リセットの使い手
「お兄ちゃん? どこに向かうの? そっちは学校じゃないよ」
「ふむ、たまには一日くらい中学を休んでも大丈夫だろう?」
「それはいけない事」
「だが、学校に行きたくないんだろ? 足取りでわかる」
「そ、それは……」
俺は七瀬と一緒に中学へと向かおうとした。が、途中でそれをやめた。
なぜかというと、七瀬の足取りが重かったからだ。
七瀬は中学に通うことが好きじゃない。
そんな感情は無い、と思っていたとしても身体が拒否をしている。
ほんの些細な身体の動きと顔色でそれがわかる。
俺が経験者だからだ。
だから、俺は思い切って今日は休みにしてあげたかった。
馬鹿な事だと思う。
真面目な七瀬としては、大人から通えと言われた中学に登校しない事を不安に思うだろう。
馬鹿な事をしていいと思う。
ちゃんと中学には連絡をしておけば問題ない。
まずは俺の家に帰ろう。そして、荷物を置いて色々準備してから出かけよう。
七瀬には心の余裕が必要だ。
家に帰ると、まず七瀬をシャワーを浴びさせた。
そして俺はその間に七瀬の荷物を洗濯する。
本人には許可を得ている。流石に女の子の衣類なので俺が触ると嫌がると思って、洗濯袋に入れるのは本人にお願いした。
着ていく服がなくなるが問題ない。
朝が早かったからまだ時間がある。
俺は簡単な朝食を作りながら七瀬を待つ。
その時、玄関からチャイムが鳴った。
玄関のドアを開けると、そこには花園が荷物を持って立っていた。
「おはよー! へへ、色々持ってきたよ! あっ、七瀬ちゃんシャワー中かな?」
「花園、おはよう。すまない、非常に助かった」
「全然構わないよ。それにこういう時は――」
「ああ、そうだな。ありがとう、花園」
花園が俺に家に入る。
一度だけ、この家には花園と田中が訪れる時がある。
今回のように花園を呼ぶのは初めてであった。
花園は勝手知ったる家のように、奥へと進み荷物を置いて色々なものを取り出す。
「あっ、藤堂が見ちゃ駄目なものがあるから気をつけてね!」
「う、うむ、女性のものはとても気を使う。善処しよう」
「あっ、なんか懐かしい言い方だね。ふふ、藤堂が困ってるときによく使ってたもんね」
「そうだな……、懐かしいな」
そんなに前の事でもないのに、とても懐かしく感じる。俺の言葉は古臭いらしい。
だが、頑張って変えられるようなものでもない。
だから俺は自然体のままでいる。
「む、そろそろ出てくる気配がするぞ」
「あっ、じゃあ私準備してくるね!」
花園は脱衣所へと向かって扉越しに七瀬に挨拶をする。
「七瀬ちゃん、タオルここに置いておくからね。それに新しい下着と制服を用意しておくからちゃんと着てね」
『あ、優しいお姉ちゃん……。あの、それは、お金が……』
「大丈夫気にしないで! 家にあった使ってないものだから!」
浴室の扉が開く音がした。
俺は台所で料理をしながら二人のやり取りを聞いている。
「で、でも」
「ほら、ちゃんと拭いて。風邪引いちゃうよ。わぁー、すごく肌がキレイね……。うーん、でもちゃんとご飯食べてないから痩せてるね」
「……は、恥ずかしい」
「あっ、まって! ドライヤーで乾かさなきゃ駄目よ! 女の子なんだから! 逃げちゃ駄目!」
うむ、二人はうまくやっていけそうだ。
俺はご飯を食卓に並べておこう。
こうして、俺は二人が出てくるまで正座で待っていたのであった。
*****
花園のお下がりの制服を着た七瀬が、テーブルの前にチョコンと座っている。
随分とキレイになった。元々可愛らしい顔立ちだが、より一層それがわかる。
前髪を少し切ったのか? 随分と印象が違う。
「……うん、前髪だけでも整えられてよかった! もしかして自分で切ってるの?」
花園が七瀬の髪をさわさわしている。
「うん、髪は自分で切るもの」
「ふむ、俺も昔は自分で切っていたが、それは間違えだと気づいた」
昔の俺の髪型は酷いものであった。
視界を塞ぐほどの前髪とぼさぼさ頭。それでも構わなかった。
「そうよ、藤堂なんてすごくぼさぼさだったんだから! 今日はこれでまとめるから、また後でちゃんと切ろうね!」
七瀬は照れているようで俯いてしまった。
ふむ、花園の事は気に入っているようだ。
俺は先程焼いた鮭をもぐもぐと食べる。
花園が俺のジト目で見ていた。
「ど、どうした?」
「あのね、びっくりしたわよ! 七瀬ちゃんを休ませるって聞いて」
「い、いや、それは……、そうしないといけないと思ったからだ」
「……藤堂がそう思ったならいいけど、ちゃんと学校には連絡するのよ」
「もちろんだ」
「一日だけだったら多分大丈夫だと思うけどね」
七瀬が少し不安そうな顔で俺を見つめる。
「……やっぱり駄目な事。やめた方がいい」
「七瀬、休息は仕事の一つである。健康な身体と心がよりより結果を生むんだ」
七瀬の隣に座っている花園が、七瀬の肩に手を置く。
「七瀬ちゃん、高校って見てみたくない? ねえ、藤堂もいいでしょ? どこかにお出かけする前に一緒に高校まで登校しようよ!」
「え? ……高校?」
「学校の前に行くだけだから全然大丈夫だよ!」
七瀬はしばらく考えたあと、コクリとうなずく。
む、花園の言う事はちゃんと聞くのだ。
七瀬は自分の膝の上にコザメを置いて、朝食を食べ始めた。
そして、ぽつりとつぶやく。
「……高校。見てみたい……」
*********
その後、朝食の後片付けをし、洗濯物を干し、軽く掃除をして家を出る準備をする。
もちろん、七瀬も花園も一緒だ。
玄関先で花園が七瀬に学生カバンを手渡した。
「はい、これ! 私が去年使ってたもので、今は使ってないから七瀬ちゃんが使ってくれたら嬉しいな!」
花園は七瀬が持っていたコザメをカバンにつける。
「うん、ピッタリだね!」
七瀬は口をモゴモゴさせていた。無表情に見えるが、すごく嬉しそうだ。
「カバン……」
「うん、七瀬ちゃんのカバンだよ!」
七瀬は受け取ったカバンをじっと見つめていた。
何かいいたそうだけど、言葉が出てこない。そういった感じだ。
俺は七瀬の頭にぽんっと手を置く。
「これは花園の善意というものだ。ちゃんと受け取る事がお返しになる」
七瀬がコクリとうなずく。
そして、玄関先でキョロキョロと何かを探していた。
「靴……?」
「ああ、先程洗っておいた。まだ乾いてないから履けないだろう」
七瀬が履いていたスニーカーはボロボロであった。
一応手入れはされてあったが、靴底はすり減り、足先は穴が空いて、まともに履ける状態ではなかった。
だが、大切な靴かも知れない。だから俺はキレイに洗っておいた。
「これも私のお古だけど、このローファー履いてみようよ」
花園が七瀬の前にローファーを置く。それは一般的な学生が履いている靴だ。
少し色褪せているがキレイな状態であった。
七瀬は俺と花園を交互に見つめる。
そして、コクリとうなずいて靴を履いた。
「……穴、空いてない。……ありがと」
泣きそうになる七瀬に笑顔で答える花園。
「早く学校へ行こ!」
思わずその笑顔に俺はドキリとしてしまった。
やはり、花園はとても魅力的な女性であると再認識してしまった――
********
「あ、あのね、少し歩きづらいかも」
七瀬の両手は塞がっている。俺と花園が手を繋いでいるからだ。
こうすれば迷子にならない。俺の提案だ。
「えへへ、こうやって歩いていると不思議な感じだね! ……親子? 姉妹? 兄妹?」
「恥ずかしい……」
俺も花園も基本的には人目を気にしない。
通学路にはうちの学校の生徒が歩いている。
最近は知らない人から挨拶されることも多かった。
あの体育祭の影響らしい。
今日は特に視線が多い。
七瀬がいるからである。
「おーい、華ちゃんおはよう! 藤堂もおはよう!! あっ、七瀬ちゃんおはよう! 昨日と全然違うじゃん! 超かわいい!」
いつもの待ち合わせ場所、田中が手を振って走ってきた。
田中には俺が欠席することを連絡してある。
……教室で田中に会えないのは寂しいが、大丈夫。
悲しい寂しさではない、前向きな寂しさだ。
「えへへ、華ちゃんも一緒に休んじゃえばいいじゃん!」
「へ? そ、そんな事できないよ……。えーと、本当は少しだけ考えたけど、多分二人っきりがいいのかなって思ってね……」
「そっか、ならそういう事じゃん! 七瀬ちゃん、今日は楽しんでね」
七瀬は田中をみて眩しそうな表情をしていた。
手に入らない何かをみているような感じだ。
七瀬はコクリとうなずく。
「ん、もう諦めた。お兄ちゃんと楽しむ」
「ほえ? お、お兄ちゃん!? 藤堂、なんか本当の妹みたいじゃん! 笹身さんが嫉妬しちゃうね」
田中の言葉が妙にムズムズする。
「た、たしかに七瀬は妹みたいなものだ。だが……」
言葉を言いかけた時、七瀬は俺の手をくいっと引っ張った。
「ねえ、お兄ちゃんは花園さんと田中さんのどっちが恋人なの?」
「なっ……」
自分の顔が真っ赤に染まるのがわかる。
とても恥ずかしいという感覚だ。
七瀬は相変わらず無表情ではあるが、興味の視線を感じた。
「あっ、それ私も気になるじゃん!」
「そ、そうだね。ど、どうなのかな〜?」
二人が俺に詰め寄る。
だが、俺にとって二人は世界で一番大切な二人だ。どっちかなんて決められない。
「それはその、大切な、俺の……」
俺が言葉を選んでいると、後ろから背中を叩かれた。
油断していたが、俺にこんな事をできるのは現状一人しかいない。
振り返るとお姉さんがいた。
「おはっ! 絶対避けられると思ったのに。鈍ったの? てか、堂島七瀬も一緒ね? あら随分と可愛らしくなって」
お姉さんは俺の返答を待たずにみんなに挨拶を告げる。
そして、七瀬の質問もうやむやになり、みんなで登校をすることになった。
助かった……。
*********
「これが高校……」
「ああ、これが高校だ」
花園たち三人は学校内へと入っていった。俺と七瀬は校門の前で姿が見えなくなるまで見送る。
少し寂しい気持ちになる。
本当は花園が一緒だと心強かった。だが、そうすると、昼休みの時に田中がきっと寂しがる。
正直、一人で行動するのは不安だ。
俺は普通じゃなかった。
体育祭までで色んな経験をした。アルバイトだって新しく増やした。
それでも、俺は間違えをするときもある。
高校の校舎を見上げている七瀬。
やはり七瀬も寂しそうに見える。
そんな姿をみて俺は頑張らなくてはいけないと思った。
「中学だけが全てではない。俺は沢山の失敗をし続けた。今も完璧じゃない」
「うん。でも普通の暮らしは難しい」
「そうだ、だけどそれは俺たちだけじゃない。みんな悩んで、考えて、最善の行動をしているんだ。だから――」
俺は再び七瀬の手をつなぐ。
「お前はもうひとりじゃない。俺たちが友達になれたんだ」
「友達――」
七瀬は友達という言葉に戸惑っていた。
今まで聞いたこともない言葉を知ったみたいに――
「俺は楽しみにしてるぞ。この高校に七瀬が通うことを」
「僕が、高校に……」
七瀬は高校の校舎を見つめている。
俺は気が済むまで隣で寄り添ってあげた。
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