水族館
中庭には花園の二人っきりであった。
田中はまた弟君と相談があるらしく視聴覚室で何かをしているようだ。
元トップアイドルのお姉さんも加わってアドバイスを貰っているらしい。
ちゃんと落ち着いたら俺にも教えてくれると言っていたので、俺は待つだけだ。
「波留ちゃん頑張ってるみたいだね」
「ああ、まだ何をしてるかわからないが、きっと前に進んでいるんだろう」
「うん……、みんなすごいな。同い年なのに仕事してたり、特技があったり……。私は何もないもんね……。すごく平凡で」
「いや、そんな事はない。花園はすごいぞ」
俺は少し食い気味に言葉を被せてしまった。
花園は俺の勢いに動揺している。
「と、藤堂?」
「まったく何を言っているんだ。田中の歌声は確かにすごい。それに包容力もあり優しさもあり、お母さんみたいな匂いもする。だが、花園はそれに負けていない」
何故か俺の言葉が止まらなかった。
「――俺をずっと待っていてくれたんだ」
幼稚園の頃の別れ。そして、中学の時の再会。
あの頃の俺はひどいものであった。
冷めた感情と欠落した常識。
花園はそんな俺と一緒にいてくれた。
「花園がいてくれたから、今の俺がある。それは他の誰かではできなかった事だ。だからお願いだ。花園は本当にすごい女の子だとわかってほしい。それに花園のいいところは沢山あるぞ。まずは心がとてもキレイで、とてつもなく優しくて、ツンツンしたところもなくなり素直になって――」
「わ、わかったから! 恥ずかしいからやめよ? もう大丈夫だよ。うん、そうだよね、自分ではあんまりわかんないもんね。ありがと、藤堂」
「うむ、なにやら気恥ずかしいな……」
「そ、そうだよ! まったくもう……」
俺と花園の間に沈黙が広がる。だが、嫌な沈黙ではない。心地よい沈黙である。
「それに七瀬は花園の事が大好きだぞ」
「あっ、七瀬ちゃん、元気なのかな?」
俺は自分の弁当を見つめる。きっと今頃は同じ弁当を食べているのだろう。
あの日は俺たちにとって特別な日となった。
俺はあの日の事を思い出した――
*******
不器用な二人が不器用なりに街に繰り出す。
普通の学生なら簡単にできる事が、俺たちにとって難しい。
だけど、普通の学生なら当たり前に行ったことがある場所がとても新鮮に感じられる。
バスに乗った時はどうやって支払えばいいかわからず困ってしまった。近くにいたおばあさんが俺たちを助けてくれた。
バスを降りる時に使うボタンを押したかったが、七瀬に譲ってあげた。七瀬は真剣な顔でボタンを押した。
バスの中でおばあさんに別れの挨拶を告げると、おばあさんは七瀬に飴玉をくれた。七瀬は小さな声でお礼を言えることができた。
バスを降りると、目の前には商業施設があった。俺にとっても初めての場所。迷子にならないように七瀬と手をつなぐ。
受付のお姉さんからパンフレットをもらい、俺と七瀬は食い入るように地図を見る。
頭に全て叩き込んで、避難経路を理解してから移動を開始した。七瀬はパンフレットを大事そうにカバンの中へとしまっていた。
目的地のジュースが美味しいと噂のレストランにたどり着いたが、早すぎたため店が空いていなかった。
七瀬の提案により、俺たちは隣接している水族館へと行くことにした。
七瀬はお金の心配をしていたが、俺の貯金額と現在の収入を聞くと胸をなでおろしていた。
水族館のチケットを買うと、七瀬はいまにも走り出しそうな勢いで入場していった。俺はあとを追わなければ行けなかった。
七瀬は入り口で立ちすくんでいた。
大量の魚が大きな水槽の中で泳いでいる様子に目を奪われていた。
無表情であるはずの七瀬にほんの少しだけの笑顔が垣間見れた。初めて年相応の表情が見れた。
俺はなんだか嬉しい気持ちになれた。
七瀬は食事をすることも忘れて、水族館を回る。
俺はあとをついて行くだけだ。
学生服姿の入館者が多数いた。多分遠足か何かで来ているのだろう。
七瀬はそんな彼らを見て、寂しそうで悲しそうな表情をしていた。
だけどそんな不安そうな顔もペンギンを見たらかき消えたように見えた。
そして、閉館の時間までいた水族館を出た。入った時と同じように手を繋ぎながら。
本物の兄妹のように――
そして、お姉さんからの連絡により、俺たちは自分たちの街へと帰ることにしたのだ。
体力が常人よりもあるはずの七瀬は、バスの中でウトウトと眠りにつくのであった。
*********
「藤堂? 大丈夫かな? なんかぼうっとしていたよ」
「ああ、すまない。あの日の事を思い出していた」
「あっ、七瀬ちゃんとお出かけした日?」
「それもそうだが、初めて花園とデートをして誕生日プレゼントを渡した日の事も思い出した」
花園がお茶を吹き出した。こほこほとむせている。
なにか駄目な事を言ったか?
「あ、あれはデートの練習で……、あの時も商業施設だったもんね」
「うむ、とても楽しかった。忘れられない思い出だ」
「……きっと七瀬ちゃんも忘れられない思い出になったと思うよ。ふふ、藤堂は結構面倒見がいいのね」
「そんな事はない。花園には負ける。なぜなら中学の俺と一緒にいてくれたではないか」
「そうだね……。中学の時の藤堂は本当に大変だったよ……」
花園は遠くを見つめながら懐かしむような表情をしていた。
「あれだよね、七瀬ちゃんって今はあやめさんのお家に住んでるんだよね?」
「ああ、そうだ。といっても、お姉さんは家事が全くできない。俺の新しいアルバイトとして家事をしてあげている」
「そ、そうなんだ……。じゃあ私も遊びに行くね!」
「うむ、七瀬は喜ぶだろう」
きっと、七瀬は大丈夫だ。あいつは俺と似ている。
いつか、大切なものに気がつくだろう。
*********
僕、堂島七瀬は昼休みの教室で弁当を取り出した。
僕はお兄ちゃんとの記憶があるわけじゃない。
もしかしたらお兄ちゃんは、過去に僕に酷い事をしたのかも知れない。本当の事はわからない。
ほとんどの記憶がない。別に不便しないと思っていた。
あの写真に写っている人たちは誰も笑顔を浮かべていない。みんな怖い顔をしている。
私もそうだ。
だけど、再会したお兄さんは笑顔を僕を受け入れてくれた。
そんな事を思いながら僕はお兄さんが作ってくれたお弁当を開ける。
どうやら一人分も三人分も手間は同じ、ということらしい。
お姉さんの家に住むことになった僕は、お姉さんから仕事をもらって家賃を支払う。
お姉さんの事も覚えてない。ツンツンしてるのにすごく優しい人。
「……人参、栄養たっぷり」
好き嫌いはないと思っていた。だけど、人参はちょっとだけ苦手。気合を入れて人参を口に入れる。
お兄さんの料理はどれも美味しかった
一人ぼっちだけど、一人という気がしない。
お兄さんと一緒に食べているみたいだ。
教室ではクラスメイトがグループを作って昼食を食べている。今まで全然気にしていなかったけど、グループ内での役割や力関係が発生しているように見えた。
このクラスでも僕以外に一人ぼっちの生徒はいた。
女子グループからハブられた女の子だ。
他人事ながら心配だったけど、なにやら男の子と仲良くなったみたいだ。
……その男の子は私が持っている写真の中の一人だと思う。同じ学校には何か意味があると考えた。
中学を入学した時に一度だけ訪ねてみたけど――
『すまない、俺は君の事を知らない。……もしかしたら消去してしまったのかもな。もしも君があそこの関係者だとしたらあまり関わりたくない。この話はやめよう』
冷たくそう言われた。
だから私は関わらないようにしていた。
それ以来、一切話す事はなかった。
そんな彼が笑顔を見せて、女の子……、名前は……確か
彼に何があったかわからないけど、きっと良い事なんだろう。
それにしてもお兄ちゃんと喋り方がそっくり。
やっぱり、お兄さんとも色々あったのかな?
「あっ……」
お弁当の中身が全部なくなってしまった。
いつも節約してお昼は水だけだったから、変な感じ。
お陰で体調がすごく良くなった。
お弁当を片付けて、あとは魚図鑑を読んでお昼寝するだけ。
なんだろう、前よりも心に余裕ができたみたい。
机の横にかかっているカバンに付いているコザメを見ると変な気持ちになれる。なんだか温かい気持ちだ。
よくわからないけどいいことなんだろう。
「なあ、お前って鮫好きなの? ちょっと見せろよ」
いきなりだった。
隣の席のサッカー部所属の……日向君が話しかけてきた。
日向君は友達も多くて、みんなと仲が良い。僕とは一度も喋った事はないはずだ。
なんて返答していいかわからなかった。だから僕は無視してやり過ごそうと思った。
「……ちっ、無視かよ。……なあいいだろ? 少し見せてくれよ」
なんで日向君は顔が赤くなっているんだろう。
よくわからない。だけど、このまま無視するのも良くないと思った。
「……見せるだけならいい。これはお兄さんが取ってくれた大切なもの。壊したら……」
――あなたを壊す。
あっ、思わず殺気を出してしまった。
日向君は嫌な顔をしているとおもったけど違った。
「そ、そうか。大切なものなのか……。お兄ちゃんいるのか?」
「ううん、本当の兄ではない。お兄さんみたいな存在」
「ふ、ふーん、そっか。なんだ、一人じゃなかったんだな! あ、あのさ、お前いつも一人じゃねえかよ。と、友達作らねえのか?」
この会話はいつまで続くのだろう? 僕は図書室から借りた魚図鑑を読みたい。
それでも、いつもと違う空気感というものを感じる。
なんだろう?
「それにさ……、髪切ったんだろ? に、似合ってんじゃねえか」
「ん……、花園お姉さんが切ってくれた」
僕が髪を見せびらかすと、日向君は頭をかきながらそっぽを向いた。彼の行動がよくわからない。
馬鹿にされるのかと思ったけど、違った。もしかして、彼は僕と世間話をしたかっただけ?
色々なパターンを高速思考する。
――彼は僕が一人だから心配したの? なぜ彼が?
ふと、藤堂お兄ちゃんを思い浮かべた。写真に写っている冷徹な表情じゃない。あの人はいつも笑顔だった。
僕も笑顔を作れるのだろうか?
僕は手を顔に持っていく。
そして、顔の筋肉をマッサージして、笑顔の練習をしてみる。
日向君の行動はよくわからないけど、コザメを馬鹿にしなかった。だから感謝をしよう。
上がらない口角を手を使って上げてみる。
今の気持ちを彼に伝えよう。
「――ありがと」
「ばっ!? ちょ、まって。お、おれ、ま、また後でな!!!」
日向君は走ってどこかへ行ってしまった。嫌な表情はしていなかった。ただ顔がタコさんみたいに赤かっただけだ。
クラスメイトのざわめきが耳に入る。
「なんか雰囲気変わったのかな?」
「元々日向はあいつの世話を焼こうとしてただろ」
「てか、ずっと無視されてたもんね」
「ありゃりゃ、日向君は純情」
「堂島さんって笑うと可愛いね」
「そういやあいつが笑ってんの初めてだな」
「てか、このクラスの堂島は変なやつしかいねえのかよ」
「ば、ばか!? 堂島に聞こえてんぞ!! 握りつぶされるぞ!?」
よくわからないから気にしないようにした。
今日はよくわからない事だらけだ。
でもいつもよりも居心地が良い。
……もしかして、日向君は僕と話したかっただけなのかな?
バタバタとした足音が聞こえてきた。
「ちょっと、尊!? どうしたのよ!?」
気がつくと目の前に堂島尊が立っていた。全く気配を感じなかった。
その堂島を追って氷崎さんもやってきた。
「ふむ、監視役と思ったが違うのか。最近は俺も人の心がわかってきた。これも全てちさのおかげだ」
堂島は小声で喋る。僕にしか伝わらない言葉。
「関わらないじゃなかったの」
「俺はお前よりも身体能力が低い」
この前、教室で色々あって、堂島尊は中身が入っているペットボトルを握力だけで破裂させたような気がするけど……。僕にはそんな握力はない。体術を絡めてなら確実に負けないけど。
「……なんのようなの?」
「おお、そうだ。いくらお前が関係者だとしても一人ぼっちなのが気になっていた。……日向君はいいやつだ。俺が学校で迷子になった時に助けてくれた。きっと良い友だちになるだろう。それだけを言いたかった」
堂島はそれだけ言って、自席へと戻る。
後ろにいた氷崎さんはキョトンとした表情を浮かべる。
「はっ? ちょ、なんの話してたのよ! あっ、堂島さん、失礼するね!! ――ちょっと、尊!! あ、あの子可愛くなったからちょっかいかけたの?」
僕たちの声は小さすぎて他の人には聞こえない。
「な、何を言っているちさ。む、昔の知り合いに似ているから質問しただけだ。そ、それに、ちさの方がとてもかわいいではないか」
「た、尊!?!?」
二人はじゃれ合いながらそのまま教室を出ていった。
……なんだろう、これが胸焼けするという気持ちなのかな?
僕が持っている写真の中の堂島尊は鋭い眼光で表情が読めなかった。今みたいな明るい表情ではない。
きっと彼は氷崎さんと出会って変わったんだろう。
なんか疲れた。
今日はお兄さんがおでんを作りに来てくれる。僕のアルバイトはそれの手伝い兼お姉さんの護衛。
僕は魚図鑑を取り出して読み始める。
心を落ち着かせよう。
日向君は僕と友達になりたがっていたのかな?
そう思うと、何故か胸がドキドキしてきた。
彼が教室に帰ってきたら何か話した方がいいのかな?
どうすればいいんだろう?
僕は自分の中の、『よくわからない』という言葉を消去する。
わからない事は知ればいい。じゃないと前に進めない。
これが緊張というもの。たった一言を言いたいだけ。友達でもなんでもないクラスメイト。
だから、僕は――ほんの少しだけ前に進むことにした。
「……お、おかえり」
席に戻ってきた日向君に話しかけてみた――
幼馴染に陰で都合の良い男呼ばわりされた俺は、好意をリセットして普通に青春を送りたい うさこ @usako09
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