笹身とローファー
小学校の頃に誰かと遊んだ事が無かった。教室では俺一人しかいない。
人と遊ぶっていう事が理解出来なかった。
中学生になって普通の学校に入った俺は、常識を知らなすぎていつも問題を起こしていた。
花園さんは初めは苦い顔をしながら俺の面倒を見てくれた。
昼休みも終わりに近づき、教室に戻ると花園さんの姿はすでに無かった。
道場さんは友達と談笑をしている。俺を一瞥すると、興味を無くしたように視線を外した。
「あれ? 六花、藤堂君の事はいいの? なんだか執着してたよね?」
「ん? ああ、もういいよ。冗談があんなに通じないなんて思わなかったよ。ねえ聞いてよ、あいつさ、土曜日――」
「――マジ、空気読めないね……」
「あ、あははっ、六花ちゃんもエグい事するね」
「だって、絶対あいつ私の事好きだったよ。まっ、私にとって勉強を教えてくれるだけの存在だったけどね。あいつ、喋る時っていつも『善処する』『ああ、そうだな』しか言わないのよ? 勉強とか得意な事はすごく饒舌に喋るのに――」
「ろ、六花ちゃん……藤堂君、もう教室にいるよ」
「ん、知ってるよ。もう関係ないんでしょ? 私はあの嘘つき女と違ってあんな陰キャ興味ないのよ。それに聞こえてるわけ無いよ」
道場さんへの好意はリセットした。
だから俺は何を言われようと心が痛まない。実際、田中の言った通りだと思う。
俺は子供で拗ねていたんだな。
もう少しうまく立ち回ればよかったのかも知れない。
それでも、俺はあの時の道場さんとクラスメイトの行為を我慢することが出来なかった。
あんな事をされても我慢しなきゃいけないのが人間関係だなんて……。
――よし、気を取り直して授業を受けよう。と言っても、知っている事を教わっても時間の無駄である。俺はどうすればクラスに馴染めるのか、ちゃんと考えてみる事にした。
結局、何も良い考えが浮かばず放課後になってしまった。
最後のHRが終わって、先生が教室を出るとクラスメイトが一斉に騒ぎ出す。
「おう、今日は部活?」
「おっしゃ! ゲーセン行こうぜ!」
「ねえ、マック寄らない? テストも終わったしさ」
「バイトバイトっ!」
「あの漫画見た? 超面白くない? お前持ってねえのか! 貸してやんよ!」
みんな楽しそうだ。……俺はそれを見ているだけで楽しい気分になれる。
中学の頃に学習した。俺があそこに入ろうとすると、空気が乱れていくのを感じた。
視線が怖かった――何を話していいかわからなかった。
物理的に近くにいるのに……距離がすごく遠く感じた。
――あれは壁だったんだな。
それに、俺には趣味がない。ゲームもしないし音楽も聞かない。漫画だってほとんど読んだことがない。家に帰っても運動してるか、勉強しているだけである。
――共通の話題か。
昼の田中の事を思い出す。
……もう少し……色々経験してみようかな。でも……、それでどうやって仲良くなれるんだ? クラスメイトは俺に話しかける時は敬語であった。道場さんだけが唯一普通に話しかけてくれる存在であった。
――それに……仲良くなる必要があるのか? ……わかってる俺は今のままじゃ駄目だ。少しずつ成長しなきゃいけないんだ。クラスのリア充になんてならなくていい。普通を目指すんだ。
俺はクラスの喧騒を尻目に教室を後にした。
教室を出ると……そこには友達と一緒に歩いている花園さんの後ろ姿が見えた。
花園さんは友達と楽しそうに話している。
花園さんの背中はどんどん離れていく。
――都合の良い男か……。
花園さんのおかげなんだろうな。俺がここまでイジメられずに普通に生活が出来たのは――
それでも、彼女に対する好意は一瞬で消してしまった。
後悔は感じない。消えた感情は戻らない。
「せんぱーい!! 藤堂先輩!! 聞こえてますか〜〜!!」
上履きからローファーに履き替え、中庭から学校を出ようとした俺は、後輩である
「ああ、笹身。今日も元気だな」
「はい!! もちろんっす! 今日も部活張り切ります! 大会も近いんで! へへ、先輩のおかげで絶対勝てるっすよ」
笹身は陸上部に所属している。
俺が朝のジョギングの時に出会った女の子であった。前を走っていた笹身を俺が抜かしたら、むきになって追いかけてきた。俺は気にもせず走り続けた。日課のランニングを終え時、笹身は息を切らしながら俺に言った。
『なんでそんなに速いんっすか!? 陸上部っすか? そのジャージって同じ高校っすね? フォームもすごく綺麗だし……息も切れてないっす……』
『……部活してない。ただ日課のジョギングだ』
『ぜ、絶対嘘っす! その速さ、ただ者ではないっす……。あ、あの……私……陸上部に所属してて……もしよかったら、また一緒に走ってくれないっすか? わ、私の師匠になって下さい!』
『あ、ああ、俺で良ければ――』
こうして俺と後輩である笹身との親交が始まった。
といっても本当にただ走るだけ。走り終わった後は、フォームや筋肉の付き方のチェックや、トレーニングの組み立てをしてあげるだけだ。
俺は妹が出来たみたいで嬉しかった。
いつも元気で、一生懸命で……可愛らしかった。
笹身はどんどん成長して、一年生ながら大会に出場する事が出来た。
俺はそれが自分の事のように嬉しかった。
良くも悪くも自分の欲に忠実な笹身は、先輩である俺に対して遠慮が無かった。
陸上にかける情熱は本物であった。
そんな俺達の間に割って、ジャージ姿の誰かが笹身に話しかけて来た。
「おう、笹身、こんなところでどうした? 早く部活行くぞ?」
笹身に声をかけたのは、俺と同学年の
素直に素晴らしい事だと思う。対人コミュニケーションに優れた人間は尊敬に値する。
笹身はなぜか狼狽していた。
「清水先輩!? は、はひ……い、行きまっす!」
笹身の顔は真っ赤であった。
俺は空気は読めないが、人の感情には敏感な男である。
なるほど、笹身は彼の事が好きなんだな。俺は一旦ここを離れた方が……。
嬉しそうな笹身の姿を見ると、俺も嬉しくなってくる。
俺は笹身に目配せをして、立ち去ろうとした。が、清水八景は俺に話しかけてきた。
その目にはなぜか怒りが湧いていた。
「――君は……藤堂だな。……初対面でいきなり悪いが、なぜ華さんを傷つけた? 僕は……君を許せない――」
――話がわからない。俺と彼は初対面である。なんで花園さんの事をこいつに言われなきゃいけないんだ? 彼は評判の良い人では無かったのか? その敵意はなんだ?
「藤堂――聞いてるのか? 僕は怒っているんだ。あんな悲しそうな顔をした華さんを……くっ……、――ところで、君はうちの部員と何してる? おい、笹身どういう事だ」
怒りを通り越して、清水から憎しみの感情が感じられる。
頭が混乱する。なぜ花園さんの事で俺が憎まれなければならない?
彼は部外者だろ? もしかして……
「花園さんの事好きなのか? 俺はもう好意を持っていない。だから……俺は関係ない。それに清水君は部外者だろ?」
「――!? き、貴様。花園さんがあれだけ悲しんでいるのに……外道め」
――ああ、彼は良い人だ。自分の身内と思った人にだけ良い人なんだ。――敵である俺には容赦しないってところか。初対面なのに――
「し、清水先輩! ぶ、部活いきましょう! ほら、ランニングすれば――」
「だから、こいつは笹身の何なんだ? 知り合いか? まさか、恋人なの、か?」
「いやいやいやいや、違いますっ! ただの――」
そりゃそうだろ、笹身は清水君に首ったけだ。すごくわかりやすい。純粋な好意って見てて青春って感じだな。
俺は笹身のためにその場を離れたかった。だけど、清水は止まらない。
「ただのなんだ? 正直、こんな不愉快な奴の知り合いだったら俺は笹身を幻滅する」
笹身は俺をチラリと見て――ため息を吐いた。
何かを切り捨てる。そんな顔をしていた。
「……ふう……はいっ、笹身はこんな奴知りません! ちょっと声かけられただけっす! わ、私は清水先輩――一筋ですから!」
笹身の一言一言が俺の胸に突き刺さる。
だが、これは仕方ない事だ。笹身は陸上部、この男は陸上部のエースで先輩である。
笹身はこうやって言えば、その場が収まると思ったのだろう。
だから、俺が耐えればいい。笹身の本心じゃないとわかっている。
「ていうか、最近付きまとわれて困ってたっす! 朝練にまで付けて来て……怖かったっす」
「――何!? 警察に叩き出すか?」
「いえいえいえいえ、清水先輩のおかげで大丈夫っす! ほら、清水先輩、行きましょ! 私、次の大会絶対優勝しますよ! へへ……」
にやけた笹身は清水の腕を取って――俺の元から立ち去ろうとする。
俺は見守る事しか出来なかった。
笹身は清水先輩に何か言って、俺のところに引き返して来た。
笹身は複雑な顔をして俺の前に立つ。
小声で小さくつぶやいていた。
「……すみませんっす。……で、でも……私……清水先輩の方が、陸上部の方が大切っす」
「気にする、な」
俺はそんな月並みな言葉しか出なかった。
そして、笹身は――清水君に聞こえるような声で――俺に言い放った。
「――もう二度と近づかないで欲しいっす!! 警察呼びますよ!!」
――ごめん、田中。俺には流す事なんて難しいよ……。今度教えてくれよ。
そんな声を聞く前に、俺は――笹身に対して抱いていた――妹のような愛情を――リセットした。
チクチクした胸の痛みが――消えてなくなった。
笹身に対して感情がフラットになった。
「――ああ、この三ヶ月間毎朝練習に付き合ったのに、その言葉はひどいな。……二度と近づくなか……、笹身さん、今朝も重心が少しずれていた。昔の怪我をかばう走り方はやめた方がいいと思う。もう治っているんだ。これが最後のアドバイスだ。じゃあね、こちらこそ君とは二度と関わりたくない」
「――せ、先輩!? こ、声が大きいです! 清水先輩に――」
「……最後まで清水の事か。あれだけ走り方を教えたのにな」
「はっ? せ、先輩だって結局そんなに速くなかったじゃないっすか! 最終的に私の方が速かったっすよ!」
清水は俺に近づいて来た。
「お前、やっぱり笹身に近づいてたんだなっ! 気持ち悪い奴め」
「俺はアドバイスをしただけだ。笹身さんが勝手に俺に教わっていただけだ」
「そんなの信じられるか! 確かに最近笹身は速くなったが、それは俺の指導の賜物だ!!」
「そ、そうっすよ……し、清水先輩のおかげっす……」
笹身は苦い顔をしていた。自分では理解しているのだろう。朝のトレーニングの効果を――
俺は無言でこの場を去ろうとした。
もう俺には関係ない人たちの事だ。
これ以上関わる必要がない。
「おい、待てって言ってんだろ!! 藤堂っ!?」
俺の肩をつかもうとする清水の腕を躱した。
俺は中庭を超えて、グラウンドに向かって走り出した。
自分でもなんで走り出したかわからない。そのまま家に帰れば良かったじゃないか?
それでも俺の足は止まらない。
何かの衝動を発散するように。
後ろから清水君と笹身が追ってくる。
俺は構わず走り続けた。
後ろをチラリと振り向くと、ジャージで運動靴を履いている清水は本気で俺を追いかけてきた。
確か長距離のエースだったっけな?
俺は無心で走り続ける。元々ボロボロのローファーが俺の走りに耐えられそうにない。
グラウンドで部活をしている生徒たちがざわめき出した。
「……なんで制服で走ってんの?」
「あれって清水さんだよな」
「……清水さん結構マジで走ってね? ていうか……あの制服野郎……速くね?」
「おい、二周目突入してんぞ! タイマーもってこい!! あれマジで速えぞ!!」
俺は何かを削ぎ落とすように――走り続けた。
心はフラットになったはずだ。
なのに――モヤモヤが消えない。
俺は笹身の言葉を流せばよかったのか? 心を傷つけて――痛みを抱えながら憎しみを受けるのか?
リセットをしたから、心は何も痛くない。俺と笹身の関係は終了した。
話し合う余地なんて無かった。一方的な宣言で終わった。
なにも気に病むことなんてない。
だけど――
だけど、俺は走るのをやめられなかった――
「マ、マジかよ……、清水が半周遅れだぜ? あいつ……インターハイ出たんだぞ」
「あの制服野郎誰だよ! 誰か知らねえか!! ていうか、なんでグラウンド走ってんだよ!?」
「タイムは!? ――う、嘘だろ……俺間違えたか? 革靴だろ」
俺が花園さんの事をリセットしなかったら清水君は俺に対して憎しみを向けなかったのかも知れない。……人との関わりの積み重ねが感情を構築するのか。
おかげで笹身との縁も切れた。だが、この程度で瓦解する人間関係なんて――必要ないのかもな。あいつは俺を利用していただけだ。
俺はグラウンドを飛び出して、学校の外へ向かう。それでも俺は走り続けた。
――俺を止める者は誰もいなかった。
もう関係ない人間の事なんて考える必要ないんだ。
――田中、学校って本当に難しいよ。
――珍しく汗が止まらない。
顔の辺りからだ。
たまにはそういう体調の時があるだろう。
心は落ち着いているから大丈夫だ。大丈夫なはずだ。
あっ、そうだ、明日から早朝ジョギングをやめなきゃ。ルートを変えたとしても会う可能性もある。
俺は淡々と自分の予定を考えていた。そうしないと、頭の中に余計なものが生まれそうであったからだ――
俺はボロボロになって靴底が外れたローファーを捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます