夏 Ⅳ デボン記

① 第二の都市、グーテンキョート

「魚が泳いでるぞ。おもしれえなこの街」

 秋刀魚やカジキマグロが颯爽と泳いでいる異様な光景には滞在三日目でようやく慣れた。ふいに背中をとんとんされ、振り向いたらシロナガスクジラだったみたいな新鮮なサプライズに驚いていたころが遠い昔のように思われる。地球は仕事前に賑わうグーテンキョートの市場に来ていた。今日は朝早くから起きて、ひとりで街へ繰り出している。泊まらせてもらっておいて大変言いにくいのだが、デボンのいびきがあまりにうるさく、よく寝つけなかったからである。それにしても街にきて正解だ、と思った。この街の朝はこんなにも活気があるなんて。ハイウェイを見上げると、オクトパスやリードシクティスたちがその巨体をぐわあと動かして泳いでいた。亀やエイやヒラメやクラゲもはらりはらりと泳いでいた。街は木造建築の家が立ち並び、朱や茶の着色がされていて、伏見稲荷大社や厳島神社がそこにあるような気がした。道路にいくつもかけられた提灯のオレンジで穏やかな暖かい光が道行くヒトたちを包み込む。小籠包、肉まん、餃子、青椒肉絲、回鍋肉、酸辣湯麺、鶏白湯などのグーテンキョート特有の伝統料理の店が軒を連ねていて、そのかぐわしい香りに地球は魅了された。これはオルドビスの言うとおり、寝ていたらもったいない。

 地球はあえて路地裏へ迷い込んでみたりした。進むにつれ、電線が木のツルのようにどんどん絡まっていく。道端にはなにかのごみと瓦礫。迷路のように入り組んだ路地裏は、陽があたっていて不思議と怖くはなかった。段差に座ってキュリオシティーを飲みながらご近所さんと談笑しているおじさんたち、狭い道を通る鹿、座りこんで道を封鎖している牛、それを避ける地球。出会うヒトたちはみな、地球に挨拶してくれた。握手してくれというヒトも、写真を撮ってくれというヒトもいた。どんどん迷い込んでみた。もっとディープなところをみたい。誰もがみられるようなものではなく。もっと地元民の生活感溢れる場所を。

 陽がさんさんと照りつける。大きな荷車をひとりでよいしょよいしょと押しているにいちゃんをみつけたので、一緒に押してみた。たまたま目についた小さな本屋に入って、店主のおばさんと話をしてみた。出店で、現地の得体の知れない炭酸ジュース〈ホイホイ〉を買って、ためしに飲んでみた。味はわるくない。いろいろと挑戦した。

 地球は炭酸ジュースのボトルを十一面観音像のように持ち、出店を眺めながら街を散策した。たどり着いたのは大衆食堂。地元民たちの憩いの場のようだった。がらっという引き戸をあけて店内へ。

「へいらっしゃい」店主がいった。

 やむことのない談笑、飛び交う笑い声、肉の焼けた匂い、煙が充満しており、ヒトビトの汗と油のこもったような空気だった。ディープだ。地球は外のテラスに座り、注文した。

「ココナッツジュースとハルキゲニアカレーをください」

「あいよ」

「ハルキゲニアカレーってなんだよ」

 脚がたくさんある古代生物だよ。

「ハルキゲニアを聞いてるんじゃなくて。ネーミングセンスが悪いって意味」

 地元民たちと同じ空間で、大きなヤシの実にストローをさし、ごくごくと喉を潤しながら地球は、エンヘドゥアンナとのことを思い出していた――――


 ばんっ。地球□は素足で砂をふんだ。やわらかくて、あたたかい。ずぼっと埋まった。クッションのような感覚。女性のかきあげた髪のような雲が、波打つ海みたいな空を泳ぎ、その下に一面に広がる黄金の砂漠が横たわっている。砂紋が穏やかな波のように描かれている。陽が照りつけ、砂に反射して蜃気楼が出現していた。

「絶景だな」

「ええ、あんたもちょっとはやるじゃないの」

「まさかたまたまバッバード砂丘にたどりつくとはな。ここに来てみたかったんだ。ということはデボンの家はもうすぐだぞ」

 地球□とエンヘドゥアンナは台風、野宿、一本松の景色を体験し、そのまま歩きつづけていた。というのも、駅がどっちだかわからなくなったからである。

「ほんとにあんたどうしようもないわねえ、なんで迷子になるのよお」

「お互いさまだろう。台風が凄まじくってどこをどう来たかなんて覚えてねえよ。でもおかげでここにたどりついた」

 バッバード砂丘には朝早くからヒトがぽつぽつといた。六歳くらいの四人の子どもがきゃっきゃっと砂で遊んでいた。

「あついわよ、もう」

「たのしもうぜ、こういうときこそ。知ってるか? 楽しさってのは作れるんだ」

 地球□は、砂をがっとひと摑みし、手を広げると、横から吹きつける風にさらわれて、砂がさらさらと舞った。砂の行方に視線をやると、巨大な砂の山が立ちふさがっていた。四人の子どもたちが、わあとのぼって遊んでいた。

「エンヘドゥアンナ。いつだかおまえ言ってたな。『壁が立ちふさがったなら、世界を傾けよう。さすれば壁が道になる』」

「言ったわね」

 あの砂の山に登りたい、という衝動にかられた地球□は、

「じゃ、世界を傾けようぜ」と、一目散に駆けだした。

「あ! 待ちなさい! あたしが先よ!」△帝も走った。

 二人□は勢いのまま駆け上った。砂煙が舞う。汗と砂が身体にまとわりついた。靴の中に砂がどっぷりと入った。口の中もざらざらする。坂の角度が急すぎて、足が止まった地球□に、六歳の女の子が手をさしのべてくれた。とっさにその手をつかむ。男の子がのぼりきって、友達の手をつかんだ。その友達が女の子をつかみ、地球□もいっしょに引っ張ってくれた。地球□は△帝をつかみ、お互いの手と手をとりあい、一歩一歩、砂を踏みしめて、ついに登りきった。

「おおお!」

 そこにはサファイアの海が待っていた。生命の源。三六〇度、見渡す限り、海だった。水平線で世界を上下に分けるのであれば、下は海の青、上は空の青、はっきりと色の違う二種類の青がそこにはあった。水平線に目を凝らすと海の最果てで円を描いている。地球は丸いのだ、自分のことをまた一つ、理解した。陽の光が二人□を祝福した。風が二人□を祝福した。潮の香りが二人□を祝福した。地球□は目を閉じておもいっきり深呼吸した。肺のなかに、目の前の大絶景を取り込もうとするかのように。

 ――――それから二人□は砂に腰をおろし、雲を指差した。

「あの雲みろよ。手をのばしたオルドビスにみえるぜ」地球□は人差し指で雲の輪郭をなぞった。

「白菜みたいな雲ねえ。あら、あの雲は吹っ飛んだときのあんたに似てる」

「えええ、どれだよ」

「あれよ、あのトムヤムクンみたいな色の雲よ」

 葉っぱみたいな雲も、恐竜の背骨の化石みたいな雲もあった。

「おい! あれみろよ! フェニックスのかたちしてるぜ」

「あら、雲が飛んでるわ、不思議ねえ」

 ぶわあっと竜巻がおこった。

「こっちにくるわねえ」と彼女。

「くるねえ」と地球□。

 水平線の向こうから「巨大な鳳凰のかたちをした雲」が飛んできた。遠近法の法則に則って、徐々に大きくなっていき、その姿が完全に理解できたころ、地球たち□は安堵のため息をついた。

「王さま! お久しぶりですなあ!」雲鳳凰に乗っていたのは、ケニアントロプス・プラティオプス。かつて地球軍でもっとも武勇に優れた将軍。

 地球はそのヒトを見た。

 二人目、デボンはシーラカンスのようなオーラを身にまとい、アンモナイトのように揺らぎながら、ダンクルオステウスのような威圧的な笑顔をしていた。太い眉が特徴的。

「デボン! 元気そうでなによりだ」と地球□。

 エンヘドゥアンナの顔も明るくなった。「あら、あんたたち」鳳凰には、彼女の取り巻きコンビが乗っていたのだ。

「△帝! 無事でしたか!」彼らは泣きながらボスに飛びついた。

「よしよし、まったく」と彼女。心の底から安心している表情だった。それを眺めていると鳳凰から一人の男□が降りてきて、ゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。

「オルドビス!」

「陛下! 心配しましたぞ!」二人□□は力強く笑いながら、抱きあった。

「よくここがわかったな!」

「一瞬でわかりましたぞ。このあたりしか台風が起こってませんでしたからね」平然と答えるオルドビス□。二人□□はまた笑った。

 デボンもやってきて、かたく抱きあった。感動の再会だ。

「もうニンゲンに馴染んでるんですかい、王さま」とデボン。

「ああ、なんとかな」と地球□。「あ、馴染んでるといえば、おまえら、なんで取り巻きたちと馴染んでるんだ」

「ああ、それですか」とオルドビス□が失笑しながら口をひらいた。「陛下たちが龍に飛ばされたあと、場面が陛下たちに切り替わってしまって、のこされた拙者と取り巻きコンビは、だれにも読まれないところで戦ってもねえということになり、休戦しました。暇なので話しているとこれがまた面白いやつらでして」オルドビス□はこらえきれずに笑いだした。「打ち解けましてね。みんなでデボンのとこへ行きました。事情を説明して、鳳凰で飛んでまいった次第でございます」

「オルドビス兄貴! デボン兄貴! よお!」と取り巻きたちが騒いでいる。

「とてつもなく打ち解けたようねえ」とエンヘドゥアンナ。

「ええ! あの方々、超人っすよ! 尊敬っすよ!」取り巻きたちがはしゃいでいる。「打ち解けたといえば、△帝。△帝のほうこそあっちの親分と打ち解けてるじゃないっすかあ」

「ちょ! うるさいわねえ!」

「なに慌ててるんすか」と取り巻きたち。「あの方となにかあったんすか」

「ふん」エンヘドゥアンナはそっぽを向いた。「なにもないわよ」

「さて、帰りましょうかい」デボンがそう言い、鳳凰のほうを向いた。「ウドイカッホ、たのむぞ」

 ウドイカッホと呼ばれた雲鳳凰にみんなで乗った。目の前でみるとほんとうに雲でできている。雲が動いている。雲が生きている。雲に乗っている。

「この生き物は雲でできているのか?」地球□が尋ねた。

「そうでっせ。めずらしいでしょう? 伝説の聖獣ウドイカッホ・フェニックスでっせ」

「や!」鳳凰が翼をばさあとひろげ、いざ飛び立とうとしたとき、はっと思い出した地球□は電光石火で言った。

「まて! たのむから低空飛行――――」


 ウドイカッホにしばらくゆられ、地球たち□□はデボンの家のあるグーテンキョートに着いた。超古代文明グーテンキョートはアウストラロピテクスたちの文明都市としての地位を確立している。瓦屋根の家が建ち並ぶ、緑と調和した街で、荘厳な雰囲気が漂っていた。街には数多の動物たちがニンゲンとまざって闊歩している。羊や牛が横断歩道を渡っていた。みんな□□は鳳凰の背中から降りる。

 着陸したとたん、△帝は虎を呼び止めた。「じゃあ、あたしたちは自分たちで宿をとるわ」虎がとまって、△帝と取り巻きたちは一斉に乗り込む。

「あんたがたも大歓迎ですぜえい」とデボン。

「なんだ、ゆっくりしていけばいいのに」と地球□が勧めたが、

「あんたと馴れあう気はないのよ」という返事がきた。

「オルドビス兄貴! デボン兄貴! お世話になりやした!」と取り巻きたち。

「また会いましょう! ゆっくり話しましょうぞ!」オルドビス□はそう言って、取り巻きたちのリーダーに視線を移した。「△帝も!」

「あたしは△帝じゃない」虎が走りだす直前、こちらを見ずに彼女は言った。だれにも聞こえないようにそっと。

「エンヘドゥアンナよ」

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