 目が覚めると地球は布団のなかでくるまっていた。天井を見上げ、ここはどこかを思い出そうとする。ああ、あたたかい布団から出たくない。もうちょっと寝ていたい。もしかして虫にでもなったのではないか。あわてて身体を確認するがヒト型である。よかった。虫にでもなって、おもいっきり背中にリンゴをぶつけられたりでもしたら、たまったもんじゃない。

 そのとき、襖が力強く開かれた。

「朝ですよ、さあ起きて」

 オルドビスだ。その顔からは眠気などいっさい感じられない。「陛下、旅立つのでしょう。さあ、はやく起きてください」

「わたしはニンゲンの楽しみである睡眠を享受しているとこなのだ」地球は頑なに動こうとしない。

「生あるものはいつか死にます。そうしたら好きなだけ眠ることができるんですよ。生きているいま、寝ているのはもったいなくはないですか」オルドビスは呆れて、強硬手段に出た。なんと地球の毛布を力づくで取っ払おうというのだ。

「あっ! おまえなにをする!」地球は眠気も覚めやらぬまま、必死に抵抗した。お互い、毛布を掴んで離さない。天地創造の綱引きのように壮大な引っ張りあいがはじまった。

「はなせオルドビス! 神の酒でも作る気か!」

「いいえはなしません! さっさと起きてください! 真の幸せは、寝ているときには味わえないのです! 起きているときに起こるのですよ!」

 オルドビスが勝った。布団を失った地球は、寒さに震えた。そんな地球にオルドビスはため息をついて、「さあ、顔を洗ってきてください」と笑った。

 あくびをしながら地球は、朝ごはんを食べる。「ごちそうさまでした」そして身支度をする。財布、水筒、歯磨きセット、和傘を、著者にもらった□につめた。

「おまえもよく眠れたか?」

 □から返事はないが笑顔に見えた。

「まったく、まだ寝ていたいのはお互い様だな」昨日買った桜色の和服を着て、「でもまあ、せっかくこうして一歩を踏み出したのだ。寝ているだけではダメだ。当初の目的を遂行しないとな」

 地球□は靴を履いて、すでに荷造りを終えていたオルドビス□のほうを振り返る。「おまたせ。さあ行こう」

 地球たち□□は駅まで歩いた。言い忘れていたが、地球は□を背負っているから、地球□と表記される。同様にオルドビスも□をもっているからオルドビス□となる。

「読みづらいったらありゃしない。著者、これおまえが考えた設定か?」

 身に覚えがないな。どっかのだれかが適当に考えたんだろう。困ったやつだ。

「まったくだ。多くの読者にとって、いや読者に限らず、わたしたちにとっても、この設定が最大の難所となるだろう」

 だな。考えたやつセンスないな(ほんとうにごめんよお! まさかこんなことになるとは思わなかったんだあ! 閃いたときは純粋にこのアイデアいいなって思ったんだよお。まさかこんなややこしく複雑になるとは)。

「まあ、大丈夫。なんとかなるであろう。むしろこの設定は個性的というべきだ。多少わかりづらいところがでてくるかもしれん。読みづらくならないよう気を配りなさい」

 ああ、まかせとけ(かしこまりましたあ! ああ、ほんとうにありがとうございます! 全力で頑張ります!)。

 モホロビチッチからデボンのいるグーテンキョートまでは、パンゲア大陸の東と西の両端のため、はるか彼方の距離だ。くじらが多く出航していて便には困らない。最新鋭のリードシクティス号に乗るものもありかもしれない。だが、くじらなだけに、かなりの時間がかかる。それにあいにく地球□は酔いやすい体質だ。そこで少し値段は高くつくが、伝説の怪鳥〈フライング・オオサカー〉に乗ることにした。

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