お姉さんと一緒
「はっ? ふ、二人っきりで話すはずだったのに!! あ、あんたなんでこの子がいるのよ!?」
「いや、すまん、これには理由があってな」
「ん、ごめんなさい」
「べ、別にあなたは謝らなくていいのよ。……この唐変木が悪いのよ!」
「む、俺が悪いのか? 確かにそうかも知れないが……」
七瀬が泣き止んだあと、俺たちは俺の自宅へと向かった。
七瀬のお腹から『きゅぅ』という音が聞こえたので、俺は台所で簡単な料理をすることにした。
料理をしながらお姉さんに家に来るように連絡をしておいた。
元々はシェフのお店でご飯を食べながらお話をする予定であったが、お姉さんは俺の家に来てくれたのであった。
「全く……、本当にマイペースなんだから」
「俺たちはそういうものだから仕方ない」
「あなた七瀬だっけ? あそこで見たことあるわね……。……もう、すごく眠そうじゃない。……ほら、この枕使っていいから少し寝てなさいよ」
「……ん、ありがとう」
お姉さんが勝手に俺の枕を七瀬に手渡す。
別に構わないが、なんとも自由人なお姉さんだ。
枕を受け取った七瀬はすぐに眠りに付いてしまった。
といっても、きっと浅い眠りだ。いくら俺が写真の男だとしても、ここが安全地帯か判断できないだろう。
お姉さんは七瀬の身体に毛布を被せる。
その眼差しはとても柔らかいものであった。
「ふむ、俺と話す時の態度とは随分と違うな」
「はっ? べ、別にそんなんじゃないし! ていうか、まだちゃんと聞いてないけど、この子もあの小学校出身でしょ。……ならさ、別に優しくしてもいいでしょ」
「そうだな……」
俺たちにしかわからない昔の思い出。
それは辛かったり苦しかったりするけど、大切な思い出の一つである。
「コーヒーを新しく入れよう。最近は入れ方がうまくなったんだ」
「いや、それインスタントじゃない! ……まあ美味しいからいいわよ。早く頂戴ね」
台所で新しいコーヒーを入れる。
初めはコーヒーというものが美味しく感じられなかった。これを飲むならジュースの方が圧倒的に良いと思っていた。
だが、花園からもらったコーヒーを入れて、夜中に一人で考え事をすると、何故か心が落ち着く気がした。
その時のコーヒーは味わい深いものだと理解できた。
このコーヒーがインスタントだと知っている。原材料が豆だと理解している。豆を挽いてコーヒーを入れると香りが良くなると知っている。
だけど、俺は花園がくれたこのコーヒーが好きなんだ。
俺はお姉さんにコーヒーを運ぶ。
「ありがと、あんたも飲みなさいよ」
「ああ、もちろんだ」
そういえば、こうやって家で誰かとコーヒーを飲むのは初めてであった。
「じゃあ、私の説明からするわね。……あの小学校卒業から話すわ」
こうして俺とお姉さんとの会話が始まったのであった。
現状の説明までしてくれたお姉さんは、コーヒーを一口飲んでため息を吐く。
「――で、事務所をやめて普通の生活に戻ることにしたのよ。幸い貯金は沢山あるわ。契約違反になるような事はしてないし、むしろ訴えなかっただけ向こうはラッキーなはずよ」
軽い口調で話すお姉さん。
小学校を卒業してからのお姉さんは壮絶な人生を送っていた。
元々、俺たちは能力が高い。それは普通の生活をして初めてそれを理解した。
高すぎる能力は他者と壁を作る。
中学の時の俺がそうだった。常識もなかった、という理由もあったが。
普通に卒業をしたお姉さんは、大人のバックアップがあった。一流のお嬢様学園であるセントバーナード学園の中等部に入学し、一般常識を学び、並行して芸能活動を従事する。
芸能活動を選んだ理由は、お姉さん自身が選んだ希望であり、あの小学校卒業生に見てほしかったという事らしい。
「べ、別にあんたに見つけてもらいたかったわけじゃないからね!」
そんな事を言っていた。
それにしても、俺の卒業とは随分と違う。
俺はあの頃の記憶が混濁していた。
自分があの場所から脱走したと思っていた。だが、それは全て大人の手のひらの上であった。
「なるほど、お姉さんは自分で生きる道を探せたんだな」
「私だってあんたと同じように初めはすごく苦労したわよ。だって一般常識がわからなかったのよ。……演技ができなかったらヤバかったわ」
「それは痛いほどわかる……」
「それに私は運が良いわ。芸能事務所の先輩で、田中がいたからよ」
「む、それは弟君の事か? お姉さんは弟君の事が好きなのか?」
「なんですぐに恋愛沙汰にするのよ!? このバカ!! ぶっ殺すわよ!」
どうやらそんな関係ではないようだ……。少し残念だ。二人はとてもお似合いに見えたのに。
「色々と世話になったのよ。ていうか、あいつって何者なの? ぶっちゃけ初めは小学校の関係者かと思ったわよ。能力が高すぎるわよ」
「ふむ、親交はあるがそこまでの事は知らない。お姉さんが言うなら大したものなのだろう。だが、俺にとっては田中の弟君だ」
「あ、あいつの話はもういいわよ! ていうか、今度はあんたの話をしなさいよ!」
「うむ、卒業の記憶が曖昧だが、思い出した事を踏まえ順番に話そう」
俺は今に至るまでの俺の物語を話した。
歯抜けの記憶のまま、あの場所から脱走したと思っていた事、入学した中学校では人間関係に苦労した事、嫌な事は全てリセットしていた事、花園との再会、中学の事件、高校入学してからの出会い。
そして、本当に大切だと思える人たちに出会えた事。
大人からの召還命令。
リセットを壊して、召還命令を先延ばしにすることができた事を。
俺の話を聞き終えたお姉さんはコーヒーをすする。
「……あんた、頑張ったね」
「うむ、ありがとう」
それっきりしばらくの間沈黙が続く。嫌な沈黙ではない。まるで田中や花園と一緒にいるような心地よい沈黙である。
お姉さんは寝ている七瀬の髪を撫でていた。
「……この子は落第しちゃったんだよね」
「そうだ、俺はそんな事例を知らない」
「『出荷』される」
「お姉さん? 何を言ってるんだ」
嫌な言葉の響きであった。『出荷』とは一体……?
「落第も卒業もそこまで違うがないわ。ただ『出荷』される場所と時間が違うだけよ」
お姉さんは机の上にあった、七瀬が持っていた写真を手に取る。
そこには俺と他の生徒が写っていた。
「んと、藤堂に堂島尊、島藤もいるわね。確か島藤は海外に『出荷』されたわ。……私ね、今でも大人と連絡を取っているのよ。毎月報告書を書いて、援助してもらって、今後の目標を決めたり……」
現実に引き戻された気分であった。
俺はみんなと同じように卒業できるかわからない。その事実を改めて確認しているようだ。
そもそも俺が今の生活をしているのは奇跡に近いようなものだ。
リセットを壊す。誰もが不可能だと思った事をやってのけたのだ。
田中や花園と別れたくない。あの体育祭のときのような感情には陥りたくない。
「私は芸能界に戻る事が条件で今回の学生生活の時間をもらったわ。あんたは、リセットを壊して時間をもらったわよね。……この子はわからない」
なぜなんだ。俺たちはなぜ普通に生きられない。
これなら何も知らないままどこか遠くへ連れて行かれた方がマシではないか。
「あんたは過去最高レベルの成績だったのよ。大人の管理下になっても田中ちゃんや花園さんに会えると思うわ」
「しかし、それは俺の人生なのだろうか?」
お姉さんは沈黙したまま、返事をしなかった。
暗い気持ちになりそうではあるが、俺は昔の俺ではない。
「いつか、俺が全部壊す」
そう、リセットを壊したときのように――
「はっ? あ、あんた何言ってんのよ!? ちょ、マジで戦争はやめてよね? わ、私は中立だからね! ていうか……、あんたならマジでやりかねないわね……」
「ふむ、褒めてくれてありがとう」
「褒めてないわよ!? まったく、本当に変わったわよね。ていうか、あんたこの子どうするのよ! 家に連れてきちゃったけど、帰る場所ないんでしょ?」
寝ている七瀬を見ていると胸が痛くなる。
俺はこんな気持ちなりたくない。
俺はいろんな人と出会って成長することができた。
今度は俺が誰かを助ける番だ。
「今日はこのまま寝させようと思う」
「……あんたがいいならいいけどさ。ていうか、寝顔が可愛いわね。昔の私そっくりだわ」
「む、そ、そうか? お姉さんの寝顔は、その、とても壊滅的な表情を……」
「はっ!? そ、そんなわけないでしょ!? わ、私は超絶美少女なのよ!! ていうか、あんた田中ちゃんと花園さんのどっちが本命なのよ!」
「ま、まて! そ、それは今する必要がある話か?」
「真面目な話はもう終わりよ! 弟分の恋バナはお姉ちゃんが聞かなきゃいけないのよ!! さあどっち!」
「いや、え、選べるわけが……」
お姉さんの問いに答えられるわけがない。
非常に困った質問だが、日常を感じられる。
さっきまでの暗い気持ちが吹き飛んでいった。
この先、どんな風になるにしろ、俺はこの日常を精一杯楽しむだけだ。
だから――
七瀬にも日常というものを知ってほしいと思った――
*******
朝の四時。
小さな物音が聞こえてきた。
七瀬がテーブルに何かを置いて、荷物を背負い家を出ていこうとしていた。
七瀬は俺の顔を見ている。ちゃんと寝ているかチェックをしている。
寝たフリをしている俺に気が付かない。
風を切る音がかすかに聞こえる。
きっと頭を下げたんだろう。
七瀬は玄関へと向かう。
しばらくの沈黙のあと、玄関を開けて出て行ってしまった。
*******
僕、藤堂七瀬が熟睡したのは記憶の中で初めてだった。
信じられなかった。あんなに落ち着いて寝ていたなんて。
一緒に食べたクレープは美味しかった。
クレーンゲームでコザメが取れた時は嬉しかった。ちゃんとテーブルの上に返して置いた。だってあれはお兄ちゃんのだもん。
一緒にお散歩してくれた時はなぜかワクワクした。
お家で食べたご飯がすごく美味しかった。
今まで味わったことのない日常。
僕の毎日は灰色だったはずなのに、この日だけ色づいて見えた。
大人からの連絡は来ない。
僕は……いらない子だから。
そんな僕はあそこにいたらお兄さんに迷惑をかけちゃう。
だから、僕はこっそり家を出た。
重たい荷物を持って、学校近くにある公園で時間を潰す。
制服の匂いを嗅ぐ。まだ大丈夫。
今日は銭湯に行く日だから制服を洗わなきゃ。
学校に行くのが怖い。生徒たちの視線が怖い。
だって僕はあそこでは異物だから。
一人ぼっちが寂しいなんて思わなかった。
一人で生きていけると思っていた。
なのに……。
足がすくむ。
ふと、昨日の優しいお姉さんの事を思い出した。
髪留めが付いたままだと気がついた。
……返さなきゃ。でも、返しに行ったら迷惑になっちゃう……。
すごくキレイな人だった。僕もいつかあんな風になりたい。
なりたいけど、もうなれないんだ。
僕の人生は中学卒業したら終わり。
先が見えている。生きている事は時間を潰す事と同じ意味。
もう僕には時間がないから。
だから、僕は――
あのお兄さんに会ってから心がおかしい。
僕は感情がないはずなのに、苦しい事を思い出してしまった。寂しいとう感情も思い出してしまった。
大丈夫、昨日の事は全て『リセット』すれば忘れてしまう。
そう、これでいつもどおりの……日常を取り戻せる。
私は精神を統一させて、心を沈める。
リセットをするための準備。簡単にはできない行為。
酷い痛みと伴うリセット。だけど、心の痛みは消してくれる。
だから私はリセットをする――
「全部、消えちゃえ」
私は自分の頭を叩いて、リセットをかけようとしたその時――
誰かに手を掴まれた。
私が気配を感じずにこんなに接近を許すなんて驚きだ。
リセットができなかった。
でも、その誰かの顔をみて、リセットをできなくてホッとしている自分がいる。
「それは駄目だ。リセットすることは俺が許さない」
お兄さんが真剣な顔をして僕に叱りつけた。
その声はとても鋭いのに、温かみを感じる。
「でも……」
お兄さんが僕の身体を優しく抱きしめてきた。
なんか変な気持ちだ。すごく優しい気持ちになれる。
リセットしてないのに心が落ち着く。
……家族ってこんな感じなのかな。
「学校いかなきゃ……」
「ならば、俺が一緒に登校しよう」
平坦な口調のつぶやきなのに、言葉が胸に染み込んだ。
昨日から僕の心がおかしい。
だって、顔から汗が出てくるんだもん。
「ほら、忘れ物だ。これは七瀬のである」
お兄さんは僕にコザメを胸に押し付けて、僕の手を引っ張って歩き出した。
僕はコザメを胸に抱き寄せて、手を引かれながら歩いた。
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