無様な国王・前

 その日、ヒュマス国王を含むコンチネンタル聖王国の人々――聖王国に残された者たちは、あまりに唐突な事態に唖然とするほか無かった。


「な……何だと……!?」

「ご……御覧の通り……もぬけの殻になっていました……!」


 焦燥した様子の部下から告げられた緊急事態を受け、宮殿の地下牢へ駆け込んだ彼は、そこに広がる光景に愕然としていた。つい昨日まで、彼の機嫌を損ねたがために次々にこの場所へ投獄され、やがて一方的な形だけの裁判を経て厳罰を与えるか一生の服従を強いらせようとしていた『政治犯』たちが、全員揃ってこの暗く虚しい場所から消え失せていた。文字通り、1人残らず忽然と姿を消していたのだ。まるで、元から誰もいなかったかのように。


 部下が大慌てで駆け込む理由を嫌というほど理解した国王は、この事態を説明すべく、地下牢を監視する看守長たちを呼ぶよう命令を下した。ところが、戻ってきたのは更に信じ難い言葉であった。看守長――この場所の運営を司る役割を担う者たちを含めた、地下牢に関する者たちもまた、昨晩のうちに一瞬で姿を消したというのだ。当然そのような事を言い訳としか思えない国王は、その現実を報告した部下の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。すぐに彼らを探し出し、この事態の説明をさせよ、と。唾を散らして怒鳴りつける彼の言葉に恐れをなしたのか、部下は逃げるようにその場を去った。


 そして、誰一人いない静かな地下牢の廊下で、国王は唖然とした表情のまま膝から崩れ落ちた。


「どうなってるんだ……おい……おい……おい!」


 彼にとって最も衝撃だったのは、国王にとって最も利用する価値がある存在――アヴィス王妃までもが、忽然と姿を消してしまった事であった。

 自身に逆らった侮辱罪に加えて国家の予算を横領した罪を着せたうえで投獄した彼女を、彼は自身に賛同してくれる貴族の面々と一緒に裁き、重い罪を科したうえで裁判長に国外追放を命じさせるつもりであった。ずっと大事にしていた国を追われる事は、アヴィスにとって最も耐え難い罪。きっと泣き叫んで許しを請い、罪を軽くしてほしいと願ってくるだろう。そうなった時、ヒュマス国王は敢えてな態度を見せ、これまでの彼女の業績から見て国外追放は重過ぎる、と彼女を擁護し、婚約破棄も取り消してほしい、と頼み込むつもりだった。勿論その裏には、自分に命を助けてもらったという『恩』をアヴィスに着せたうえで、彼女に一生逆らえない心の足枷を着せる算段が存在していた。彼女を一生束縛し、何が何でも自分の言いなりにする道具にすれば、自分は遊び放題、贅沢し放題。大神官が計画していたヒトアとの婚約も、アヴィスは一切文句を言えず受け入れてくれるだろう――彼はそんな未来を描いたうえで、アヴィスをこの地下牢へ閉じ込めたのである。


 だが、その壮大かつ邪悪な計画は全てご破算となった。地下牢の廊下を駆け回っても、そこには王妃を含め、囚人も看守も兵士も誰一人残されていなかった。聞こえるのは石畳の廊下を駆ける重苦しい国王の足音と――。


「アヴィス!!!どこだ、出てこい!!!!アヴィス!!!!!」


 ――怒鳴りながらも、どこか願うかのように叫び続ける虚しき国王の声のみであった。



 そして、そんな彼の元に恐る恐る近づいた部下から告げられたのは、どれ程彼らが努力しようが全ては無駄に終わった、と言う証だった。看守長やその家族、使用員たちが住んでいた家も、その部下であった看守たちが纏めて暮らしていた寮も、全てがもぬけの殻だった、というのである。しかも、家財道具まで根こそぎ消え失せ、まるで元から誰も住んでいなかったかのようであった――声を震わせ、涙目になりながらも部下は懸命に事実を告げた。


「……これが、真実です。紛れもない真実なのです……!」

「……ざけるな……」

「……えっ……」

「ふざけるなあああ!!どいつもこいつも!!うわあああああ!!!」


 地下牢の壁を殴ったり蹴ったり、抑えきれない自分の苛立ちを溢れさせた国王の様子に、部下は慌ててその場から逃げ出した。そして、彼の元に戻ってくることはなかった。後に残されたのは、自分の目論見が完全に崩れ、悔しさを露にする1人の哀れな男のみだった。



 だが、ヒュマス国王の前に待ち受けていたのは、単に自分たちの計画が完全に潰えたという現実だけではなかった。要職に就く多数の人員が消失するという異常事態は、すぐに彼の生活に影響を与え始めたのである。


「な……何だこの食事は!」


 彼の食卓に並んでいたのは、今までの贅沢極まりない豪華なフルコースとは打って変わって、スープ、パン、サラダなどごく簡単な料理が数品しか並んでいない、『質素』を通り越して『貧乏』と呼んでも過言ではない献立であった。しかもどの食事も今までとは見栄えも悪いものであった。しかし、使用人たちに文句を言う彼の意見――もっと豪華な食事を用意しろ、と言う命令が受け入れられる事はなかった。当然だろう、宮殿に仕えていた料理人たちもまた、1人残らず一斉に姿を晦ましてしまったのだから。ヒュマス国王を始めとした要職に就く者たちからの贅沢かつ傲慢な要望に懸命に答え、日々少なくなる貯えを何とか削りつつ懸命に料理を作り続けていた彼らもまた、まるで愛想をつかしたかのようにヒュマスたちの前から消え失せたのである。


「ふざけるな!こんなもの、食えるか!!」


 当然、贅沢に慣れ続けていたヒュマスにそのような事態が受け入れられる訳はなく、乱暴に料理を使用人たち――今回の料理を何とか作り終えた者たちへと投げつけ、皿を床にたたきつけて割る事で自分自身の怒りを見せつけた。使用人の癖にもっとましな料理は作れないのか、と言う嫌味と共に。だが、彼らにとってもこれが自分たちが作れる料理の限界でもあった。彼らもまた料理人たちの努力を長年鼻で笑い、懸命に作った料理を残したり彼らの前で堂々と不味い、人間が食べるものではない、と言ってのけるなど、『料理』そのものを舐めきっていたからである。


「国王……お許しください、これが限界なのです……!」

「何が限界だ、どいつもこいつも馬鹿にしてるのか……!!」

「そ、そんな訳は……!!」


 貴様らにも侮辱罪で厳罰を与えてやる、と怒り心頭のまま、結局国王は料理に一切手を付けないまま、自室へと戻っていった。ところが、そこに待つ光景を見た彼は自分の目を疑った。

 豪華絢爛、贅沢の限りを尽くした様々な装飾品や、黄金に輝く煌びやかなテーブル、ふかふかの柔らかい椅子、と言う光景は普段と変わらなかった。だが、それらの隙間を覆いつくすように、彼の部屋の中には大量の書類が文字通り山のように並べられていたのである。それはまるで、ヒュマスが忌み嫌い、決して足を踏み入れることがなかったアヴィス・コンチネンタル王妃の自室のような光景だった。当然、彼はこの事態に対して怒鳴り散らし、目の前にある書類を一気に破り散らそうとしたのだが、それを止める手がその行為を許さなかった。離せ、と叫ぶ彼であったが、その手は更に強く彼を握りしめた。


「いいえ、離しません。これは、貴方がしなければならない仕事なのです」

「何だと……貴様、国王に命令する気か!?!?」


 彼の目の前には、長年彼に付き添ってきた『側近』の姿があった。まるで人間を見つめる様相ではない視線で見つめられ一瞬たじろいだヒュマスであったが、すぐに眉間に皺を寄せながら反論した。何故このようなものを大量に自分に押し付けるのだ、これは貴様らが片付ければ良いだろうが、と。だが、その『側近』は冷たい表情を隠さず彼に現実を投げつけた。今までなら自分たち側近でもこれらの書類の手助けはできた。だが、『ヒュマス国王』の命令により、書類の審査や内容の吟味、承認などの行為は全て王族関係者に一任する事が決定してしまった。手伝おうにも、今の状況では無理だ、と。

 その言葉に、国王は愕然とした。当然だろう、『王妃』たるアヴィスに自分がやるべき仕事をすべて押し付けるために無理やり作った決め事が、自分に跳ね返ってくるとは思わなかったからだ。


「こ……この書類を……全部片づけろというのか……!?」

「ええ。残念ですが、私は手を出す事ができません。と困りますからね」


 その一言に怒りを沸騰させたヒュマス国王は、その『側近』の顔を思いっきり殴りつけ、その身を床に伏せさせた。そして、こいつを地下牢へほうり込め、と大声で命令を下した。普段なら、その声と共に衛兵が現れ、彼の意にそぐわなかった者をすぐさま地下牢へ連れて行ってくれた。だが、その声にこたえて部屋に入ってくる者はいなかった。何度叫んでも、衛兵はおろか彼の部屋に近寄るものすらいなかったのである。そして、ゆっくりと立ち上がる『側近』の姿を前に、国王は一瞬怯える程にまで至った。


「……国王陛下、そもそも地下牢を管理するものは誰もいない。鍵を持つ者もいない。現状、地下牢に誰かを投獄するのは不可能です……」

「……な、なら新たな看守長を決めれば……!」

「それでしたら、選定する書類に目を通して頂かなければ……」


「……もういい!!!やればいいんだろ、やれば!!!!!」


 最早事情は完全に変わってしまった。残されたのは、目の前にある無尽蔵の書類――アヴィスがこれまで懸命にこなし続けていた仕事を、自分が肩代わりする事のみ。どれ程嫌がろうが、これらを片付けなければ無礼を働いた使用人や『側近』の処罰すら出来ない――ようやく国王は、自分自身の置かれた状況を受け入れざるを得ない現実に目を向けた。いや、向けざるを得なかったのだ。

 そして、去り際に『側近』は疲れた時の贈り物として一切れのパンを差し出した。彼はそれを乱暴に受け取り、口に放り込むとそのまま机の前に座り込み、大量の書類を次々に捌き始めた。当然、そこに書いてある中身など見ることはなく、ただ自分自身の名前を書き記しては床に放り投げるだけ。丁寧にこれらの書類を吟味していたアヴィスとは正反対の態度だった。


 しかしそれこそが、『側近』、いや、正確には――。



『ふふふ……頑張ってくださいね、国王陛下♪』



 ――ヒュマス国王に自分の存在を『長年苦楽を共にしてきた側近』だと錯覚させた、セイラ・アウス・シュテルベンの狙い通りであった。もし彼が書類の内容を見れば、そこに書かれている事は全て出鱈目な文字の羅列だったり、別の書類の内容を文字通り複写したものばかりである事に気づくであろう。だが、あの調子なら気づく事は早々ないはずだ、と彼女は感じていた。頬にあった彼の拳の跡は既に消え失せていた。


『でも、念のために策は打っておきますか……♪』


 そして、部屋から去る直前、セイラは万が一に備えて無尽蔵の書類――彼女が光の粒子こと『ナノマシン』から生成した書類に細工を加えておいた。その内容は、ヒュマスの視線には全て違う内容に見えるよう錯覚を起こさせるようにする事と、これらの書類が延々と増え続けるようにする事であった……。

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