道場の自分勝手


 犬の頭を撫でると尻尾を振って喜んでくれた。

 一緒に走ってくれた。ご飯も一緒に食べた。

 優しい大人はそんな様子を嬉しそうに見ていた。

 初めて俺に友達が出来た。





 教室に入ると、視線を感じる。

 伺うような視線であった。

 変な反応をして問題を起こさないように、俺は知らないふりをする。

 関わらなければ問題は起こらない。



 席に着くと、佐々木さんが小声で挨拶をしてくれた。


「お、おはよう、藤堂君。しょ、小説読んでるかな?」


 クラスメイトと普通に会話をする事は俺にとってすごい進歩である。

 なるほど、趣味を通じて話が広がるんだな。

 実際、小説は興味深いものであった。登場人物の心情は理解し難いものばかりだけど、パターンを知ることができる。

 佐々木さんが貸してくれた小説は一日で読んで次の日返した。


「ああ、ちゃんと読んでる。今日はこの本を読む予定だ」


 俺はカバンから本を出して見せる。


「あっ、バンバン先生の新作だね。ふふ、バンバン先生は心情描写に定評があるからね」


「楽しみだ」


 そんな会話をしていると、佐々木さんは友達に声をかけられた。


「美樹〜、おはよう! あれ? 珍しいね。と、藤堂君と話してるなんて――」

「ミキティ、おはよう〜」


 佐々木さんとは一対一では喋れるけど……佐々木さんの友達とは喋った事がない。

 居心地の悪さを感じてしまう。

 俺は本をそのまま読み始めた。そうすれば話す必要がなくなる。


「と、藤堂君、あのね……」


「美樹さ〜、今日は部活ないんでしょ? 放課後どっか行こうよ!」

「私カラオケがいいな! ミキティ、ボカロ好きだもんね!」


 カラオケか……そういえば結局行ったことがない。学校の合唱コンクールで歌った曲なら歌える。校歌も歌えるな。

 本の文字が滑る。


「あっ、その本私も読んでるよ〜! 私意外と本好きなんだよね〜」


 これは俺に話しかけているのだろうか? それとも佐々木さんに話しかけているのだろうか? 俺はわからなかった。そういう時は――自分の殻に籠れば問題ない。


「あれ? わ、私なんか不味ったのかな? み、美樹〜」


 佐々木さんは俺の机をトントンしてきた。

 俺には意味がわからなかった。


「藤堂君、藤江ちゃんは藤堂君に話しかけているんだよ?」


 俺は顔を上げた。

 クラスメイトの藤江は気まずい顔をしていた。俺にとって見慣れた顔である。


「す、すまない。俺に話しかけているとは思わなかった」


「あ、うん、いいよっ! っていうか、佐々木さんと藤堂君っていつの間にか普通に喋れるようになったんだね!! 全然喋らないし、変な噂しか聞かないからさ〜、なんだ普通に喋れるじゃん」


「わ、私も五十嵐君を通して仲良くなったんだよ。と、藤堂君は全然変じゃないよ。花園さんにはすごく優しくて、見てるこっちが照れちゃうよ」


「ふーん、やっぱ、六花さんのデタラメなんだね……、六花さん好きな子を苛めちゃうタイプだからな~。ていうか、美樹っていつも五十嵐君と一緒にいるよね? なんかあやしいな〜〜?」


「ふえ!? い、五十嵐君は……ただの陸上部の仲間で……」


 俺はどうにかしてこの会話に入ってみようと試みた。

 彼女らは佐々木さんの友達だ。きっと悪い人ではないはずだ。


「――五十嵐君は良い人だ。……佐々木さんの事を非常に大切に扱っている。佐々木さんと話している時の五十嵐君の体温と感情の変化は一目瞭然である」


「ちょ、ちょっと藤堂君!? は、恥ずかしいよ!?」


「きゃははっ!! マジで! ていうか、藤堂って……実は面白い人?」


「俺か? 俺は普通……だ」


 普通か……、本当はわかっている。普通になろうとしているだけの……。

 前から先生には色々提案されていた。そろそろ決断をしなければならない。



 俺がそう言ったところで、先生が教室にやってきた。

 藤江さんたちは佐々木さんに挨拶をして離れて行く。


 佐々木さんは少し赤い顔をしているけど、満更でもなさそうであった。

 なんだか心がほんわかしてきた。

 この前読んだ青春小説みたいであった。





 職業体験の課外授業について先生が話し始めた。

 この時期に行われるイベントである。


 学年全体で行われる課外授業で、企業に訪問をして、どのような仕事をしているのか見学、体験をし、後日レポートをまとめて提出しなければならない。

 受け入れ企業は数社ある。

 クラスで班の作り、班単位で行きたい企業を決める必要があった。


 中学の時のイベントは花園に助けてもらった。クラスメイトとうまく接する事が出来ない俺の面倒を見てくれた。――そういえば花園はストラップ喜んでくれたな。

 ……俺は花園の事を考えて現実逃避をしようとしていた。


 クラスで何かのイベントの班を作る。体育の授業でペアを作る。文化祭で行う作業分担を決める。

 一人である俺は――いつもあぶれていた。

 勇気を出して声をかけても――クラスメイトの嫌そうな顔が忘れられない。

 邪魔モノ――


 まさにその言葉がぴったりであった。


 このクラスには花園も五十嵐君も田中もいない。

 ……大丈夫。少し寂しいけど、余ったところに入れてもらい、当日は一人で行動すれば問題ない。一人は慣れている。


「じゃあ、適当に班決めろ! 決まった奴は黒板に書けよ! 道場、後は任せるぞ」


 道場さんが先生に代わり壇上に立った。先生は教室を出ていった。


「じゃあ、みんな始めは好きなグループになってよ!」


 道場さんの合図とともに、クラスメイトは代表者が黒板に向かい名前を書き出す。


「えっと、あいつの漢字わかんねーよ……おい、前でて自分で書けよ!」

「私と、みよちゃんと……春日君と……」

「やべ、俺たちって多すぎじゃね? お前あっちのグループと仲良いだろ?」

「ああ、話してみる」


 まるで俺の周りだけ空気が止まっているようであった。

 俺は動けないでいた。

 どうしていいかわからない。強い疎外感を感じる……。

 和気あいあいとした空気感は好きだけど……あの中に入れる気がしない。


 ――いつもの事だ。我慢すればこの苦行は終わる。


 黒板の文字が埋まってきた。

 俺以外全員の名前が記載されていた。


「おっ、委員長、大体決まったんじゃね?」

「綺麗に分かれたな〜」

「うん、じゃあ後は――くじ引きでかな? ふふっ!」


 俺は道場さんの言葉に胸が跳ね上がった。

 綺麗に分かれた班の中に入らなければならない。


 クラスメイトは班に異物を入れたくない。

 拒絶の空気が強く感じられる。

 ――くじ引き。それは俺を公平に班に入れるための手段。


 前回もくじ引きであった。あたった生徒が悔しがっていた。俺はハズレなのか?


 今までは全然気にしていなかった。

 でも今は違う。花園と友達になって――田中と友達になって――。

 俺の心は少しだけ変わった。


 これは――おかしくないか?


 人の意思をくじ引きで決める。

 確かに俺は一人だ。佐々木さんとは少し仲良くなれたけど、こんな状況で迷惑かけられない。


 俺は手を上げた。

 クラスはざわついていて誰も気が付かない。


「と、藤堂君……ねえ、私たちの班に入ろうよ? と、友達にもいっておくから。ね、あとで五十嵐君も合流してくれるし――」


 佐々木さんがさっきから俺を見て、悩んでいたのはわかっている。

 佐々木さんの判断で班に俺を勝手に入れると、彼女の人間関係に問題が起こるかも知れない。

 その言葉だけで十分だ。

 これは――良好な人間関係を作らなかった俺の怠慢だ。


「ありがとう、佐々木さん。……少しだけ待ってくれ――」

 ――佐々木さんは良い人だ。五十嵐君にピッタリだ。これからも友達でいて欲しい。


 俺は前に進もうと思う。自分の意思で、自分の行動で――







 俺は注目されるのが嫌だ。

 だが、それ以上に……くじ引きで誰かのお荷物になるはもっと嫌だ。


「うんっとね、今回はくじ引きをやめ――」


「道場さん、何故くじ引きなんだ? 理由を言ってくれ」


 驚いた顔をした道場さんは盛大なため息を吐いた。

 クラスが静かになる。


「藤堂ね……わがまま言わないでよ? みんな君を班に入れたくないからだよ? そんな事言わせないでよ? 全く……これだから友達いないんだよ」


「なるほど、公平だ。だが――」


 佐々木さんが「わ、私達の班で――」と言いかけたが、俺は手で制した。それを言ってしまうと、佐々木さんは教室で好奇な目にさらされる。

 自分がされて嫌がることを人に与えるな。


「それには悪意が入っていないか? ――なら俺は一人でいい」


「はっ? クラスの行事だよ? そんなわがまま聞いてられないよ? ていうか、みんなに聞いてみようか? ねえ、みんなさ〜、藤堂を班に入れたいかなっ?」


 道場さんと一緒にカラオケ行った生徒が真っ先に声を上げた。


「ちょ、六花ちゃん〜、それはキツイって……ははっ」

「ムリムリ、冗談通じないもん」

「ていうか、陰キャの面倒なんてみてられねーよ」


「別にいいんじゃね?」

「早く終わらそうぜ」

「わ、わたし……」


 声を出そうとする佐々木さんを手で制しながら俺は続ける。


「確かに、俺はあまり好かれていないようだ。……好かれていない生徒を無理して入れるのはどうなんだ? なら、俺は一人でいい――」


「はぁ……話し聞いてないの? 班で行動するのよ? もう、し、仕方ないわね……」


 道場さんはため息を付きながらも何故か媚びたような目つきで俺を見た。


「――そ、そんなにくじ引きが嫌だったら、わ、わ、私の班に――」


 俺は壇上に向かって歩き出した。

 道場さんの息を飲む声が聞こえる。


「……あっ、やっと分かってくれたんだ? ふふ、先生、意地悪なんだから――あれ?」


 俺はチョークを手に取った。





 **************







 藤堂は私に向かってゆっくりと歩いてきた。

 私に話しかけてくると思ったら、チョークを手に取った。

 藤堂の動きがそこで止まった。





 藤堂、一人ボッチだからどうしようも出来ないよ。だって藤堂には私しか友達いなかったもんね。

 ……素直に私に謝って仲直りしてくれたらいいのに。


 可哀想だから、くじ引きをやめて私の班に入れちゃおうと思ったのに……。

 変なタイミングで喋るんだもの。


 班分けの時、縮こまっている藤堂を見ていたら少しだけ可哀想に見えてきたよ。


 ……それにしても藤堂があんなに冗談が通じないなんて思わなかった。

 図書室で私が近づくとドギマギしてたしね。絶対好きだったでしょ?

 カラオケでは怒って帰るなんて思わなかったよ?

 

 私が班に入れてあげたら、また優しい先生に戻ってくれるよね?

 ――怖い藤堂は嫌だよ? 藤堂が教室で怒ったのは私を困らせたかったんでしょ?


  



 カラオケで藤堂が私の事を待ってくれた時は本当に嬉しかったよ。私のために――。

 そう思うと、ちょっとだけ胸がキュンとしちゃう。

 冗談のあとで、一杯甘えてあげようと思ったのにさ。


 でも……藤堂はいつまで経っても怒ったままだった。冷たくしたら謝ってくると思ったのに……、目も合わせてくれなかった。

 痺れを切らして私がキレちゃったけど……、教室での藤堂の雰囲気が、おしっこを少し漏らしちゃうくらい怖かったよ――



 やっぱり二時間も待たせたのが駄目だったの? だって、藤堂は私と二人っきりで出かけたくないって言ったんだよ? ……悔しかった。意地悪したくなっちゃったよ。花園とはいつも出かけていたのにさ。


 気になる子には意地悪したくなっちゃうよね? そんなの普通でしょ?


 藤堂――頭良いからそれくらいわかると思ったのにね……。



 藤堂は一人で行くと言い出したけど、そんな事は私が許さないっ!

 い、意地悪言ったから怒ってるだけでしょ? あ、後で謝るからさ!!

 この前だって教室で、藤堂が私に意地悪したでしょ! 私の事を知らないなんてひどい嘘つかないで!!

 図書室ですごくやさしかったでしょ!?

 もう勉強教えてくれないなんて――寂しすぎるよ……





 すぐ近くにいる藤堂を熱く見つめる……


 藤堂は動き出して、黒板に自分の名前書いた。

 どこの班にも属していない。黒板の端っこだ。

 藤堂は自分の名前にバッテンを書く。



「え……?」



 チョークを置いて、誰に話すわけでもなく喋り始めた。


「なら、俺はこのクラスを出よう。……実は先生から特別クラスに移動を勧められていた。それに、ほんの少しだけ本気を出して生きようと思う。もしかしたらもっと変われるかもしれない。――俺は職員室へ行く。あっ、佐々木さん、ありがとう――また本を貸してくれ――、む、大丈夫だ。いつでも会える、五十嵐君と一緒に遊びに来てくれ」



 と、特別クラス!? げ、芸能関係や勉強がすごく出来たり……、通常のクラスとは別枠で数えられている特別なクラスよ……。




 藤堂は私を見ていない。眼中にない。佐々木には優しい瞳を向ける―――

 わ、私には? ちょっと意地悪しただけなのに!! 


 藤堂は教室を出て行った。クラスメイトは困惑の色を浮かべる。


 と、藤堂、本当に……もう駄目なの? そ、そんなに、私が悪かったの? ただの意地悪でしょ!? 

 いなくなっちゃうのは……、い、いや! それは絶対嫌!! だって藤堂はずっと私の先生だよ!!



 この時、私は本当の後悔というものを知った。


 腹の奥から渦巻く気落ち悪い感情。

 自分のしでかした罪を自覚した瞬間。

 取り返しのつかないモノを自分で壊した感覚。



「と、藤堂――」



 私の声が静まり返った教室で鳴り響いた。



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