③ 無視するな、オルドビス
地球はそのヒトを見た。
一人目、オルドビスは三葉虫のような荘厳さで、軟体生物のような動きをし、魚のように佇んでいた。
「お待ちしておりました陛下」
オロリン・トゥゲネンシスの姿をしたかつての右腕は、古代貝カメロケラス帽を取って、会釈した。
「ひさしいなオルドビス」
二人はじっと見つめ合い、目頭が熱くなって、かたく抱きあった。悠久の時を経た再会である。
「立ち話もなんですので、どうぞなかへ」
オルドビスの家はいささか質素な造りだった。木造の一戸建てに扉は一つ。窓も丸いのが一つ。間取りも1LDK。特筆すべきものとしては床の間に立派な三葉虫の画がかけられていることくらいだろうか。
「どうぞおくつろぎください」と家主が言うので、上がらせてもらった。
畳の匂いがする。嗅覚は良好だ。ちゃぶ台に対面で向かい合い、正座した。
「いま、お茶を淹れますね」
机の上に急須が置かれた。そのなかへ茶葉がいれられる。
「急須です」オルドビスが興味津々な目で急須をじっと見入る地球に気がついて笑った。「つまりティーポットですよ」
この丸みを帯びた伝統工芸品のなかに茶葉を入れ、お湯を注ぐと茶葉が浸透して、お湯が緑になる。地球の目の前で湯気が上がるほどのお湯が注がれた。
「しばらくおきます」
丸窓から緑の木々が見えた。風が葉を揺らし、窓を通って地球の髪を揺らした。風の音だけがきこえていた。時はゆっくりと流れていた。世界が一息ついていた。
そろそろいいだろうとオルドビスは片手で持ち手をもって、もう一方の手を蓋のうえにそっと添えながら、ゆっくりと急須をかたむけた。注ぎ口からお茶が出てきた。川の流れる音に似ていた。湯気が立つ。
「ありがとう」
地球は湯呑みに注がれた煎茶を一口、飲んだ。
苦い。が、程よい旨み。身体の奥まで浸透する温かさ。全身の骨が緑色になったかのごとく美味しく感じ、あわてて身体を確認したが、緑にはなっていなかった。良かった。
「おいしい」と満面の笑みで言うと、
「はっはっは! それは良かったです!」と向こうも満面の笑みで返してきた。「どうです? ニンゲン社会はおもしろいですか?」
「まだ来たばかりだぜ」と地球は笑って、「おまえはニンゲンに馴染んでいるんだな。いまはなにをしている」と尋ねた。
「大戦のあとは地球上の生命のほとんどを生贄に捧げて無事復活を果たしました。そのあとは三葉虫などに化けておりましたが、時代は陸だということで恐竜になったり、様々な種を経て、陛下の降臨をお待ちしておりました。そして今はニンゲンの時代です。老けては若者に化けて、老けては若者に化けてを繰り返し、今はこの姿でして、〈ベットガa.k.a.オルドビス〉という名で、仕事をしながら、もっぱら書を嗜んでおります」作務衣を着たオロリン・トゥゲネンシスが笑った。
しかし急に真剣な顔つきになり、「陛下、復活なさったということは、ふたたび立ち上がるおつもりですか?」
「オフコース中のオフコース。あたりまえよ。そのためには五大絶滅将軍たちと合流しないとだ。それと、そのついでといっちゃなんだが……」
「なんですか?」
地球はまたお茶をひとくちのんで、「ずっと考えていたんだけど……」と深く考えて、こう答えた。
「自分のなかを、つまりこの地球上を、みてまわりたい」
えっ。おいおい、それはやめないか。いろんな土地の描写が大変そうじゃないか。
「パンゲア大陸一周の旅、ですか! いいですね! ぜひ拙者も連れていってください!」
オルドビス、はなし聞いてた?
「こちらこそ是非たのむよ。案内してくれ。おすすめの場所はあるか?」
こちらとしては是非やめていただきたいものだ。たのむから本筋から外れるようなことはしないでくれよ。これは旅の話じゃないんだから。
「それならバッバード砂丘はどうですか。デボンが住む街から近いところにあります」
すみませーん。
「お! 感動するか?」
おーい。聞こえてるー?
「圧巻ですとも」
「よし著者! 次はそこへいく」
……もう好きにしてくれ。
オルドビスがあわてて言った。「ちょっと待ってください。今日この街へやってきたばかりでしょう。もう少しこの家でゆっくりしていってください。拙者はいっこうに構いませんので」
すなわち、オルドビスの家で何日かのんびりしていけというのだ。べつに急ぐ理由もない。
「どうする著者」
どうせ本筋を外れるならもうとことん外れようぜ。
「そうだな」地球は湯呑みを置いた。「では、お言葉に甘えることにしよう」
地球がそういうと、オルドビスは陸に上がった両生類のような満面の笑みを浮かべた。
二人は楽しく語り合った。丸窓から差し込む陽光によって緑茶の面が笑っていた。
ひと休みしてから、旅道具を揃えるためにモホロビチッチの街へ繰り出した。
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