春 Ⅱ オルドビス記(本編ここから)

① はじめよう、アラタ・アース

 ※地球は魂だけの状態となって、〈著者ちょしゃ茶室ちゃしつ〉と呼ばれる異空間にいる。地球は力を失ったばかりか、膨大ぼうだいな年月を経て、性格も丸くなっている。



「著者、どうだ」


 うまく書けた、とおもう。


「なんで自信がないんだ」


 完璧に惹きつけられる冒頭だったかといわれると、自信なくてさ……。


「そんなことはない、惹きつけられたさ。自信をもてって。さあ、はやく旅にでようぜ。わくわくしてきた」


 ありがとう、うん、きみの言うとおりだ。でも、まって、まず自己紹介しないと。


「必要ないだろ。さっき〈この物語の主人公、その者の名は地球〉ってドヤ顔で書いてるんだから」


 ぼくのことも紹介させてよ。


「それではご登場いただきましょう。どうぞ」


 ええっと、おほん。


「まだドラムロール」


 いい? まだ?


「ドゥルドゥルドゥルドゥル…………」


 まだ?


「なんども合図したよ」


 見えないよ文字なんだから。台詞でお願い。


「いまだ」


 著者。この物語の作者。地の文を司る者。本名はアラタ。


「そのドヤ顔を読者の皆さまにも見せてやりたいぜ」


 ふっ。あいにく小説でね。


「それで、さっさと話を進めようぜ。ペースが遅すぎて読者に本を閉じられるぞ。肉体のほうは?」


 もうすこしで完成するよ。


「考えたものだな。地球であるこのわたしがニンゲンの身体をかりて、地上に降り立つとは」


 ニンゲンは機動力に優れているからね。それにいまはニンゲンの時代だ。紛れるにはもってこいだよ。さあ、できた。


「いったんストップ。肌が地球の色だぜ」


 ああ、青い海の色。緑や茶色の大陸がきみの肌のうえを動くんだ。


「まったく紛れられそうにないんだが」


 さ、あとは衣装。どんなのがいい?


「そりゃもちろん、動きやすいやつをお願いしたい」


 お安い御用。ほら、できあがり。さあ、この肉体にお入り。


「いくぜ。アラタ・アースをはじめよう」


 地球はニンゲンの姿を借りて、山へ降りたった。


 その瞬間、地球上のすべての火山が王の降臨を祝って、花火のような大噴火を起こした。天空のありとあらゆる雲から祝福の雷鳴が轟いた。草木は生い茂り、すべての花は精一杯の拍手を送った。


「著者? ここの描写はりきりすぎじゃないか?」


 ごめん、つい。


 ヒトの姿をした宇宙の覇者は、噴火口から立ち昇る炎のなかから世界を見た。青い糸で紡がれた空とそこに刺繍ししゅうされた太陽を、そして眼下に広がる無限の大地を見た。


 それから、自身の腕や足を眺め、手で肉をつまんだりして、ニンゲンになったことを実感した。急に不安とわくわくが同時に押し寄せ、居ても立っても居られなくなり、両手を天高くあげて、叫んだ。


「地球ー‼︎ 到達したぞォー‼︎」


 ニンゲンという仮の器ではあるが、ふたたび歴史の表舞台に戻ってきた地球。ここから、怒涛どとう復讐劇ふくしゅうげきがはじまるのだ。


「さあ、それでシナリオでは、この次はどうなる」


 えっとね、ちょっと待ってね、アイデア持ってくる。ええと、どこだアイデア、あそこに置いたはずなんだけど、ええと。


「日頃から整理整頓だな」


 脳のなかを探してるんだぞ。ちょっとやそっとじゃ見つかりっこないぜ。


 ニンゲンの脳のなかにある〈脳図書館のうとしょかん〉は、無限の蔵書数を誇る人類の叡智えいち。なにが保管されているかといえば、記憶やアイデアである。しょっちゅう本が紛失するが。


 著者は自分の図書館のなかを、一階からくまなく探した。目がくらむほどの本棚を探したが、きりがない。五十音順でもないし、ランダムにしまわれている。


 地球、だめだ、見つかりそうにない。


「ラチがあかない。司書ししょさんを呼べ」


 司書さん〜。


 脳図書館の最上階から咳が聞こえた。静寂せいじゃくな館内をだだだと駆ける音がした。謎の生命体が上の階から飛び降りて、たくさんの本を風圧で周囲にまき散らしながら、著者の目の前に舞い降りた。脳みそのしわのように顔中がしわしわなおばあさんの外見をしている。


〈お呼びですかな坊っちゃん〉


 このあとの展開が記されたアイデアを探してるんだけど。


〈少々、お待ちを〉


 司書は鼻にかけた眼鏡をくいとあげると、びゅんと走り去った。彼女は、著者の脳のなかを、ニューロンの電撃の速さでくまなく探しまわる。


〈ございましたよ。こちらですね〉


 うわ、どうもありがとう。


〈どういたしまして。坊っちゃんの物語完結を願っておりますよ〉


 地球、今後の展開見つかったぞ。


「さすが司書さんだ。あのサーチ能力まったくおとろえていない。それで、このあとの展開はどうなるんだ」


 ええと、どれどれ。地球、オルドビスの家へ行く、だってさ。


「オルドビス? なつかしいな」


 五大絶滅将軍ごだいぜつめつしょうぐんの一人にして、地球の創造した最初の生命体オルドビス。


 この山のふもとにあるモホロビチッチっていう街に住んでいるみたいだ。シナリオには、そう書いてある。


「はやく会いたい会いたい会いたい会いたい」


 怖えな、キャラどうしたよ。


「さっそく会いにいこう」


 天空の王は慣れない足取りで山を下った。地球はときおり、地平線を眺めた。視界にひろがる光景の、どこへだっていけるんだ。その事実が地球を高揚こうようさせた。わたしをしばるものはなにもない。軌道に沿う必要もない。いまや、わたしは、自由なんだ!


 地球は、五感を確認する。山を歩く鹿を視覚で捉えた。手を振るとトされた。鹿だけに。ついていくと、新緑しんりょくにかこまれた渓流けいりゅうがあった。川の水がかいこの糸のように白く流れ、その姿はまるで白龍はくりゅうを思わせた。その龍のほとりに座り、龍肌りゅうはだを指で触れ、水面をゆらりと花咲く光の踊り子を眺めながら、地球は水をすくってのどをうるおした。ああ、冷たくて、なんて美味しいんだ、いまここで完結してもいい、そう思った。


 ぜったいだめだよふざけんな。


 こけが、岩や大木に絡みつき、葉が地を覆い、葉が空を覆い、葉が世界を覆っている。


 聴覚で音を聞いた。特筆すべきは、川の音。誰を傷つけるでもないその丁寧な演奏は聴くものを心地よくさせる。森に横たわる白龍の寝息が、葉の一枚一枚を魅了し、そこへ風の音が添えられる。それはまるで耳から入って大脳皮質だいのうひしつあたりを刺激する天使の賛美歌さんびかである。ざあああと森が鳴いている。ぴぴぴと鳥が鳴いている。


 しばらくのあいだ、地球は川と、森と一体となっていたが、ようやく立ち上がり、歩いた。


 森の奥へいくと、どどど、という音を聞いた。気になって近寄ると大きな滝だった。かたむけた急須のような崖から一気に滝壺へ水が滴る。水しぶきが飛び散り、マイナスイオンをおもいっきり浴びた。みると崖の上に狼が。お腹をすかせて唸っているようだった。


 川沿いに歩いていると、草木が語りかけてくる。


「地球さん、がんばってね」


「応援してるよ。いってらっしゃい」


 全生命体の創造主である地球は、草木の言葉を理解できる。


 ありがとうみんなと感謝を言い、草を踏まないように気をつけて歩いた。どうしても踏んでしまったときは毎回「ごめん」と足元に謝る。そうすると「気にしないで」と返ってくる。


 森の木が徐々に枯れてきた。大木にリンゴがなっていて、ひとついただいた。甘くてみずみずしい。余計にお腹が空いてきた。


 森を抜けると、おおきな建造物群がみえた。


「著者、あれか」


 ああ。アルディピテクスたちの超古代文明ちょうこだいぶんめいモホロビチッチだ。

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