苦悩する大神官

 ある日突然、何の兆候もないまま、コンチネンタル聖王国各地の人々や家畜、作物が忽然と姿を消す――この異常事態に怯え、困惑し続けているのは贅沢三昧を続けていた国王を始めとした貴族のみに留まらなかった。


「何だと……そこからも消えたというのか!?」

「は、はい……私も先程報告を受けたのですが……」


 エクス教の最高幹部、女神エクスティアの教えを司る者という立場を存分に味わい尽くしていたフォート大神官もまた、唖然とした表情で各地から寄せられる報告に耳を傾けていた。息を切らした神官から報告されたのは、各地の町や村に建てられ、その村の心の支えとなっていたはずの各地の教会から、人々に教えをもたらすはずの神官たちが一斉に姿を消した、と言う信じがたい内容だった。それも1箇所でなく、同じような内容が次々に大神官へ向けて寄せられ続けていたのである。そして、突如として人々が消えたのはこの大神殿も例外ではなかった。


 最初にその報告を聞いた時には、そのような非現実極まりない現象などある訳がない、もう一度調べなおせ、と冷たく突き放した大神官であったが、似たような内容を違う者たちから立て続けに聞かされてしまっては、流石の傲慢な彼でもこれが現実であると受け入れざるを得なかった。もう一度しっかり探し出せ、見つけ次第身柄を確保してすべての事情を洗いざらい吐き出させろ、拷問をしても構わん、フォート大神官と声を荒げて命令した。

 逃げるように部屋を後にした彼らを睨みつけるかのような視線で見送った後、彼は大きなため息をつき、頭を抱えた。


「何故だ……何故このような事に……」


 確かに、この常識ではありえない消失事件は彼にとって有利な側面もあった。フォート大神官が頂点に君臨する現状のエクス教の在り方に異議を唱える者たちが揃って姿を消し、彼の思い描く今後のエクス教の障害になる者がほぼこの国からいなくなった、と言う点である。だが、それ以上に彼はこの事態を恐るべき事態と捉えざるを得なかった。

 『女神エクスティア』を頂点とし、大神官や聖女、神官たちは彼女の教えに従いながら日々を過ごす、と言うそれまでのエクス教から方針を改め、女神の教えを代弁する『大神官』=フォート・ポリュートや『聖女』=フォートの娘、ヒトア・ポリュートを中心に、愚かな国民たちに教えを与えたり貢物を得たりしながら、彼らに精神面でも物理面でもなくてはならない支えとなる――これが、フォートが大神官となって以降着々と進めていた計画であった。先代の大神官まで脈々と続いていた教えをフォート中心の教えに改めたり、『聖女』を各地に派遣して信頼を勝ち得たりしたのはまさにその一環であった。先代の大神官の教えが身に染みていた聖女候補、セイラ・アウス・シュテルベンを追放した事も。


 だが、その計画――ポリュート親子を中心とした事実上の独裁体制が実現するためには、各地にあるエクス教の教会の力が大いに必要だった。少しづつ変化させていく『教え』を人々に与え、じわじわと彼ら親子を信仰する流れに持ち込む計画には、それらを実行に移す実務機関として『教会』が欠かせなかったのである。しかし、人々とともに各地の教会から神官たちが一斉に姿を消す、という状況になってしまっては、その計画を推進していくのは非常に困難となってしまった。フォートを中心とした教えが広められないだけではない。『教会』そのものが姿を消してしまうという事は、人々の心の拠り所が無くなってしまう、という事もである。やがて不安にさいなまれた人々の心は憎悪に満ち始めていき、その矛先は――。


「……いかん、このままでは……!!」


 ――何とか手を打たなければ、と頭を悩ませていた時、部屋に入ってきたのは更にフォートの頭を抱えさせる存在であった。


「お父様~、失礼しますわ~♪」


 一連の事態で教会全体が大わらわになり、残された人員で必死に動かしている状況の中でも、彼女――ヒトア・ポリュートだけは呑気かつ陽気にこの緊急事態を楽しんでいた。

 人員が一気に減った事で、各地に『聖女』を派遣し人々の心の拠り所を維持する、と言うフォート大神官が描いていた計画の遂行も困難になってしまった。しかも『聖女』やその従者たちを各地に運ぶために必要な家畜までもが忽然と消え失せており、物理的にも聖女が各地の町や村を巡り人々のために舞を披露する事すら物理的に不可能となってしまっていた。フォートにとってはまさに深刻な事態であったが、逆に彼の娘であるヒトアにはまさにうってつけの状況であった。


「もう、お父様ったら眉間にしわを寄せちゃって~、いけませんわ♪」

「……全く、ヒトア、お前は呑気でいいな……」


 まあ酷い、そんないい方しなくても良いのに、と頬を膨らませて可愛らしい仕草を見せる彼女は、自身の計画を懸命に遂行しようと奮闘し続ける父親とは対照的に、『聖女』という役割に対する嫌気が日増しに膨らんでいた。大好きな踊りをいつでもどこでも人々に見せびらかし、自分の可愛さや魅力を存分に認めてもらう、自己顕示欲が強いヒトアにとってうってつけの職務であったはずが、長らく続く異常事態――『実り』が次々にコンチネンタル聖王国から消えていく、という環境の中で、人々の視線が彼女ではなく『聖女』という職務そのものに向けられている事に気づいてしまったからだ。

 『聖女』ではなく『ヒトア・ポリュート』という存在を見てほしいのに、誰もその事に触れてくれない。父親であるフォート大神官も自分に『聖女』という役割ばかりを押し付けてくる。こんな事なら、聖女なんてならなければ良かったのに――そう感じるまでになっていたヒトアにとって、ここ最近の混乱はまさに願ったり叶ったりだった。嫌々あちこちで踊る事もなく、豪華な装飾や家具に彩られた自分の部屋で1日中ぐうたらゴロゴロ気ままに過ごす事が出来るようになったからである。得意の踊りを見せびらかすことは出来なくなったが、今の彼女にとって最早それはどうでもよい事だった。無理やり舞を踊らされるよりは、今のぐうたらな暮らしのほうがよっぽどマシだ、と考える程にまで、ヒトアは怠惰の限りを尽くしていたのである。


「ところでお父様~♪」

「な、なんだヒトア……何か欲しいものでもあるのか?」


 そんな気ままな彼女は、若干その態度に恐れや怯えのような態度を見せる父親の様子など知ったことかと言わんばかりに、今後の行動についての事前報告をした。宮殿にいるヒュマス国王の元へ遊びに行ってくる、と。当然、大神官たるフォートは慌てて彼女を諫めた。今のご時世、国王も忙しいに決まっている。彼の仕事を邪魔するわけにはいかない――エクス教の最高幹部たる彼でも、国王の逆鱗に触れると厄介な事になるのはよく承知していたのだ。だが、そんな彼の心は、陽気なヒトアには一切伝わっていなかった。


「もう、お父様ったらそんなに慌てなくてもいいのに~♪」

「い、いやそういう問題ではないぞヒトア……良いか、国王陛下の邪魔をするなど、国王を愛するお前からすれば……」

「何を言ってますの?忙しいからこそ、『私』のような癒しが必要なのでは?」

「う……だ、だがな……」


「もう、私ったら陛下思いなんだから~♪」


 瞳に入れても痛くないはずだ、と豪語する程ヒトアの事を溺愛する――親心という面でも、利用価値という面でも――フォート大神官が珍しく懸命に説教をしようとしているという、明らかに普段と異なる事態になっている事に、ヒトア本人は全く気付いていなかった。それどころか気分はすっかり上の空。彼女の心の中には、自分という存在がやって来た事ですっかり心が癒され、彼女と熱い一夜を過ごす事になるであろう国王の様子が思い描かれているようだった。

 そして、大神官が止めるのも聞かず、彼女はそのまま部屋を後に、勝手に宮殿へと向かってしまったのである。


「誰か!誰かいないか!!早くヒトアを止めろ!!!」


 慌てて声を張り上げるも、一気に人員が減った大神殿の中でフォートの叫びはただ虚しく響くのみであった。


 既に国王陛下の使者から、宮殿でもアヴィス王妃をはじめとした多くの人員が一斉に姿を消した、と言う報告があった。場合によっては、王妃に押し付け続けていた仕事を国王が直々に行わなければならない事態が起きているであろう。目の前の仕事に追われ焦燥としている国王陛下の逆鱗に、あの呑気な愛娘のヒトアが触れやしないか、とフォートはますます苦々しい顔を見せた。

 自分の思い通りに行かない事は、幾らでもある――フォート大神官にとって、それは受け入れがたい、だが受け入れざるを得ない、最も憎々しい現実であった……。

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