無様な国王・後

「くそっ……くそっ……畜生……!!」


 忽然と姿を消した王妃に代わり、日々宮殿に届けられる大量の書類を自分自身が吟味し、認可や不認可などをはじめとする処理を行わなければならない――その事実を突きつけられたヒュマス国王は、懸命にそれらの書類を片付け続けた。勿論、ずっとこれらの仕事を王妃に押し付け続けていた彼はじっくりその中身を眺めるという事をするはずもなく、ただ闇雲に自分のサインを書き記しては書類を放り投げるというやり方を続けていた。

 だからこそ、彼は大量の書類が書いても書いてもまるで溢れ出るかのように増え続けていく事、その内容の大半が出鱈目極まりない内容、時には国王自身をけなすような内容になっている事など知る由もなかった。それらの裏に、彼が無実の罪で追放した聖女候補のセイラ・アウス・シュテルベンが大きくかかわっている事も含めて。


 当然、そのような仕事など、長年遊び惚ける中で怠け癖が心にこびりついてしまった国王に耐えられるはずもなく、彼は何度も座を外しては逃げ出し、自分の意見にいつも賛同してくれる皆と共に宴を開こうと提言した。だが、その言葉を聞いた誰もが言葉を濁し、彼に対して苦い表情を見せつけたのである。一体どうしたのだ、とのんきに尋ねる彼に叩きつけられたのは、もう宴は開けないと言うヒュマスにとってこれ以上残酷な言葉であった。


「おかしいだろ?こういう苦しい時だからこそ、宴は必要なのではないか?」

「申し訳ありません……私たちも宴は開きたい……ですが……」

「料理を用意してくれる者たちも、宴を準備してくれる者たちも、皆消えてしまいまして……」

「何よりも、国王陛下が予算を立ててくださらないと……」

「またそれか……くそっ……!!」


 今までなら、自分の気に食わない、苛立つような発言を繰り返す彼らに対し、地下牢にぶち込む事を宣告して衛兵に連行させていた彼なのだが、その衛兵たちすら、王妃たちと共に跡形もなく消え去ってしまった以上、どうしようも出来ない状況だった。そしてそれは、消えていく『実り』に困窮する民を尻目に毎日のようにヒュマス国王と共に宴を盛り上げ、この国の富を貪りつくしていた面々にとっても苦々しい話であった。結局どうしようもなく、皆に解散を命じた国王は、相変わらず大量の書類がうず高く積もり続けている自室へ籠る以外に選択肢はなかった。


 そして、苛立ちが限界に達した彼は、目の前にある書類を一気に破り捨てようとした。たかが薄っぺらな紙1枚のせいで、自分の心を蝕み、苛立たせ、更に彼をこの部屋へ押し込めようとする事に耐えられなくなったのだ。やがて、叫び声と共に彼は目の前にある紙を次々に引きちぎり、床に散らかし続けた。まるで駄々をこねる子供の泣き声のような音は廊下へも響き渡ったが、その声に呼応して何事かと駆け付ける使用人は誰一人としていなかった。セイラのようになりたいのか、などと力で捻じ伏せ、無理やりいう事を聞かせていた使用人たちもまた、揃って姿を消していたのである。


「ああああああああああ!!!あああああああああああ!!!!!」


 やがて、紙を千切り続ける事にすら疲れ果てたヒュマスは、ふと最後に破り捨てた書類の内容に目が留まった。それまではただ流れ作業の如く書類を片付けていた彼であったが、そこに記されていたのはまさに救いの手のような文章であった。


『国の運営に携わる書類の処理をは、国王から部下へと一任……』

「……するんだな!!そうだよな!!!ははははは!!!」


 途端に顔色が明るくなった国王は、急いでその紙の切れ端に直筆のサインを記した。そして、そのままこの部屋を逃げ出し、廊下へ駆け出そうとした。だが、扉を開いた彼の前に、まるで立ち塞がるように現れたのは――。


「国王陛下、どこへ行かれるつもりですか?」


 ――長年彼に付き添っていた側近の姿であった。

 当然、国王は彼に文句を言った。国王たる自分が外に行って何が悪い、と。だが、『側近』は冷たい表情のまま、国王だからこそあの大量の書類を片付けなければならないのだ、と言い返した。それが国民の上に立つ者にとって当然の義務である、と。ところが、ヒュマス国王は勝ち誇った笑みを見せながら、あの直筆のサインが書かれた紙の切れ端を『側近』へと突きつけた。これらの書類は今から『側近』を始めとする部下がすることが義務となった、自分にはもはや関係がない、と言い放ったのだ。

 ところが、それを見た『側近』はきょとんとした表情を見せたまま、国王の行く手を遮り続けた。その行動の意味を理解できる怒鳴りつける国王であったが、直後に『側近』が見せつけた書類――念のために作成しておいた控えの書類の内容を見た途端、顔色が変わった。それこそ、あの時国王が怒りのあまり破り捨て、切れ端だけからその内容を吟味したつもりになっていた書類そのものだったのである。そして、そこにはこのように続きが記されていた。


 国の運営に関する書類の処理は、国王から部下へと一任、と。


「ふざけるな!!!そんな出鱈目な内容、誰が信じるか!!」

「出鱈目と言われましても、国王陛下にお渡ししました資料にもそう記して……」

「記してあるわけないだろう!!お前がやれ!!全部やれ!!」


 書類に書いている内容を信じることなく、外へ出ようとする彼であったが、それは叶わなかった。突然体に衝撃を感じた彼は、直後に自分の身が書類の山の中に放り込まれている事に気が付いた。そして、同時に彼の体には大量の書類が倒れこみ、あっという間にその身を埋もれさせてしまった。よくもやりやがったな、と『側近』に反撃すべく立ち上がろうとするも、予想以上の書類の重さと運動不足、そしてここ最近の疲れのせいで手間取ってしまい、その間に部屋の扉は閉じられてしまった。しかも、どういう訳か鍵もかけていないのに何故か『扉』は開かないままだった。


「開けろ!!!開けろ!!!どうなってんだ、おい!!開けろ!!!開けてくれーー!!」


 しかし、その声に応えて扉を開く者は誰もいなかった。

 彼の周りに広がるのは、片づけない限り無尽蔵に増え続けるであろう大量の書類と、しっかり吟味しなかったがゆえに取り返しのつかない事態を招いてしまった書類の成れの果て、ズタズタに引き裂かれた彼の心を示すかのような大量の紙屑であった。


「う……うわああああああああ!!!!!」


 ヒュマス・コンチネンタルは、今の自分がどれだけ惨めで情けない有様になっているか、目の当たりにしなければならない状況となった。国王とは名ばかり、自分がどれだけ怒っても叫んでも、それに反応を示してくれる者は誰もいない。この広い宮殿の中で、自分は孤独な存在である――そう感じた彼は、崩れ落ちた書類の山の上でただただ泣き叫んだ。子供のように泣き続けた彼であったが、やはりその声に応えるものは誰一人として現れなかった。あの『側近』ですら、まるで彼を見放したかのように現れることはしなかった。

 

 泣いても事態が解決せず、かと言って逃げることもできない――ようやくヒュマスは、自分自身が置かれた状態から逃れられない事実と向き合わう選択を取る決意を固めた。いや、固めざるを得なかったのだ。これらの資料を何とか片づけなければ、今までのような宴も贅沢も出来ないという事が、嫌というほど認識できたからである。


「はぁ……」


そして、そのまま破り捨てられた紙屑から目を背けるかのように、手元にある紙に手を伸ばし、作業を開始した。相変わらずな中身を碌に見ない流れ作業であったが、その顔にはほんの僅かだけ真剣な面持ちが浮かんでいた。

 ただし、それは決して彼に『国王』としての心が芽生えたという事ではないのを――。


『……やれやれ……』


 ――位相を変え、彼が認識できない体になって密かに監視を続けていた『側近』――いや、セイラ・アウス・シュテルベンは既に承知済みだった。

 今までずっと王妃に押し付けていた、単純ながらも責任が重く課せられるこの膨大な書類を処理する作業、誰も手伝わず声もかけてくれない孤独な環境の中で、はたして彼はどれだけ耐える事ができるのだろうか、と彼女はその虚しい後姿を見て考えた。もしかしたら、案外彼なりに懸命に仕事をこなし、増え続ける書類を片付け続けてくれるかもしれない、という楽観的な見方も交えながら。ただその場合でも、結果は決してヒュマス国王の将来を良い方向へ導いてくれるとは限らないだろう、とセイラは予想していた。


 懸命に国のために尽くした王妃は、結果として『ヒュマス国王』からの信頼を失った。彼女にとっては良い結果に終わったのだが、はたして国王の場合はどうなるのか――。


『……これからが楽しみですわね♪』


 ――そう呟きながら、セイラは絶望に沈んだ国王を見つめつつ、同時に彼女は既にこの国から遥か遠くの場所で心や体の疲れを癒しつつ、頼もしい仲間に囲まれているであろうアヴィス王妃の手腕に改めて敬服の意思を示した。ヒュマス国王が感情に任せて大量の書類を破こうが、流れ作業で書類を処理しようが、何とかこの国が『聖王国』として成立し続けているのは、ひとえに彼女が残した功績なのだから。

 ただし、セイラが感謝を捧げているのはコンチネンタル聖王国が残り続ける事ではなかった。


『……アヴィス様……たっぷりこの国を使頂きますわ……』


 彼女の感謝の対象は、思う存分、女神の力を借りてこの国の『滅び』を演出できる事だった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る