ありふれた日常


「と、藤堂!! 僕と勝負しろっ!! 僕が勝ったら花園さんとデートする権利をくれ!!」


「断る。何故俺と御堂筋先輩が勝負をして花園の行動を決めなければならない?」


「ぐっ、わ、わかっている。い、言いたい気分だったんだ……。藤堂、お前は体育祭の練習をしないのか? どうせなら勝負に勝ちたいだろ?」


「すまない、俺は勝負事には興味がない。……友達と楽しく過ごせればそれでいい」


 俺と御堂筋先輩は廊下で良く話すようになった。

 花園の教室に行っても彼がいる時が多い。

 彼から感じるのは陽の気配である。


 花園は御堂筋先輩と普通に喋る。御堂筋先輩がふわふわした顔で浮かれている。

 花園は俺が教室に入ってくると笑顔の質が変わる。

 御堂筋先輩はむきになって俺に突っかかってくる。


 彼は勉強もできて、運動も出来る。特別クラスの生徒のように特筆すべき技能はないが、対人コミュニケーションが異様に高かった。


 なるほど、これがカリスマというものか。

 所詮学生というなかれ。彼を慕っている生徒の数がそれを物語っている。


 俺は彼の事を嫌いになれなかった。真に青春を満喫している者であった。


 なんにせよ、特別クラス以外の学校中が体育祭一色に染められていった。




 中庭でも、女子生徒達の会話は体育祭の話題ばかりであった。

「赤チームが優勝するよ! 御堂筋先輩のリレー楽しみ!」

「白も運動部が多くて有利だよね?」

「ダンスの練習してる? 私リズム感なくて……」

「ふふ、ピンクは仮装して踊るんだ!」

「わ、ずるい〜、私もスプレーで真っ赤な髪にしよ!」


 とても楽しそうであった。

 俺は生徒達が楽しそうしている姿を見るのが好きである。それは今も変わらない。

 賑やかな風景をみていると、俺も嬉しくなってくる。


「へへ、藤堂の衣装作っちゃったじゃん! これ着て競技してもらおう!」


「は、波留ちゃん、それって大丈夫なの!? ……うわぁ……器用だね」


 二人はスマホを見ながら色々と話し込んでいた。


 俺はいつも楽しそうにしている生徒を遠くから見ているだけであった。

 それで十分と思っていた。

 だが、俺は今、生徒と一緒になって学園生活を楽しんでいる。


 こんな高揚感は感じたことがない。

 素晴らしいものである。

 やはり一人ぼっちは寂しい。


 嫌な目を向けられる事がなくなった。

 見下される事がなくなった。

 大切な友達や、大切な人ができた。


「ええ!? 華ちゃん、その衣装着るの!? ヤバ、可愛すぎ……。ちょっと藤堂みてよ!」

「波留ちゃんストップ!! だ、駄目!! 恥ずかしいって!」


 田中が俺に見せたスマホには、うさぎの耳を付けて、給仕服のようなものを着た花園の姿があった。


 俺は感嘆の声を上げた。


「ほぅ、これは……中々素晴らしい。これなら元気をもらえるだろう」


「わ、私、そろそろクラスに戻らなきゃ! また放課後ね!」



 苦しい時間は長く感じるのに、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 体育祭が特別なものではない。

 生徒達の一体感が特別なものへと変えていくんだ。

 一人ぼっちでは絶対味わえない感覚。


 俺は幸せだ。

 常識を知らなくて、不器用で迷惑ばかりかけていた。

 苦しくなったらリセットすればいいと思っていた。

 悲しくなったらリセットすればいいと思っていた。

 楽しいという感情を知らなかった。

 本物の好意というものを知らなかった。


 俺といつも一緒にいてくれた花園。

 俺と真剣に向き合ってくれた田中。


 俺は体育祭が終わったら、俺の心にある気持ちを素直に伝える――

 それがどういう結果になるかわからない。


 俺は走り去る花園と、それを見送る田中を見ながら心に決めた。







「はい……、明日は体育祭です……。見学の人は適当に来て下さい。欠席の人は今日までには連絡して下さい……。はぁ……しんどい」


 ひどくテンションが低い担任の先生がのろのろと教室を出ていった。

 彼女は栄養が足りていないのか? ふむ、栄養価が高いジュースを教えてあげるか。


「先生、また合コン失敗したんじゃん?」

「あれだろ、婚活アプリじゃね?」

「え、それって先生が使っていいの!?」

「……知らん」


 隣の席の田中が席を立った。


「えっと、藤堂、私明日の体育祭で特別な準備があって……。ちょっと音楽の先生と打ち合わせしてくるじゃん! 藤堂は今日はゆっくり休んで明日頑張ってよ」


 田中は前々から先生方と色々準備をしていた。

 ふむ、当日が楽しみである。


「ああ、待っているぞ? どうせ花園も遅くなるだろう。俺も一緒に打ち合わせに――」


「わわ、恥ずかしいじゃん! と、藤堂は先に帰りな! 大丈夫、弟に送ってもらうから!」


 弟君か……それなら安心だ。

 俺と田中は教室で別れる事にした。


 教室を出ると、花園からメッセージがあった。

 どうやら、チームの最後の決起集会というものがあり、遅くなるそうであった。

 先に帰って身体を休めて欲しい旨が書いてある。


 ――ふむ、確かに明日のお弁当の準備はかなり時間がかかる。早く帰って用意をするか。


 俺はスーパーで買う物を頭の中でメモをして、今日の調理の段取りを考えながら学校を出た。






 俺は久しぶりに一人で下校をする。

 生徒がほとんどいなかった。みんな学校で準備をしているのかも知れない。


 風が強い日であった。

 空を見ると、暗くなってきた。明日は晴れるといいな。

 もちろんウェザーニュースで晴れの確率が高い事は知っている。

 そうじゃない。これは俺の願望だ。

 天気なんてどうでも良かった俺が、晴れを望んでいる。


 思わず頬が緩んでしまう。


 風になびかれた髪を整える。

 田中と花園が髪を切ってくれた。


 俺の家に押しかけて来て、ハサミとバリカンを持って楽しそうに切ってくれた。

 俺は少しだけ不安であった。だが、俺はいつの間にかまどろんでいた。

 それぐらいリラックスをすることができたんだ。


 髪を触るとその時の事を思い出す。

 心がリラックスすることが出来る。




 スーパーの買い物は無事に終了した。

 俺は大荷物をぶら下げながら帰り道を歩く。

 花園と何度も歩いた帰り道。途中で田中も加わった。


 俺はこんなに幸せでいいのか? 何もない時間が不安になる時がある。

 これでいいのだろう。これが普通の青春だ。リセットから始まった青春。


 ……明日の体育祭、楽しみだ。


 まるで子供みたいだ。

 ドキドキしている。今日は寝れるのか? ハーブティーを飲んでリラックスして――






「わんわんわんわん!! わふん!!」


 犬が俺に向かって来た。

 俺は反応できなかった。身体が動かなかった。


「な、何故――」


 全身から歓喜の感情が溢れ出す。それと同時に最大限の警鐘が俺の頭の中で鳴っている。


 この犬は――俺の友達だ。

 見間違いようもない。匂いも間違っていない。懐かしい空気を感じる。


 犬は俺の足に絡みついてきた。

 俺はしゃがんで犬を抱きしめた。


 ああ――俺は――こいつらが好きだったんだ。

 喜びの感情で埋め尽くされそうになる心。頭は「何故? どうして?」を繰り返している。



「久しぶりね。元気そうね?」



 ――感情が見えない優しかった大人が俺の前にいた。


 俺は感情がすべてリセットしそうになった。





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