Ⅲ △帝記

① なぜあらわれた、△帝

 地球たち□□は龍を乗り継いでデボンの家へ向かう。

 列龍のなかのボックス席にすわる。ちょっぴり潔癖症だったはずだが。車内には数えるほどしか乗客がいなかった。オルドビス□は窓に頭をよりかけて眠っている。地球□は車窓から外を眺めた。田畑がみえる。緑の地平線。景色は猛スピードで変わっていくけれど、どこまでも緑が広がり、大自然がいつまでも地球□の視界を追いかけてきていて、見ていて飽きなかった。オルドビス□の言うとおりだ。寝ていてはもったいない。

 がたんがたんと揺れる車内。

 とつぜん、青が広がった。海。日光がきらきらと反射していて、眩しかった。思わず叫びそうになった! なんて綺麗なんだ!

 地球□は窓をすこし開け、潮の匂いを嗅いだ。風を浴びた。生きた心地がした。この匂いと風を浴びれば死人も蘇る気がした。

 そのときだ。きいいいん。叫び声が聞こえた。

 木を打ち鳴らしたような声。龍の泣き声。列龍が泣いている。

 車内がなにやらざわざわと騒然となり、ヒトビトが外をみる。

「まずい! △帝だ!」客のひとりが叫んだ。顔が明らかに青ざめている。

「△帝?」地球□は近くのヒトに尋ねた。

「暴れん坊。傍若無人。あまりに尖りすぎてついた通り名だ」

 地球□も外をみた。視線の先には、巨大なアノマロカリスが飛んでいた。古代の王者アノマロカリスは猛スピードでこちらに襲いかかり、二つの牙を列龍に突き刺した。

「きいいいいん」龍が痛がっている。

「いまよ!」

 その叫びとともに、アノマロカリスから三人、飛び乗ってきた。車内はパニックだ。乗客たちは悲鳴をあげながら、モーセの海割りのように地球□のまえの通路をあけた。

 地球□はそのヒトたちをみた。

 一人のネアンデルタール人女性を先頭にした見るからに怖い一団。△帝は、亜麻色の髪をもち、モン・サン・ミシェルのような顔をしていて、雪山みたいな和服と青い羽織を着こなしており、冷たい印象を受けたが、唯一、口紅だけが異様に赤い。そのうしろに二人の男女が控えていた。こっちを見ている。手でも振るか? まがまがしいオーラが彼女らを包んでいた。空気がピリついている。

「よおよおよお! あんたが主人公の地球□ね! なんてしみったれた雰囲気してやがんだ! よお!」△帝が張り裂けるような大声で叫んだ。

「よお!」後ろに控える取り巻きコンビが繰り返す。

 怒鳴り声が風にのって地球□の聴覚をつらぬいた。ほかの乗客たちはびくびくして視線を合わせないようにしている。

 ふっ、なるほどな、わたしが主人公として皆に知られているように、あいつも悪役として知られているというわけか、しかしやつめ、なかなか鋭い覇気をもっている、と地球□がつぶやいた。あの著者が、めずらしくほのぼのとした旅行記を書いていると思っていたらいきなり急展開を挟んできたな。地球□はこのドラマチックな演出を壊すまいとドラマチックに言った。

「そなた、なにやつ」地球□がばーんとそんなこと言ったもんだから向こうも怒っちゃって、

「あんたァ、あたしを知らねえってのか! よお!」

「よお!」取り巻きが繰り返す。

「ああ知らない。著者、教えてくれ」

 …………。

「著者?」

 え、あ、うん、なに。

「著者、どうした」

 なんでもないよ。

「はっきり言えよ。なにから逃げている」

 ……はあ。過去の自分からだ。あいつを生みだした自分が恥ずかしい。あいつはぼくのキャラクターのなかで一番強烈なやつさ。

「あら著者じゃない」と△帝。

 うっ。や、やあ、あたし。

「あたし?」地球□が訊いた。著者との会話を横切られたとおもったのか向こうはさらに怒って、

「あたしの名前はないのよお! よお!」

「よお!」取り巻きが(以下、略)

「名前、ないのか」

「ほんっとに著者のばかやろうだわね。あ、忘れてた。よお!」

「よお!」取り巻きがうるさいし、もうまわりにいた乗客たちはそそくさと別の車両へ移っていた。

「とにかくねえ、あたし、あんたのそのいけすかない態度が気にいらないわあ。そんなんで主人公とか笑わせんじゃないわよ。あたしが主人公の座をいただくわあ。よお!」

「よ(略)

 なんでここであいつが出てくるんだ。構成の段階で葬ったはずなのに!

「ぐちぐちうるさいわね著者。このあたしを主人公に選ばなかったこと、後悔させてやるわ。さあ、あんたたち、やっておしまい!」

「よおお!」取り巻きコンビが全速力で突撃してくる。

 オルドビス□はさっと戦闘態勢にはいった。

「陛下に向かってくるものに容赦はしませんよ!」

 オルドビス□は直前の台詞から【!】を引き抜いて、侍のように構えた。ひゅおっと江戸時代の風が吹いた。

 取り巻きたちも彼らの唯一の台詞「よお!」から【!】をすぱっと抜いて斬りかかった。地球□はとっさに伏せた。オルドビス□の刃と取り巻きたちの刃がぶつかりあう音がする。走り続ける龍の上で壮絶な殺陣が始まった。

 列龍は橋にさしかかった。巨大な滝がそばを流れ、絶景が広がっているが、とてもじゃないがそれどころではない。

「わたしたちを殺すのか!」と地球□が叫んだ。雄叫びが飛び交う熾烈な争いのなか、その叫びが届いたかはわからない。

「あたりまえでしょう! 主人公は二人もいらないのよ!」

 どうやら聞こえたみたいだ。地球□は△帝と対峙した。じりじりと距離をつめてくる。△帝は先ほどの台詞「あたりまえでしょう! 主人公は二人もいらないのよ!」から【!】を、まるで日本刀を抜刀する宮本武蔵のように、一太刀引き抜いて片手に構えた。そのオーラはまるで、武蔵坊弁慶か、源義経か、はたまた上杉謙信や武田信玄のような怪物にみえた。

 地球□はため息をついた。せっかくのどかな草原を眺めていたというのに、とんだ邪魔がはいった。一撃でカタをつけよう。地球□は雷を放った。

 しかしなにも起こらない。もう一度、雷を放った。だが、なにも起こらない。なにも起こらないのではない。なにかが起きているからなにも起こらないのだ。なにが起きている。こんがらがってきた。はっと気づくと、目の前に拳があった。おもいっきり吹き飛んだ地球□は、椅子に倒れこんだ。△帝に殴られたのだ。なかなかいいパンチだった。△帝パンチである。これは痛い、と腰を上げると間髪いれずに【!】が振り下ろされる。

「あぶなっ! ウン・モメント・ポル・ファボール! ちょっ、待っ――――」

 間一髪でそれをかわすと待ってましたとばかりに腹に暴走△帝キックをくらった。またもや吹き飛ばされ、床に背中を強打した。

 かつて太陽系天使たちを圧倒した地球も、膨大な年月を経て、弱くなっていた。

「ふん、なによ。主人公っていうからちょっとは強いかと思ったら全然じゃないの。コーヒーの苦味のほうがまだ強いわ」△帝が【!】を慣れた手つきでぶんぶん振り回しながら言う。「あんたが大人しく自分から主人公やめてモブキャラになりますって誓うなら見逃してやってもいいのよ」

「それはできん相談だ」地球□は風を起こしたが、またしてもなにも起こらない! とっさに敵の刃をかわしたが、少し斬られた。

「いってえ!」

 さっと右腕を見た。切り傷から血が出ていた。ニンゲンの身体はこうも痛いのか! 地球□は大雨を起こして△帝を吹き飛ばそうとしたが、だめだ、やはりなにも起こらない。

 言っただろ地球。きみは力を失ってるんだよ。

「そういえばそうだったな著者」

「ふん。どうやらなにも出来ないみたいねえ。笑っちゃうわ。ひとつ聞かせてちょうだい。あんた、いったいなにができるのよ!」

 地球□はおもいっきり赤道直下キックをくらって、うしろに倒れこんだ。

 ──いったいなにができるのよ!――

 そのとおりだ。いまの自分にはなにができるのだろうか。力を失った自分は、これほどまでに無力なのか。身体の痛みよりも、その事実のほうが地球□を痛みつけた。だがすぐに立て直し、地球□は「わたしたちを殺すのか!」というさっきの台詞から【!】を抜刀し、かまえた。戦闘態勢。

「あら、死にたいのねえ」

「こんなところで死んでたまるか。わたしは全宇宙を生命で溢れさせるんだ。それまではなにがなんでも死ぬわけにはいかない!」

 地球□は突進し、剣を振り下ろした。△帝はそれをすばやくかわし、地球□の刀に本初子午線チョップを食らわせるとなんと刃が九〇度に曲がって【?】になってしまったではないか。地球□は信じられない思いで自分の刀をながめた。

「これはおもしろい」

 大ピンチである。

 そこへ取り巻きを振り切ったオルドビス□が駆けつけた。オルドビス□の渾身の一撃を△帝が防いだ。彼女は少し後ずさりした。

「ふっ。倒し甲斐があるやつが現れたわねえ」△帝は【!】を力強く握りしめた。「本気でいくわよ」

 △帝は【!】を槍のようにおもいっきり投げつけた。投げられた【!】は目にも留まらぬ速さで、いやこうして描写できているから目には留まったであろう速さで、龍のなかを駆け抜けた。オルドビス□は己の剣で間一髪、それを弾く。それと同時に△帝は休む間も与えず、先ほどやけに連発していた台詞「よお!」から【!】を取り、またオルドビス□にむけて投げた。オルドビス□がそれを弾こうと自分の【!】を構えたとき、すでに△帝は次の「よお!」から【!】を充填している。間髪入れずに次々と【!】を投げつけ、オルドビス□は防ぐのが間に合わなくなってきた。オルドビス□の身体に切り傷がちらほらと散見されるようになった。息も上がっている。

「オルドビス□よせ、このままでは死んでしまうぞ」と地球□は言ったが、「陛下のために死ぬのは本望」とかいつもどことなくおちゃらけているオルドビスには似合わない真剣な台詞と揺るぎない覚悟をまえにもうなにも言えなくなってしまった。

 △帝がとどめの【!】を投げつけようとしたそのとき、先ほどオルドビスが弾いた【!】のひとつが、車内の壁、すなわち内臓の壁に刺さって、あまりの痛さについに耐えかねた龍が大きくのけぞった。車内は破壊神の妻が踊ったかのように大きく揺れ、皆、転がった。地球□と△帝は窓からバリンと外へ投げ出された。

 下は、滝である。

「そんなばかなっ! うわああああ!」

「陛下ァァァー!」

 オルドビス□の叫びも虚しく、地球□と△帝の二人□は滝壺へと落ちていった。

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