田中の恩返し
大人は数字だけで俺を見ていた。
数字の上下で一喜一憂している姿を覚えている。
優しい大人が一人だけいた。俺が頑張ると褒めてくれる。そして――甘い物をくれる時があった。
俺はそれが唯一の楽しみであった。
昼休みは五十嵐君と佐々木さんの絡みがあって、花園とゆっくり昼食をする時間がなくなってしまった。
だから、今日は久しぶりに二人で寄り道をして帰ることにした。
何日ぶりだろう。遠い昔みたいに思える。
俺たちはサイゲリアというファミリーレストランに入って、ドリンクバーを注文した。
「藤堂、昔だったら、私は――あんたが問題起こしても、私だけで独占できるって思ってた――、でもね私も変わらなきゃ」
緑色のドリンクを飲みながら花園は俺に言う。
俺は初めてジュースという物を飲んだ時の事を思い出していた。
甘い――美味しい。あの時は味覚が破壊されると思った。こんな飲み物がこの世界にあることに衝撃を受けた。
「花園、俺の昼休みの行動は……大丈夫だったのか?」
「う〜ん、そうね。昔よりはマシになってると思うよ? ……五十嵐の件は……まあ、あいつらが藤堂を移動させようとしたのが馬鹿だし。ていうか、五十嵐は馬鹿だし、むしろもっと謝れ馬鹿っ、て感じね」
「でも、五十嵐君は良い人だな?」
「……まあ悪い奴じゃないわ。あんな性格だから嫌いな人も多いけどね」
何? あの五十嵐君でも嫌われるのか? 俺は信じられなかった。
「結果的には、あんたのクラスメイトと話すきっかけが出来たから良かったけど……道場の件がね……」
「む? それは何故だ? あの時佐々木さんはペコリと頭を下げてくれた」
「うん、道場の件で、クラスのみんながあんたを怖いって思ちゃったかもね。あの女……本当にムカつくね。思い出しても腹が立つわ。自分の悪行を自分で暴露したからまだマシだけど――なんかすぐにトイレに逃げたし」
「俺は道場さんと関わるつもりはない」
「――道場は当分おとなしくして、クラスの信用を取り戻そうと躍起になるわよ。自分から藤堂に絡みに行かないと思うわ……、でも……道場だし……不安だわ」
俺は衝撃を受けた。
あの時、五十嵐君も佐々木さんも怖いという言葉を使った。
俺が怖い? 見た目は普通だろ?
俺はクラスメイトにそんな印象を与えていたのか? 誰も教えてくれなかった。誰も俺に話しかけてくれなかった。道場さんも笹身さんも何も言わなかった。利用してただけだからか?
「は、花園もそう思ってたのか?」
「……中学の頃はね。今は違うよ? あんたは優しいの。すごく、すごく優しいの。それこそ、好きになっちゃうほど……、あ、い、今は、と、友達としか思ってないけど……ごほんっ、みんな優しいあんたを知らないのよ!」
俺は人から怖く思われている事に対して心が苦しかった。
五十嵐君も佐々木さんも少しだけ関わりが出来て、これから友達になれると思ったのに――
やっぱり、関わりがない方が……心が傷まないか?
なら――関わった事を消してしまえば――
花園は薄い笑みで俺を見つめていた。
「大丈夫よ――今度は私もいる。だからね、ゆっくり友達を作ろう。せっかく出来た関わりを消しちゃ駄目だよ? 前に進もうね……二人で一緒に。だって、藤堂は優しいからわかる人にはわかるよ――」
「そうか、消したら前に進めないのか。……花園、友達になってくれてありがとう」
「うん――」
俺たちはその後もサイゲリアで話を続けた。俺がバイトに行く時間になったので続きは明日となった。
友達と何気ない会話って……楽しいんだな。俺はそんな事を思いながらこの時間を過ごした。
アルバイトは繁華街にある洋食屋さんで働いている。
今日は田中が非番の日だ。
接客が壊滅的に駄目な俺は、料理の仕込みと皿洗いに専念している。
ピーク時間の忙しさは戦場のようであった。
「おいっ! フィッシュ焼けてんぞ! 早く持ってけ!」
「お会計お願いしまーす!!」
「二番の料理間違ってますよ!? ドリアお願いします!!」
「マジかよっ! てめえ……これ先に持ってけ!」
「田代ーー!! 皿違えよ!? 何度目だ!!」
俺は半年前からアルバイトを始めた。
年が近い事もあり、田中が色々教えてくれた。
人の動きをみて必要な物を必要な人に――
シェフが何かを探している。
俺は皿を厨房にしまうついでに、シェフの前に盛り付け用の皿を置く。
「お、おう、ありがとな!」
佐々木さんのマネをしてペコリと頭を下げる。
サービスのバッシング(空いた皿を下げる作業)が間に合ってない。洗い物は追いついている。
俺はお客さんに話しかけられないように、客席の食べ終わった皿を下げる。
この時のタイミングが俺にとって一番重要だ。過去にお客さんに話しかけられて、怒らせた事がある。知らない大人に話しかけられると頭が真っ白になる。
今日は田中と一緒に働いていない珍しい日だ。シェフは厨房だ。助けてくれる人はいない。
……俺はサービスを助けたい。
なんとか、喋りかけられずにバッシングを終え、俺は再び洗い物に専念をした。
「いや〜、藤堂くん、真面目だから助かるよ。またよろしくね。お疲れ様!」
「はい、こんな俺で良ければ――お疲れ様です」
シェフから話しかけられると緊張する。シェフは手を振りながら事務部屋に向かった。
俺がスタッフルームで着替えていると、男性アルバイトの大学生たちが入ってきた。
「疲れたな〜、今日マジで忙しかったぜ」
「ああ、俺今日もシェフに怒鳴られたぞ……ただのバイトだぜ?」
「お前料理人目指してんだろ? 仕方ねえだろ。ほら、飲み行こうぜ」
「清見ちゃんも来るんだぜ」
大学生アルバイトたちは俺をいない存在と扱っている。
皿洗いと仕込みしか出来ない男。それが俺の評価であった。
挨拶も一切ない。いや、女子の前では俺をネタに話しかけることもある。
田中がいないから待つ必要がない。
俺は素早く着替えてスタッフルームを出ようとした。
最近お店に入ってきた大学四年生の田代さんが俺に声をかけてきた。
「あ、藤堂、お前って田中ちゃんと同じ学校だろ? なあ、今度俺たちの飲み会に行くように誘ってくれよ。……俺タイプなんだよな」
「おい、お前女子高生はまずいって!?」
「あん? いいだろ、バイト先で女子高生と付き合う奴なんて割といるぜ?」
「まあ、顔は可愛いよな」
「性格キツイしな〜」
あっ、田中にカフェの件で連絡しなきゃ。どうしても後回しにしてしまう。なんて連絡していいか考え込んでしまう。
うん、日にちと時間を送ればいいか。後でメッセージを送ろう。
「……おい、聞いてんのか?」
「おい、田代、やめろって、そいつ高校生だぞ?」
「優しくしてやれよ」
「怖がってるじゃねえかよ」
ああ、これは俺に対して言っているんだ。
あまり気分の良くない会話だったから聞こえていないふりをしていた――
「失礼します――」
スタッフルームを出ると、外にまで笑い声が聞こえてきた。
これは俺の事を笑っているんだろう。
問題を起こしちゃ駄目だ。せっかく雇ってくれたシェフに迷惑かかるし、田中に迷惑かかるかも知れない。それにどう対応していいかわからない。怒っても問題が起きるだけだ。田中の事を言われているのが……胸がチクチクする。
――みんなこんな時はどうしているんだ?
俺には正解がわからない。
あの人たちだって、一人一人は俺に仕事を教えてくれたり優しい人だ。
関係ない人たちだから心は痛くならない。
だから関わらないのが、きっと一番だ。
「よーっす! 来ちゃったじゃん! へへっ、さっきまでカラオケ行ってたんだ! そろそろ藤堂の上がる時間だって思ったじゃん?」
店に出ると、制服姿の田中がいた。その横にはこの前いたチャラチャラした男の子がいた。
田中と距離が近い。会釈をしてきたので、俺も会釈で返す。
男の子は俺を確認すると立ち去った。
田中は両手で俺に手を振っている。その姿はとても可愛らしいものであった。
「あ、ああ……」
「なんだよーー、今日は私がせっかく送ろうと思ったのに、もっと嬉しそうにしてもいいじゃん!」
「いや、すごく……嬉しい。本当に――」
今まで心の中にあった、疎外感やもやもやが消えていた。
優しい気分になれた。
「へへ、良かったじゃん……。だって、いつもバイトは一緒なのに、今日は入って無かったから心配だったじゃん? 藤堂ってみんなと話さないしさ」
シェフは俺に気を使って、田中と俺をいつも一緒の時間帯にしてくれる。
田中は「よっと」と言いながら俺の横に来た。
俺たちは歩き出した。
「花園さんと仲直り出来たんでしょ? 良かったじゃん!」
「田中が背中を押してくれなかったら無理だった。ありがとう」
「ちょ、マジ顔でお礼言われても……、ま、まあ嬉しいじゃん? で、どうやって仲直りしたの?」
「ああ、それは――」
俺は田中に花園との出来事を説明した。ついでに教室での出来事も――
田中は今度は頭を叩かなかった。
腕を後ろに組んで嬉しそうに歩く。
「――不器用だけど、頑張ったじゃん」
その言葉が俺の心にすっと入っていった。
「うん、努力してみた。だけど、やっぱり……みんな何を考えているかわからない。さっきだって、アルバイトの田代が田中に対する軽口を言っているのが……嫌だった。何も出来なかった」
「バカね、まだマシよ。女子はもっとエグいじゃん。普通に友達を蹴落とすしね……」
「そ、そうなのか」
「そうじゃん。ていうか、道場とかってやばいっしょ? あれは女子の嫌な部分を表に出しているだけで、あんな奴クラスに一人や二人絶対いるじゃん」
田中はため息を吐いた。
何かを思い出しているようであった。
「まあ、でも……藤堂がそう言ってくれると……嬉しいじゃん? あっ、柄じゃないけどさ、結構マジで嬉しいじゃん……」
田中は本当に嬉しそうに笑ってくれた。
「だけど、リセットか――、ちょっとだけ憧れるじゃん。そんな風に気持ちをリセット出来たら……新しい自分になれるんだもんね」
「そういうものか? 俺は――もうリセットしたくない。……田中、信じてないだろ?」
田中は真剣な顔で俺を見た。
「藤堂の言ってることは信じるよ。だって、嘘|吐(つ)けないじゃん? ……友達か……ねえ、私もさ……藤堂たちの友達に加えて……もらえるかな?」
俺は首を傾げた。
田中は友達が一杯いるはずだ。あのカラオケでも友達と楽しそうに歌っていた。
チャラチャラした男の子と……身体を密着させて歌っていた――さっきも一緒にいて……
俺の胸が少しだけ痛んだ。
苦しい痛みじゃない。悲しい痛みじゃない――
これはなんだ?
「さ、さっきの彼は――友達じゃないのか?」
「あん? 弟の事? あいつは私に付き合ってくれてるだけじゃんよ! 嫌がってるじゃん!」
弟か……そうか、弟なのか――
何故か、俺の胸のチクチクは治まった。
なんだったんだ?
「あっ、そうだ! 藤堂にお土産あったじゃん! いつもジュースおごってくれるお礼!! ほらっ!」
田中は二つ持っている袋のうち、一個を手に俺に手渡した。
俺は戸惑いながらもそれを受け取る。
「へへっ、ここいらじゃ有名なケーキ屋のケーキじゃん! 後の分は弟にあげるじゃん! って、あいつに持ってかせればよかったじゃん! もう!」
俺はパシりで都合の良い男じゃなかったのか?
渡された袋の重みが……心地好かった。
甘いもの……俺の特別な時にしか食べないもの。
思い出が蘇る。楽しい記憶と――悲しい記憶――
「え、ちょっと……な、なんで泣いてるの!? と、藤堂!?」
「いや、これは汗だ。たまに出る時がある」
「バカっ! そんなわけないじゃん!」
俺はハンカチで汗を拭いながら、田中に自然と声を漏らしていた。
「どうせなら一緒に食べたい――」
「はっ!? マ、マジ? ……い、良いけどさ……花園さんに悪いじゃん? 本当にいいの? じゃあさ、あそこの公園で話しながら食べよ!」
「了解した――」
いつも元気な田中は少しだけおとなしくなってしまった。
俺は不思議に思ったけど、嬉しそうだから気にしないでおく。
夜の公園で田中と二人で食べたケーキは――今までの人生で一番――優しい味がした――
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