④ びしょぬれだ、服もストーリーも

 地球はふらふらした。まだ二足歩行に慣れていない。オルドビスは堂々とまっすぐ歩いていた。ヒトビトをながめ、街並みをながめた。夕陽が街に心地よく光を添えていて、最高にクールだ。それにしてもニンゲンの着物は色鮮やかである。皆、着たい色を好きなように着ているようだ。真っ黄色やオレンジのサリーを着ていたり、真緑や水色の布を肩に巻いていたり、花模様の袴を着たり。そのおかげで街はカラフルで、地面には相変わらずゴミやフン、瓦礫が散乱していたが、色鮮やかなのを見ていると、ニンゲンの世界はなんて綺麗なんだ、と錯覚を覚える。


 ひときわカラフルなところがあった。ヒトだかりができている。


「なんだ」


 気になって見てみると、多くのニンゲンたちが、なにかを見下ろしている。ここは高所で、ここから大地を見下ろしているのだ。


「なにか書かれている」


 よく目を凝らしてみると、巨大な地上絵だった。ナスカの地上絵のように、大地にでかでかと絵や文字が描かれている。


「これはいったい」


「地上新聞です」とオルドビス。「ニンゲンたちの日課です。朝と夜、ここにきて新聞を見下ろすんです。毎日、文を変えなくちゃいけないですからね、それにこの大きさですし、新聞記者は大変なんですよ」


 記事にはこう書かれていた。見出しにはおおきく〈ホモ・フロレシエンシス、絶滅〉。また神隠しか、世も末だ、次は我が身か、といった怯えた声が聞こえた。


 すこし物語に不穏な空気が流れたが気にしないでほしい。いついかなる時代にも、不穏な流れはあるものだ。そのすべてに悩んでいてはキリがない。政治や経済のうんざりする話で溢れる毎日のなかで、この物語のなかでもうんざりする話をするつもりはない。なのでこの物語では不穏な流れは積極的に無視していくこととする。


 しばらく歩くと、とつぜん、すうっと爽やかな風が吹いた。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの香りがした。河だ。悠久の時を流れる巨大な河だ。すこし濁った琥珀色の空、小籠包みたいな白い雲、チャイ色の河。地球は感嘆の声をあげた。


「すごい! すごい! すごい!」


 河沿いにガートとよばれる階段が続いていて、ここウォークマンガートはアルディピテクス属にとって最も重要な聖地とされており、遠方から多くのヒトがやってきては、河へ向かってお祈りをしたり、お供え物をしたり、なかには河で洗濯をしたり、沐浴するヒトもいる。仙人みたいなヒトが、一人ではなくあちこちにいるのだが、下半身に布を巻いただけの姿で、ガートに腰を下ろし、ムムムと神妙なオーラを漂わせている。犬や牛も涼みに来ている。


 河に夕陽が映り、赤い光の道ができていた。


「はっはっは! これが河です! 綺麗でしょう!」


「こんな綺麗なもの、はじめてみた。これが河か」


「……陛下、なにをおっしゃいます。空も雲も河もぜんぶ、陛下ご自身なのですよ」


「!」

 地球ははっと気がついて、自身の青い腕をさすった。そうか、そうだったのか、惨めな自分にも、こんなにも綺麗な部分があったのだな。知らなかった。地球は自分の腕をギュッと握った。


 嬉しくて走った。河に向かって走った。そして苔にすべってころんだ。


 ざばあん!


「あああ! つめたっ! つめたっ!」

 全身水浸しである。


「陛下っ! ちょっとなにしてんすか!」


「うわあああ! あっはっはっはっは! 気持ちいいなあ! オルドビス!」


「はっはっはっは! 陛下! 大丈夫ですか! 風邪ひきますよ! さあ上がって! はははは!」


 ちょっと二人とも! 笑いごとじゃないよ! せっかくぼくが見繕った服が台無しじゃないか!


「だからもう、なんども謝ってるだろう」水がいつまでもぽたぽた滴ってくる袖を雑巾のように絞りながら地球がいった。


 あの水没はない。あの水没はない。どうしてくれるんだよ。服もストーリーも。


「ゆるせ著者よ。嬉しかったんだ。はじめて自分に自信がもてた」


 いいことだよ、それは。よかったよ。ほんとに。


「著者どの。まあそう怒らずに。服ならこれから買いにいけばいいじゃないですか」


 はあ、そうだね、買いにいこう。描写するのはこのぼくなんだけどね!


 そんなこんなで地球たちは夜市に立ち寄った。カラフルにライトアップされた屋台で、多種多様なものが売られている。服屋エリアでは、和服を着た土偶が並んでいた。「赤い糸でつなぎます。どこにいても場所がわかります」というキャッチコピーで〈赤い勾玉ペンダント〉とかいういかにも怪しげな誰が買うんだこれ的な品物が売られていた。意外にも店の前にはカップルがあふれている。


 がやがやと道行くヒトビトが己の人生を彩っていた。夜市、それは雑多な感じでありつつも、東京の日比谷の通りのような、ニューヨークの五番街のような、パリのシャンゼリゼ通りのような、品性があった。地球にとっては、目にうつるすべてが輝いてみえた。なにもかもが新鮮だった。椅子にすわってアムリタ酒を飲みながら談笑するホモ・ハビリスのカップル。商売そっちのけで、すわって粘土板を読んでいるアウストラロピテクス・ガルヒの屋台のおばさん。


「これなんかどうですか」

「あら、お客さま、お似合いですわ」


 さっきからいろんな店でオルドビスの選ぶ服をこれでもかと着せられ、その都度、店員さんに大げさなほど褒められる。オルドビス、こいつわたしで遊んでやがる。だが地球はそんな状況すらも楽しかった。


「どぎゃあ! お客さま、とんでもないくらいお似合いですわ!」


「尋常じゃないくらい素敵ですよ! 陛下」


「どぎゃあ! まさに岩戸から顔を出したアマテラス! 眩しすぎて急に視界が真っ暗になったもんだから天地がひっくり返ったかとおもいましたわお客さま」


 そんな風におだてられると悪い気はしない。それは春にぴったりな桜色の和服であった。薄手の生地で、動きやすいのが特徴だ。


「じゃあ、これをください」

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