六花の約束
道場さんはどうやら友達と思っていた生徒達に馬鹿にされているようであった。
俺はそんな姿を見るのが嫌だった。だから勇気を出して声をかけてみた。
道場さんとはどう接していいかわからなかったから、緊張した。声が震えてしまった。
『頑張ったじゃん! 藤堂は自然でいいんだよ』
田中のその言葉に俺はホッとした覚えがある。
昼食は有意義なものであった。
偶然にも今朝会ったOLさんと席が一緒になった。
「へえ、藤堂君って言うんだ。今朝はありがとうね。お礼に……今夜食事でもどうかしら?」
「へ!? きょ、今日は帰りにカフェに行くんです! ……う、うう、お姉さん綺麗すぎじゃん……」
「いや、田中さんも負けてないよ……、なにこれ、自分がゴミムシに見えてきたよ」
「ふふ、田中さんは藤堂君に甘えていたもんね? 大丈夫よ、邪魔しないわ」
「ふむ、よくわからんが、この会社の業績についてだが――」
中々社会人と話す機会はない。ためになる話もあれば、自分たち学生と同じような悩みを抱えている事が伺えた。やはり学校は社会の縮図なんだろう。
改めて学校生活を充実させる事が俺に取って最重要課題であると思った。
先程座っていた席から視線を感じる。声を拾うと、道場さんのクラスメイトが道場さんの悪態を吐いていた。
関係ないはずなのに、何故か胸がチクチク痛む。
確か、あの生徒たちは道場さんと仲が良かったはずだ。やはり人間関係は複雑である。
俺は極力悪態を聞かないようにして、昼食を食べた。
昼食が終わると企業訪問の続きが始まる。
俺と田中が席を立つと道場さんは小さな声を漏らした。
「あ……、戻らなきゃ……」
顔色が悪い。道場さんは体調不良になりやすいんだな。俺と話した時もそうだったが……。
思考を構築する。何故道場さんの顔色が悪いのか。今までの経験を踏まえろ。
俺は単純な事を理解しようとしなかった。どうでもいいと思っていた。
人の心。それを理解することが――人間関係の第一歩だ。
道場さんはあの班に戻りたくない。馬鹿にされるからだ。彼らからは強い悪意を感じない。冗談を振る舞っているようである。道場さんの心はそれにやられている。
なら――俺はどうする? 道場さんと関わるのか?
道場さんは席を立って、クラスメイトの元へ移動しようとする。
俺は思わず声をかけてしまった。
「道場さん……、ク、クラスの班が苦手なら……俺達の班と一緒に周るか? どうせ一緒のグループだ。問題ないだろう」
道場さんは呆然としていた。感情が見えない。感情が入り混じっている。
「あ、そ、それは……」
口をモゴモゴさせながら何かを言い淀む。
俺は辛抱強く待った。強制は駄目だ。道場さんの意思を尊重するんだ。
俺は彼女の人間関係を知らない。だけど……人が無邪気に人を壊す事は知っている。
道場さんは俺をまっすぐ見据えた。何かを決意した表情であった。
「ううん、大丈夫。藤堂、こんな私に気を使ってくれてありがとう。嬉しいよ……。でも、私なりにうまくやってみるよ。ははっ、君は本当に優しいね……」
道場さんは俺に手を振って、クラスメイトの偽りの友達の元へと帰ってしまった。
これが正しいかどうか俺には判断つかない。
道場さんは駄目な部分が沢山あった。今はそれを直そうと努力している。
そうか……俺は……暗い顔をした道場さんを心配していたんだ。
そこにリセットした感情は関係なかった。
新しい関係が始まっていたのか――
グループの最後尾を田中と一緒に歩く。
「なあ、田中。友達って難しいな。だって、少し前まで道場さんは友達に囲まれていた。……今は……その友達から見下されている。それって普通の事なのか? 俺は……自分が馬鹿にされてた中学時代を思い出してしまった」
「そうだね……。自分よりも下がいるってわかると安心するんだよ、みんな。優越感っていうのかな、すごく単純な理由なの――」
「単純な理由?」
「うん、『面白いから』それだけじゃん……。人を見下して楽しい、自分よりも勉強出来なくて楽しい、私の方が可愛い、あいつよりも俺の方がモテる――他人を通して自己肯定をしてるじゃん。……道場さんはクラスの人気者だったでしょ? 一気に株が落ちちゃって……それを面白いと思ってる人もいるの」
俺は衝撃を受けた。何故俺を馬鹿にしていたのか、その理由が判明した。
中学の同級生も、バイトの同僚も、みんな面白がっていたのか……。
あれは胸がチクチク痛む。嫌な気分になる。
それを変えられない自分が嫌になってくる。気にしないように感情を無くしていたが――
道場さんは普通の女の子だ。あんな痛みを――
いや、まて?
「た、田中、これは……普通の事なのか? そこら中でこんな事が溢れているのか?」
田中は力なく頷いた。
「……うん、みんながみんな、藤堂や華ちゃんみたいに優しくないじゃん。本当に難しいよね……」
「そうか――、ならば、俺が道場さんを助けようとしたら――」
「部外者が突っ込んだら余計拗れちゃう。さっきの藤堂の誘いに道場さんが付いていったら……エスカレートする可能性があったじゃん。だから道場さんは自分で解決しようとしてるじゃん」
「なるほど……。理解した。俺は――見守る事しか出来ないんだな」
頭では理解出来た。だが、胸にはモヤモヤが広がっていた。
田中はそんな俺を見て背中をさすってくれた。子供をあやしている親のようであった。
気持ちが落ち着いて来る。
「藤堂、帰りにカフェにでも誘う? あっ、華ちゃんと道場さんって大丈夫かな? 少しは気が晴れるかも知れないじゃん?」
何かの小説で読んだ。別のコミュニティと仲良くなる事によって、違う刺激や目線を感じられて、ストレスが軽減される。
俺は道場さんに受けた仕打ちを忘れたわけではない。だが、それ以上に――心を傷んで欲しくないだけであった。
「早速花園に連絡してみよう、流石田中だ。田中は本当にできる女性である」
田中が笑顔になってくれた。
「よかった、藤堂がやっと笑ってくれたじゃん。藤堂は笑顔が一番だよ」
む、俺も笑っていたのか?
田中がそう言うならそうなんだろう。気持ちが少しだけ晴れやかになった。
道場さんが一人の時を狙って、田中が道場さんとメッセージを交換した。
そして道場さんはカフェに行くことを快諾してくれた。
その後の道場さんの表情は少しだけ上向きになっていた。
俺は安堵した。
なるほど、喜んでもらえるとこっちも嬉しくなるんだな。
……うむ、やはり田中と花園には今度弁当を作ろう。
企業訪問も何事も無く終わりを迎えた。
最後はロビーでお別れである。
俺たちは足早に会社を出た。花園とカフェの前で待ち合わせの約束をしている。
道場さんは、あの場で一緒になるとクラスメイトから色々言われるかも知れない。だから道場さんもカフェの前で合流する約束をした。
「波留ちゃん! やっと会えたね! どうだった? 楽しかった?」
「華ちゃん、超楽しかったじゃん! 藤堂ったら質問すごくてOLさんがタジタジだったじゃん……」
「うん、想像つくね……」
俺は二人が仲良くしているのを見るだけで幸せな気持ちになれる。
友達って素晴らしいと思う。気持ちがこんなに変わるんだ。
「あれ? 道場も来るんじゃなかったの」
「うん、ここで待ち合わせだったじゃん……、遅いね?」
俺は嫌な記憶を思い出してしまった。
道場さんから受けた仕打ち。
楽しみにしてたカラオケで騙されて待ちぼうけを食らった事を――
大丈夫なはずだ……。道場さんも変わろうとしていた。あんなに謝ってくれた。だから約束を信じるんだ。
道場さんはいつまで経っても来なかった。
「藤堂、もう入ろうよ。……連絡も来ないしさ。何か用事があったんじゃないかな?」
花園は俺の事を心配してくれている。
あの時の事を思い出せないように、気を使ってくれる。
俺は道場さんの行動を予測、構築してみた。
************
「ね、ねえ、返してよ! や、約束したから行かなきゃ!!」
私は失敗した。
田中さんからのメッセージが嬉しくて、にやにやしながら見てしまった。
それを燐ちゃんに見られた。
「へーー、私達に内緒でお茶しに行くんだ〜。良い身分だね? あっ、私達もこれからカラオケ行くんだ〜、もちろん六花ちゃんも一緒に来るよね?」
「お、カラオケいいね」
「予約しとくわ」
「ていうか、藤堂の約束なんて、また破ればいいじゃねーか」
もう約束の時間が過ぎちゃった……。
私の心が重たい何かに縛られる。
罪悪感と後悔と……過ち。
藤堂たちが待っているのに――また……嫌な思いさせちゃうよ……。
絶対それは駄目……せめて連絡を――
「ス、スマホ返してよ!! 燐っ! いい加減にして!! 流石に怒るよ!!」
燐の顔から苛立ちが見えた。
「はっ? 六花ちゃん、立場わかってる? 地味でボッチになるんでしょ? なら私たちが遊んであげてるだけだよ? あっ、馬鹿だから理解できないか〜」
「ハハッ! 道場は頭わりーからな」
「ていうか、早く行くぞ」
「予約オッケーだってさ、ちゃんと道場も入ってるから安心しな」
あっ、そうだ、スマホなんてどうでもいいんだ。
カフェに行けば――
名前はうろ覚えだけど、この近くだったはず。
私は走りだそうとした――
燐に制服を引っ張られた。
「ちょっとどこ行くのよ? あんたの分までカラオケの予約してるよ〜。約束破るの?」
「そ、そんな約束してないよ! わ、私は……」
「へぇ〜、じゃあ行っていいけどさ……、明日から六花ちゃん……気をつけてね」
私の背筋がゾッとする。学校でイジメなんて日常茶飯事だ。
イジメている側は面白がっているだけ。
イジメられている側は……終わるのをひたすら待つだけ。
小学校の頃は、順番にイジメのターゲットが変わった。イジメたこともあるし……イジメられた事もある。
あれは……心が破壊される。
一人ぼっちになる事は耐えられるけど……イジメられたら……。
私は足がすくんでしまった。
「あっ、こっちに来てくれるんだね〜。六花ちゃんと私は友達だもんね〜。どうせ藤堂の事は一度裏切ってるからいいでしょ? 罪悪感も感じないでしょ?」
燐達は動揺している私を見て面白がっているだけだ。
悪意じゃない。本気じゃない。これは……昔の私なんだ……。
萎んだ心が――その言葉を聞いて――
「そんなわけないよ!! 約束を破りたくないよ!! 離してよっ! 私――二度と――」
「あっ、痛っ!? な、なにそんなにマジになってるのよ! じ、冗談だって、べ、別にイジメないって」
私は燐を振り切って全速力で走り出した。
後ろから罵声が聞こえるけど――気にしない。
もう関係ない。明日からイジメられても抗ってやる。
勉強で見返してやる。
そんな事よりも……。今は約束を破りたくない――
私は闇雲に街を走った。
カフェってどこ? 足が痛い……。もう時間が大分過ぎちゃった……。
許してくれなくても謝らなきゃ……。
ごめんなさい……ごめんなさい……。
「あっ」
段差で転んでしまった。思いっきり身体をアスファルトに打ってしまった。
体中が痛い。痛みを無視しようとするけど、足が震える。
膝が擦れて血が出ている。
受け身を取ろうとした手から血が出ている。
痛くない。痛くない。それよりも心が焦る。
約束を破ってしまう自分が嫌いになる。
私は起き上がって再び走った。
――すごく遅い。……走るのは笹身が専門でしょ? 笹身元気かな? 練習頑張ってるかな? 藤堂とカフェ行く約束したって言ったら怒るかな? 笹身も誘えば良かったかな?
痛みで考えがまとまらない。
それでも私は走った。
知らない街だから位置関係がわかんないよ……。
体力が尽きそうになる。
すでに走れなくなっていた。
傷口がズキズキと痛む。
私がちゃんと断れば……
ううん、私が藤堂の事を裏切らなければ……
図書室で勉強していた日々が頭に思い浮かぶ。不器用な藤堂をからかうのが楽しかった。勉強を教えてくれる藤堂が素敵だった。私だけ知ってる藤堂の顔。優越感に浸っていた――
「う、ううぅ……うぅ……」
泣いちゃ駄目。もう泣かないって誓ったんだから――
それでも……また約束を破ってしまった後悔が……胸からこみ上げてくる――
もう夜になっちゃったよ……。真っ暗だよ……。
カフェにいなくてもいい。誰かに連絡して……早く謝って……。
カフェの大きな看板が目に入った。
あっ……ここだ。
店の前には誰もいない。うん、そうだよね……。藤堂、ごめん……。
カフェで電話を借りて、お母さんに連絡して――どうにか藤堂の番号を――
安心したら身体から力が抜けちゃった。
腰から地面に座り込む。
もう少し……頑張る……。
立ち上がろうとした時――
「打撲、擦り傷、それに貧血……」
私の身体が持ち上げられていた。
私の顔が藤堂の胸に……、お、お姫様だっこ!?
「動くな。歩ける状態じゃない。田中、花園、このまま病院まで行く。場所は確認済みだ」
「はぁはぁ、会えてよかったじゃん! 超心配したよ」
「あっ、道場、探しちゃった。……大丈夫……じゃないね。うん、藤堂、すぐ行こ!」
私は状況を理解できないでいた。
だって、
「わ、私……遅れて……約束破っちゃって……連絡もしないで……、け、怪我は自分で転んじゃって……」
「喋るな。舌を噛むぞ」
藤堂は歩き出した。すごく速いけど、全然振動が感じられない。
「え、ええ、え、ええ、え、い、今まで待っててくれたの? カフェに行かなかったの? な、なんで、私――」
ほんの少しだけ期待してたのかも知れない。そんな期待は抱いちゃいけないと思っていた。自分は罰を受けて当然だと思っていた。
「話は後で聞く。カフェはまた行ける。俺は――道場を放っておけなかっただけだ」
誓いが破れちゃった。胸の奥から溢れ出たものが涙に――私は静かに泣いてしまっった。
藤堂の優しさに触れて初めて理解できた。
私は甘かった。変わろうと思ってただけだった。
この時、流した涙が私の心をリセットしてくれた。
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