⑦ だれか助けて、空飛ぶ拷問室

 列龍を乗り継いで、レタスのような建物群、モホロビチッチ国際飛翔場へ着くと、多くの観光客がそれぞれの荷物をもってカウンターに列を作っている。そのうしろに二人□□も並んだ。空中掲示板には便の離着陸時間が記されていた。窓から多くのオオサカーたちの飛び立つ姿がみえた。だいたいヴィシュヌが世界を一周するのと同じくらいの時間が経って、ようやく地球たち□□の番になった。

「つぎのかた、どうぞ」とホモ・エルガスターの係員が言う。

「アウストラロピテクス文明のほうに行きたいのですが」とオルドビス□。

「ご予約はしておりますか?」

「いいえ、しておりません」

「かしこまりました。座席を確認させていただきます。しばらくお待ちください」しばらく待った。「本日はほぼ満席でして、唯一、一時間後に飛翔する便なら空きがございますが、いかがなさいますか」

「どうします、陛下」とオルドビス□がこちらに指示を求める。

「それでおねがいします」と地球□が言うと、「かしこまりました」と係員。座席図を見せてくれた。「かろうじて二席確保できます」

「では、そこで」こうして無事、発券した。席も確保したことだし、飛翔までのあいだ、地球□は飛翔場のなかを見てまわりたいと思った。それをオルドビス□に言うと、ぜひそうしましょうということになった。

 モホロビチッチ国際飛翔場にはターミナルが三つあり、ジャイアントモアに乗ることでそのすべてを行き来できるようになっている。地球たち□□は、さっそくジャイアントモアに乗ってべつのターミナルへ移動した。

 ターミナル内を見ていて気づくのは、パイロットとオオサカーの仲の良さである。窓から滑走路を見下ろすと、二種類の別の生命体が、種族の垣根を越えて交流していた。もともとオオサカーは生態系の頂点に立つ最強の有翼生物であった。オオサカーにはそれぞれ、パイロットが一人ずつ付いていて、そのヒトと日々の訓練を経て、彼らだけの唯一無二の信頼関係を築く。そのパイロットだからこそ一匹狼のオオサカーも飛んでくれるのだ。難しい試験に、大変な訓練だが、この職を希望するヒトはとても多いのだという。ホモ・アンテセッソールのお父さんが子どもたちにそう説明しているのを聞いた。

 三つ目のターミナルにはお絵かきボードというものがあって、ここを訪れたヒトたちによって大きなボードには思い思いの絵が描かれていた。自分も絵を描いてみようという気になった地球□は、置いてあったペンを握って、オルドビス□の似顔絵を描いた。うしろで本人が爆笑している。出来上がった絵を見て地球□も笑いがこみ上げてきた。ニンゲンの子どもたちが描いた愛嬌溢れる可愛らしい似顔絵群のなかで、ひときわ存在感を放つ劇画タッチのおっさんの顔。その異様なさまに描いた本人も吹き出してしまった。床を叩くほどに笑い転げている二人□□を見たからか、周囲のヒトたちからも笑いが聞こえてきた。

 時間を忘れて楽しんだ。なにを買うわけでもないのにお土産を見たり、試食させてもらったりした。だが、世界が光って見えたのもつかの間、突如、非常事態が起きた。オルドビス□がいきなり、

「陛下! 時間がありません!」と言う。

 地球□も我に返ってオベリスク日時計を見ると、地球たち□□が乗る予定のオオサカーはなんとあと一〇分で飛翔するではないか。このままでは乗り遅れてしまう。二人□□は走り出した。だが、第一ターミナルまではかなりの距離があった。

「ここからじゃ距離が遠い! どうします陛下!」

「ジャイアントモアだ!」

 二人□□は大急ぎでジャイアントモア乗り場へ向かった。だが、ジャイアントモアはなかなかこない。時刻表を見ると、あと三分後にくるとある。待っていられない。このまま待つか、それとも全力ダッシュをするか。どちらも間に合う確率は低かった。判断を渋っているうちにジャイアントモアがきた。助かった。急いで乗り込むと、これがなかなか出発しない。一定の数のお客さんが乗るまで発車しないシステムなのだろう。なんども時間を確認する。膝ゆすりも止まらない。業を煮やした地球□はいまにも降りて走ろうかと思ったそのとき、ジャイアントモアが動き出した。さすが空を捨てた鳥類。そのスピードは申し分なかった。またたく間に二つ目のターミナルに着いたが、またもやしばらく動かずに定員に達するまで待っている。

「もうだめかもしれません」とオルドビス□が呟いた。

「いや諦めるな、『何事も、諦めないで、最後まで』だ。自力で走るぞ」と地球□。

 二人□□はジャイアントモアを降りて、さいしょのターミナルへの連絡通路を全速力で走った。ここからならまだ距離が近い。間に合うか。重い□を背負った状態で走るのは楽ではなかったが、ぜえぜえ言ったり、たまに悪態をつきながら、とにかくひた走った。とてつもなく身体が痛い。酸素の供給が間に合っていない。だが、なぜか地球□は楽しかった。自分たちの途方もない馬鹿さ加減が面白かった。笑いがこみ上げてきて、こんな状況にもかかわらず、走りながら声を上げて高らかに笑った。オルドビス□も笑う。

 のこり一分を切ったとき、ようやくターミナルに到着した。尋常ならざる速度で自分たちの乗るオオサカーの受付窓口を確認した。そして見つけるやいなや突撃する。そこに待っていたのは我が目を疑う光景だ。なんと荷物検査の列ができていたのだ。オオサカーに乗るには荷物検査をしなくてはならない。自分たちの乗るオオサカーがもうあと何秒かで飛び立つというのに、その受付がすぐ目の前にあるというのに、長蛇の列が地球たち□□のまえに立ちふさがった。それを見たとき、身体が涼しくなった。ふっと苦しみが消え、気持ちが楽になった。もうだめだ。あれには乗れない。そう諦めつつもオルドビス□と二人、荷物検査のカゴに□□を置く。列もなかなか進まない。まえのヒトたちはまったく急ごうとせず悠長に構えている。きっと次の便なのだろう。地球たちはまた新しく席を確保しにいかなくてはならない。今日の空きはもうないと言われたではないか。そのときだった。

「これより飛び立つオオサカーに乗るかたはいらっしゃいますか!」

 受付のむこうで係員が手を振っている。この長蛇の列のなかに迷える子羊がいるのではないかということだった。こんな大勢の前で恥をかくことなんてできないという理性が働くより速く、身体が動いた。地球は思いっきり手を上げて「ここです! ここにいます!」と叫んだ。係員もこちらに気づき、地球たちを優先的に通してくれた。列に並んでいるヒトたちからは侮蔑の目で見られただろうが、そんなことを気にしている場合ではない。地球たちは急いで自分の□を取ると、係員とともに走った。まだ間に合いますか! と訊くと、残るはお客様だけです! という返事がきた。走りながら猛烈に反省した二人□□であった。

 滑走路を横切って、ついにオオサカーを視界に捉えた。オオサカーは大空を飛ぶ。さぞ気持ちがいいんだろうな。爽快感と疾走感が味わえる。空の上から見下ろす大地は、どんな絶景の顔をして待っているだろうか。わくわくしながらついにオオサカーに搭乗した。と言いたいところだがぜえぜえはあはあ言いながらついにオオサカーに搭乗した。連れてきてくれた係員さんにも、オオサカーで待っていてくれた方々にも猛烈に謝罪しながら席に着く。□□を座席の上の収納棚に乗せた瞬間、待ちきれないとでもいうようにオオサカーはばさあと翼をひろげ、いざ離陸。

 待っていたのは地獄だった。耳が痛すぎる! 気圧が! 耳の気圧調整が上手くいかず、激痛が走る! 身体中が悲鳴をあげて、汗がとめどなくあふれた。助けを求めて隣のオルドビスを見た。またしてもこの男は平然とすました顔で景色を眺めてやがる。「耳は痛くないのか!」気絶するかのような絶痛のなかで言った。ええ、平気ですよ、鼻をつまむんですとオルドビス。地球は必死に鼻をつまんで、口をとじて、耳抜きをした。なんども繰り返す。しかしいっこうに治らない。だいいち痛みのメカニズムもよくわからない。耳の奥が膨れ上がっているような気がする。そんな苦行者のよこをフライトアテンダントさんが通った。そうだ、このヒトたちは上空のプロだ。なにか解決策を知っているにちがいない。「すみません! 耳が痛いのですが、なにか方法はありませんか」するとお姉さんはにこりと笑って、鼻をつまむのよ、そう言ってバーイと手を振って去っていった。待て! バーイじゃない! 鼻はくさるほどつまんだ! それでも治らないのだ! 著者のやつ肉体造形のときに耳の管を細くしたな。耳の奥に両手を突っ込んでモーセの海のようにがばっと開いてやりたい。そんな気分だ。耳がちぎれたのではないかと勘違いする痛みだ。いっそのことちぎれてしまったほうが楽になるのではないか。座席のまえに設置されたスクリーンには壁画が流れていて、青年が死体の転がる山に登って、黒幕の猿のもとにたどり着いた場面が映し出されている。青年は行方不明になった恋人を探しているらしい。きっとスリリングでハラハラドキドキな展開なのだろう。だがこっちは耳がズキズキドキドキな展開で、青年にまったく感情移入することができない。いま壁画では、青年以外の人類たちがすべて、巨大な装置に吸い込まれているところだ。激痛に耐えられなくなって、お手洗いに駆け込んだ。ここなら周囲を気にせず耳抜きができる。ふうう! ふうう! ふううう! だめだっ治らない! もうだめかもしれない。旅にでたのがそもそもの間違いだったのだ。宇宙でおとなしくしていればこんなことにはならなかった。いや、気をしっかりもて。地球にとってオオサカーは、空飛ぶ拷問室と化している。なんとかしなければ。到着まであと何時間もある。それまでずっとこの状態では寿命がもたない。そもそも耳の気圧で苦しむ描写でなぜこんなにもページを割いているのかも謎だ。しっかりしろ自分! いくぞ! 勢いよく扉を開けてお手洗いから出る。そのまま通路を歩いて客室乗務員さんたちのところへ行った。耳を抑えながら、「すみません、まだ痛いのですが、ほかになにか手段はないですか」もはや最後の頼みの綱である。救いを求めて祈りを捧げるニンゲンの気持ちがいまなら痛いほどわかる。だれでもいい。わたしを助けてくれ。一人のお姉さんが静かに言った。だからなんども言ってるでしょう、鼻をつまむのよ、と呆れた様子で立ち去っていく。談笑していた客室乗務員さんたちはばらばらに散っていった。払いのけられた地球の嘆きは、空にむなしく消えていった。つめたい対応といえばつめたいが、じっさいキャビンアテンダントさんにもどうすることもできないのが実情だ。地球は仕方のないことだと割り切った。オオサカー内の気圧調整技術が向上することをひたすらに願うのみである。あきらめて座席にもどり、寝ることにした。むりにでも眠りについて、痛みをやりすごそうという作戦だが、当然、痛すぎて眠れたものではない。オルドビスのやつ、となりですやすやと眠ってやがる。なにが幸せは起きているあいだに起こるのですよ、だ。苦しみも起きているあいだに起こってるじゃないか。着陸したら問いただしてやる。ああ、耳が痛い。ヒトの痛みを知った。もがき苦しむほどに痛い。べつに交響曲が流れているわけでもないのに気が狂うように苦しむ地球は耐えられずについにオオサカーから飛んだ。景色を見ていたオルドビスは目線の先を落下していく地球の姿を八六度見した。えっ陛下! とでも言っているだろうか。存分に驚きたまえ。猛スピードで落下していく地球は、徐々に近づく地面を見た。緑が見え、道路が見え、ヒトの姿を確認できる距離まできたかとおもうと次の瞬間、爆散した! びっくりして飛び起きた。その反動で前の席を蹴ってしまったほどだ。地球はオオサカーに乗っていた。となりでオルドビスが眠っている。わたしは寝ていたのだ、と地球は気づいた。あわてて耳にさわる。あった。よかった。耳が爆散したかとおもった。あれ? 痛みがない。ああ、やっと、気圧が抜けたあ。はあ。もう。これぞまさに、死ぬかとおもった。その後観た壁画もよく覚えていないし、上陸時にまた耳が痛くなったことももうどうでもいい。とにかくオオサカーはもう乗らないと誓った。

 キャビンアテンダントさんの放送がはいる。

「アウストラロピテクス文明へようこそ。当機はローレンシア飛翔場へ到着致しました。現在時刻は……」

 一面に広がる窓から山々が見渡せるローレンシア飛翔場のベンチで、地球□は耳をさわる。すると指に血がついていた。

「大丈夫ですか陛下!」オルドビス□がそれを見て驚く。ようやく声がしっかり聞こえる。

「まったく、おまえってやつは、のんきだな」と地球□は呆れた。「こっちは後期重爆撃期の宇宙大戦より危機に瀕していたというのに」なんだか笑いがこみ上げてくる。「それにしてもはじめて血を見た」あんな状況に陥ったというのに生命の証拠である「血」をはじめて見たことに喜びを見出すなんて。自分のことなのにおかしくて地球□は吹き出した。

「なにがおかしいのですか」オルドビス□もつられて笑っている。

「そういやおまえ、なにが〈起きていないと幸せは得られない〉だ。起きていたら地獄だったぞ」地球□は笑いが止まらないままオルドビス□を小突いた。

「幸せ。苦しみ。寝ていたらそのどちらも味わえません」

「良いこというな。たしかにそうだ。もう二度と味わいたくない苦しみだったが、いい経験だったかと聞かれれば、いい体験だったかもしれない。痛みを知ることができたからな」

「それにしても陛下はご自分のもがき苦しむ場面のためにあんなにもページ数を割いたもんだから、きっと著者が怒ってますよ」

「元はといえばあいつがわたしの耳の管を細く設計したせいだ。これはせめてもの仕返しだ。ざまあみやがれだ」笑い転げながら二人□□は小突きあった。空間が笑っていた。


 飛翔場から一歩でれば、そこにはモホロビチッチのような都会ではまったく考えられないほどの広大な大自然がひろがっていた。地平線には山々が連なり、空はこんなにも大きかった。ビルは一つもない。景色を遮るものはなにもなかった。清らかな初夏の訪れを全身で感じる。

「人生は、山あり、谷あり、そして緑がある。これが地球です、陛下」

「だれにいってるんだ、まったく」地球□が笑う。それにしてもほんとうにいい景色だ。

 空気がおいしい。これは耳を痛めたかいもあったものだ。

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