密室の陰謀

 聖女の仕事をしばらく休みたい――聖女ヒトアからそのような『おねだり』をされた夜、コンチネンタル聖王国のヒュマス国王が訪れたのは宮殿の間近にあるエクス教の大神殿の一室、煌びやかな装飾や豪華絢爛な家具、高価な飾りで彩られたエクス教の最高幹部たるフォート・ポリュートの部屋であった。

 一字一句、娘のヒトアからの願いをから語られたフォートは、頭を抱えるような仕草を見せた。


「うーむ、やはりヒトアは国王陛下に頼まれましたか……」

「何かまずかったか?」


 呑気に尋ねる国王に、フォート大神官は複雑な感情を隠せない口調で告げた。幾ら国民からの信頼が厚いエクス教の最高幹部たる大神官の地位を固持し続けていたとしても、このコンチネンタル聖王国の頂点に立つのはヒュマス・コンチネンタルその人。彼が発した言葉に逆らう事は、大神官の立場とて本来は許される立場ではない。つまり、ヒトアはヒュマスにおねだりをして彼の口からその願いを告げてもらう事で、必然的に自分の願いが叶わざるを得ない環境を作り出しそうとした、と言う訳だ。

 フォートからの説明でようやく自分がやった事の大変さ、そして厄介な内容を軽く引き受けてしまった事実に気づいたヒュマス国王であったが、彼はすぐに弁解した。ヒトアの言う通り、少しでも休ませてあげた方が彼女のためではないか、と。今の彼女は顔こそ微笑みを見せ、口調も普段通り元気いっぱいであったが、その裏に肉体的、精神的に疲労が蓄積されているのをヒュマスは認識し、そのうえで改めて大神官に頼み込んだのである。

 普段なら国王やヒトアからのお願いを快く引き受けてくれる大神官であったが、今回は国王からの願いに対して複雑な表情を崩さないままだった。


「……大神官、何か不都合な事でもあるのか?」

「不都合と言えば不都合ですな。今のヒトアの立場は、我が娘とはいえそう簡単に休ませるわけにはいかないもので……」

「と、言うと?」


「国王陛下も知っておいででしょう?ここ最近、国民の間に……」

「すまん、その話はもう聞き飽きた。飢えだの支援だの、どいつもこいつも同じ事ばかり。聞いているだけでイライラする」

「おっと、これは失礼……」


 うんざりした表情を見せるヒュマスを見て、フォートは別の形で彼に説明した。

 今の聖王国では、既に国王も承知の展開により『エクス教』への支持が高まっている。いつ終わるとも知れない困難に陥り、どこまで続くか分からない苦悩から逃れるため、多くの人々が女神エクスティアへ寄り縋り助けを求めている。そんな彼らの救いを受け入れるのが『聖女』――エクス教の看板たるヒトア・ポリュートの役割である。そして彼女の活躍のお陰で、エクス教、ひいてはこの宗教を率いるフォート自身への信頼度も上昇の一途を辿っている。もしここで、各地を巡りながら人々に舞を見せ続けるという『聖女』の活動を何かしらの形で休みでもしたら、人々は不安の捌け口を失い憎しみや恨みを募らせ、最悪その矛先は自分たちへ向けられる可能性だってある――。


「なるほど、理解できた」

「それは良かった。幾ら可愛い我が娘とはいえ、『聖女』の役目はこなしてもらわないと私や貴方の立場も危うくなるのです……」

「うーむ……」


 だが、溜息ばかりついては無理して元気な振りをしているヒトアの様子を見てしまっては、何とか彼女を楽にさせてあげたい、と言うのもまた大神官や国王の本音であった――本当は『聖女』の役割に対して耐え難い面倒臭さを感じつつも、愛する父や国王の前では懸命に取り繕っているだけなのだが。

 何とかならないものか、とヒュマスが頭を悩ませたその時、突然大神官は片手をもう片方の拳で叩き、しわが目立つ顔を笑みで歪ませた。その表情は、まるで何か大胆な策を思いついたかのようであった。それはいったい何なのか、と早速尋ねたヒュマス国王に返ってきたのは、まさしく彼にとって予想外の内容だった。フォート大神官の愛娘であり、どんな手を使ってでも『聖女』になって人々にちやほやされると言う夢を見事に叶えたはずのヒトアを、『聖女』の地位から引退させる、というのだ。


「ちょ、ちょっと待て!なんだそれは!?ヒトアまで追放すると……!?」

「落ち着いて落ち着いて……誰も追放するなんて言っておりません。むしろ、貴方にとっても利益がある方法ですよ」

「何だと……!?」


 訳が分からず困惑した表情を隠さないヒュマス国王に対して、大神官は率直にヒトア・ポリュートと言う存在が今後どうなるのかを教えた。

 ヒトアとヒュマス、聖女と国王と言う恋仲がコンチネンタル聖王国に生まれていると言う事は、ヒトアの父であり大神官であるフォートもすでに把握済みだった。当然だろう、この部屋へ訪れる度にヒュマスは彼女と体を寄せ合い、唇を重ねあい、時に大胆かつ破廉恥な行為まで始めかける程だったのだから。だが、ヒトアは現状『聖女』――特定の誰かではなく万民、そして女神を愛さなければならない立場にいる。今のままでは、2人は『禁断の恋』のまま進んでしまう事になる。そこで、彼女を敢えて『聖女』という地位から一旦退かせ、自由に恋愛や贅沢、ぐうたらが出来る状態にした後、正式にヒュマスとの婚約を成立させ、恋を実らせる、と言う訳である。つまり、一言でいえばヒトア・ポリュートがコンチネンタル聖王国の『王妃』になるのだ。


 確かにあまりにも大胆な発想だが、これなら『聖女』とは別の形でヒトアは贅沢三昧が出来、お洒落なドレスも美味しい食べ物も、そして好きなダンスも幾らでも堪能できる。勿論休暇だって取り放題、その間はたっぷりヒトアと恋を楽しむ事が出来るはず――最初は怪訝そうな顔つきだったヒュマスも、次第に大神官の案に乗り気になってきた。


「なるほど……これは凄い……凄い考えだ、フォート!」

「いえいえ、貴方のお役に立てましたら……」


 やはり一番信頼できるのはフォートとヒトアだけだ、と感激の思いを示すヒュマスであったが、直後彼の脳裏に浮かんだのは、この計画に対しての最大の障害であった。もしここで婚約が成立したとしても、間違いなく黙っていられず異議を唱える存在がいる。ヒュマスの正式な妻と言う立場にいる女性、アヴィス・コンチネンタルである。

 そもそもの始まり政略結婚であった事もあるが、何をやっても正論や文句ばかり言ってくる彼女に対して今のヒュマスは僅かな愛情すら感じていなかった。彼が遊び惚けたり宴を開く間、溜まっていく様々な書類を確認したり捌いたりする仕事をこなしているのは間違いなくアヴィス本人であったが、その事にすらヒュマスは全く感謝を覚えず、むしろ自身のやる事なす事全てに噛みついてくる彼女に対する刑罰だ、とばかり感じ、それが正しい行為だと信じ切っていたのだ。

 ただ、そんな彼女でもヒトアと婚約する旨は誤魔化せる訳がない。間違いなく様々な文句をつらつらと並べ、最悪何かしらの強硬手段に及ぶ可能性もある。だが、逆に言えばこのアヴィスさえ何とかすれば、自分自身に対する障害はほぼ消えたと言っても良い状態となる。何か良い案はないものか――再度悩み始めるヒュマスに対し、フォート大神官はどこか自信満々な表情と共にある書類を彼の前に用意した。何の気なしにそれを見た彼は眼を見開いて驚いた。


「フォート……これはどこで手に入れたんだ……!?」

「ふふ、手に入れたのではありません。我らのが、いざという時のために作ったものですよ」


 面と向かってその書類は『偽造品』である、と言う旨を説明されたヒュマス国王は、それを咎めるどころかにやけ顔でその内容を眺め始めた。たかが数枚、されど数枚。これらの書類があれば、憎きアヴィスを徹底的に追い詰める事が出来る。そうすれば、自分たちの願望はあっという間に叶う――。


「なるほど……これであの胸糞悪い女を……!」

「ええ、めでたく国王陛下はアヴィスに永遠の服従を約束させることができる訳です……」

「そして、愛するヒトアを手に入れる事が出来る……!」

「我が娘をよろしく頼みましたぞ、国王陛下……ふふふ……」



 ――大神官もワルよのぉ。いえいえ、国王陛下こそ。

 そんなやり取りを交わし、興奮の絶頂に達した2人が高笑いを始めた、その直後だった。突如、フォート大神官の部屋の扉が凄まじい音と共に開いたのは。その方向を向いたヒュマス国王とフォート大神官は一瞬驚きのあまり目も口も大きく開く凄まじい表情を見せた。それはまさしく『驚愕』という言葉がぴったりであった。

 当然であろう、扉の向こうで、今にも怒りが爆発しそうな表情のまま、彼らをじっと見つめていたのは――。



「……2人とも……一体これはどういう事なんですか!?!?」



 ――ヒュマス国王が忌み嫌い、フォート大神官が厄介な存在と認識していたコンチネンタル聖王国の王妃、アヴィス・コンチネンタルその人だったのだから!

  

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