ありふれた日常
ありふれた日常なんて存在しない。
俺にとって全て大切なひとときだ。
大切な友達と一緒に昼食を食べる。普通の事のように思えるけど、とても幸せな事だと思える。
ここまで至るまで長いようで短いような不思議な感覚だ。
昼休みの中庭。俺は花園と二人っきりであった。
田中は弟君と話があるようで、下級生の特別教室へと向かった。あとで遅れてこちらに来るようであった。
「ねえ、藤堂さ、新しいバイトはどう? うまくやっているのかな?」
「前回は駆け回って大変だった……。次は少し落ち着いた仕事をしたい。それに人間関係はどこも大変だと理解した」
「そうだよね、人間関係って難しいよね……。あっ、タコさんウィンナー食べる?」
「うむ、いただこう」
穏やかな時間だ。昨夜の騒ぎで疲れた身体が癒やされる。いや、肉体的には全く疲れていないが精神的に疲れた。
弟君は何故お姉さんの護衛をお願いしたか不明だ。
写真ではわからなかったが、現地でお姉さんを確認した時は驚いた。
俺に護衛をお願いしたことによって、お姉さんを守る事ができた本当によかった。
弟君は同じ芸能界所属できっと色んな情報を持っているんだろう。
しかし芸能界とはあんなにも物騒なのか……。
「ねえねえ、今日はバイト無いんだよね? ならさ、一緒にクレープ食べに行こ! 坂の上に新しいお店ができたんだよ」
「悪くない。よし、そうと決まれば田中に連絡だ」
花園は温かい目で俺を見守ってくれている。
花園がいなかったら、俺はあの空き教室でリセットをしていた。
あの時、花園との幼稚園の時の思い出が蘇ったんだ。
俺はリセットをするのをためらった。
花園との関係を再びリセットしたくなかった。
……そういえば、幼稚園のときの花園は随分と男勝りでツンツンしていた覚えがある。
『つよし! 一緒に遊ぶよ!』
『私のあとをついてきなさいよ!』
『あんたは私がいなきゃ駄目なんだから』
俺は懐かしい気持ちになって、花園を見つめる。
「え、なに? ど、どうしたの?」
「いや、幼稚園の頃の花園は元気があったな、と思って」
「ちょっと、恥ずかしいからやめてよ……」
「うむ、あの頃も今も花園は素敵だ」
「藤堂……、へへ……、思い出してくれて良かった」
緩やかな時間がすぎる。とても幸せな時間だ。
俺はこの時間が続くように、努力をする必要がある。
「ねえ、藤堂、あの人だれだろ?」
「ああ、小学校の頃の旧友だ」
「え?」
中庭をキョロキョロしている女子生徒がいた。お姉さんだ。
少し不安そうな顔をしている。
俺と目が合うと、怒ったような嬉しそうな顔でずんずんと近づいてきた。
「あんた、な、な、なんで私をほっぽって女の子とご飯食べてるのよ!? べ、別に寂しかったわけじゃないけどムカつくもん!」
なるほど、寂しかったのか。
「へ? 藤堂、だ、誰?」
「む、お姉さんだ」
「お姉さん? え? ど、どういう事? というか、なんかテレビで見た事ある……」
お姉さんがプルプルと震えながら俺たちの前に立っている。
先程、授業が終わった後も気持ちよさそうに寝ていたから起こさないであげた。風邪を引かないように、カーディガンをかけた。
「ふ、ふんっ! こ、これ、ありがと。べ、別に寒くなんてなかったもん」
花園がポカンとした顔をしている。そうだ、こういう時は紹介をしなければならない。
「花園、こちらは堂島あやめ、俺のお姉さんみたいな人だ。お姉さん、こちらは花園華。俺の……俺を救ってくれた大切な幼馴染だ」
「あ、よ、よろしくお願いします……」
「幼馴染……、そう、藤堂にも友達できたんだ……、良かった……。花園さん、よろしくね」
なにやら俺と喋っている時のお姉さんと様子が違う。
随分と遠慮がちに話す。何故だ? 俺と喋る時はとても反抗的なのに。
「ちょっと、あんた! なによこの子、すごくかわいいじゃない! あんたと一緒にいる田中さんも超かわいいし、どんだけ面食いなのよ!! ま、まあ私が一番可愛いけどね」
「うむ、お姉さんはとても綺麗になったのだ」
「ちょ……」
お姉さんは静かになって俯いてしまった。
俺はそれが恥ずかしがっているという事がわかる。
花園はそんな様子を見て苦笑いをしている。
安心してくれ、花園。お姉さんから感じる感情は、親愛のというものに近い。
俺はお姉さんに会えて嬉しかった。お姉さんも喜んでいるのがわかる。
友達とも、以前花園や田中に感じていた好意とも違う感情をお互い持っている。
……ああ、だからお姉さんなんだ。
「あ、あの、藤堂あやめさんって、あのアイドルで女優の?」
「そうよ、私はトップアイドルよ! ……色々あって仕事はお休みすることにしたけどね」
なるほど、あの件が怖かったんだろう。
いくらあの小学校出身だからといって、完璧な人間になれるわけではない。護身術だけでは守れない時もある。
「そうですか……、残念です」
「別にいいの。目的は果たしたもの。それに、演技はつかれるからね」
お姉さんがニコリと花園に笑いかける。
それは演技ではない。俺にはわかる。
お姉さんは小学校の頃から、自分の感情を消して演技をすることに長けていた。
俺のリセットと近いものがあるだろう。
その演技を見破れるものは俺と犬たちしかいなかった。
『お姉さん、ウソ泣きはやめろ』
『怒ってるフリはよくない』
『好きでもないのにベタベタするな』
そんな事を思い出すと懐かしさがこみ上げてくる。
何故だろう、嫌な事も悲しい事もたくさんあったのに、思い出になると素敵な時間だったと思えてしまう。
再び俺たちに近づいてくる足音が聞こえてきた。
「田中たちが来る」
「へ? なんでわかるの?」
花園が周囲を見渡す。お姉さんは「あんたが作ったの? これ美味しい!」と言いながら俺のお弁当の唐揚げをつまんでいた。
田中が弟君と一緒に現れた。弟君が学校にいるのはとてもレアな事だ。
「おーい、やっと終わったじゃん! てか、あんまり時間ないけど、一緒に御飯食べるじゃん!」
「……おい、俺もここに居なきゃいけねえのか? 勘弁してくれ。あやめもいるじゃねえか……」
やはり二人は知り合いだったんだな。友人にような距離感を感じる。良いことだ。
「はっ? あ、あんたなんか眼中にないもん! 田中ちゃん、こっち来てご飯たべよ!」
「……あー、俺も田中だが」
「へ? も、もしかして……、兄妹?」
なんとも賑やかな昼食になった。
弟君がこの中庭に来るのは珍しい。好気な目にさらされるからここまで出てくることがない。
そんな弟君はお姉ちゃんである田中の事が大好きだ。
こうして珍しい組み合わせで、昼休みが終わるまで中庭で過ごすのであった。
**********
特別教室の授業は初めは退屈だと思っていた。
だが、改めて知識を他の人から教わるという行為は、知らない発見をする事だと気がついた。
担任の先生は、おっちょこちょいで話も脱線するし、背も小さいが、様々な人生経験をしていると理解できた。
経験を踏まえた話が非常に重く感じられる。特に恋愛関係の話は参考になる。
なるほど、本人の自己申告どおり優秀な先生なのだろう。
そんな授業も終わり放課後になった。
今日は花園たちとクレープを食べに行く。とても楽しみである。
「あっ、藤堂、私ちょっと弟と……、その、仕事の相談があるから少しだけ遅れるじゃん」
「ふむ、花園も委員会で遅れるようだ。あとで合流しよう」
「えへへ、楽しみにしてるじゃん! 早く終わらせるね!」
田中は笑顔で俺にそう言った。
ふとした瞬間の仕草で、俺は動揺してしまう。
……様々な記憶と思い出が絡み合って、俺は些細な事で感情の波が生まれるようになってしまった。
嫌な気分じゃない。これが普通の事なんだ。
田中が俺に手を振って教室を出ていく。俺はその姿を見守る。
お姉さんの強い視線をさっきからずっと感じている。
「どうした? なにかおかしいか?」
「ん? 別におかしくないけど、あんた超変わったわよね」
俺もお姉さんも唇を動かさず小声で喋る。
あの場所ではいつもこうやって喋っていた。
だが、ここは普通の学校だ。俺は普通に喋ることにした。
「お姉さんもクレープ食べに行くか?」
「わ、私はいらないわよ。べ、別に食べたくなんてないもん。……ただ、あんたと二人きりで話しがしたい。後で会える?」
「それは構わないが……」
俺は田中や花園以外の女性と二人っきりで会って、誤解されないか心配になった。
……俺は、こんな風に思えるようになったんだな。
「はぁ、大丈夫よ。私はあんたが弟としか見えないわ」
「知ってる。だが、他人から見たら違う見え方もある」
「そうね、そういう時は気になっている人に正直に話すの。本当に信用してくれている人はわかってくれるわよ」
俺は目を大きく見開いてしまった。
まさかお姉さんからこんなアドバイスを貰えるとは思わなかった。
「ふむ、興味深い。ならば実践あるのみだな。では後で連絡をする」
「りょーかい。あんた楽しんできなさいよ!」
お姉さんは自分の事のように、楽しそうに見える。今度お姉さんともクレープを食べに行こう。
俺はそう思いながら教室を出るのであった。
**********
「――というわけで、今夜お姉さんと話をする」
俺はクレープを食べながら田中と花園にそう言った。
二人の反応は俺が思っていたよりも重たいものではなかった。お姉さんの言う通りだ。
「うん、いいと思うよ。変な事言っちゃ駄目だよ?」
「だよね、なんかわかんないけど、藤堂の昔の知り合いじゃん! つもる話もあると思うじゃん!」
正直、もっと違う反応をするかと思った。
お姉さんは客観的にみてとてもキレイだ。
田中と花園の方が可愛いと思うが。
そんなお姉さんと二人っきりは嫌がられると思った。
田中が俺の肩をぽんっと叩く。
「藤堂、私達はそんな事で嫉妬しないじゃん。だって、二人をみているとなんか本当の兄妹みたいに見えるじゃん」
「そうなのか?」
「うん、そうじゃん」
そんな意識は全然なかった。確かに田中たちに感じる感情とは違うものだと理解していた。それが伝わっているとは思わなかった。
「うんうん、そうだよ。せっかく記憶が戻って、知り合いに会えたんだからゆっくりしなよ。堂島さん、学校に通ってなかったから友達もいないと思うし、嬉しいんだよ」
嬉しい……、そんな感情は俺たちにはなかったはずだ。だが、俺はその感情を育む事ができた。
……きっとお姉さんにも、感情を育むお姉さんだけの物語があったんだろう。
「そうか、お姉さんも成長したんだな」
なんだかいつもよりも食事が美味しく感じられた。
きっと感情が美味しさを増幅させているのだろう。
不思議な現象だ。
子供の頃はこんな事を感じなかった。
……
…………
その時、店内から視線の圧を感じた。
今しがた店内に入ってきた小さな女の子からぁ。
長い髪の隙間から俺を見ていた。
中学生くらいか。
顔は髪で隠れていてよく見えない。
それに、気配がとても薄い。あれは気配を消している。
さっきまでは視線も感じ取る事ができなかった。
花園が『堂島』と言った時から視線を感じた。
俺は彼女と見つめ合いながら再び口を開く。
「――堂島」
ほんの少しだけ彼女の身体が揺れた。多分俺にしかわからない程度の動き。
そして、彼女は髪をかきあげた。
俺の頭の中の記憶の海が答えを見つける。
あの顔に見覚えがある。
彼女は立ち上がった。手には何か写真のようなものを持っていた。
「藤堂? どうしたの?」
花園が心配そうな顔で俺を見つめる。
「問題ない。多分、こういうのは続くのだろう」
手に持っている写真と俺を見比べている彼女が近づいて来る。
俺も立ち上がる。
「――もしかしたら君は俺の事を覚えてないかもしれない。森でのサバイバルは世話になった」
彼女は口を動かさずに喋る。小さな声なのに良く通るキレイな声だ。
「……知らない人なのに、なんで胸がザワつくの? 頭が痛くなる。……あなたは誰? 」
俺たちは向かい合う。
お互い身体の些細な動きを監視している。
あの時の彼女は感情が全くなかった覚えがある。
「俺は藤堂剛、高校二年生だ」
「僕は……多分、
店員さんが気を利かせてくれたのか、俺たちの隣の空いている席に彼女のクレープを運んでくれた。
そして、彼女は俺の存在を忘れたように、クレープをもぐもぐと食べ始めたのであった。
俺は、その姿をみて……、何故か胸が痛くなった。
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