アヴィス王妃

 女神エクスティアから力や知恵、そして使命を授かり、女神の名の元に『コンチネンタル聖王国』を滅亡に至らせるための様々な準備を重ね、同時に自分の欲望と実益を兼ねて自分自身の数を増やし続けていく中で、純白のビキニアーマーを纏う美女、セイラ・アウス・シュテルベンには1つの懸案事項があった。

 あの時――女神エクスティアから彼女の滅びの意志を聞いた当初、尊敬する女神の御言葉とはいえセイラはその対応に対して異議を唱えた。いきなりそのような事を言われてはどう対応して良いかわからないという困惑、『滅び』という言葉への一瞬の嫌悪感など様々な理由があったのだが、その中でも大きかったのは、女神が語る滅びの対象の中には、その対象にするには不適合な人々が多く含まれている可能性がある、と言うものだった。国王や大神官を頂点に幾多もの人々が暮らすこの聖王国の中には、表立ってその態度を示さずとも、女神エクスティアへの信仰を捨てず、人々の事を思い、そして『聖女』の大切さを誰よりも理解してくれている人が多くいるはず。自分の欲望のために生き続ける国王や大神官、そして現在の『聖女』のようなどす黒く醜い存在の陰に多い隠れてしまっているが、そういった人々は間違いなくいるはずだ、とセイラは信じていたのだ。


 それに対する女神エクスティアの対応は、全ての判断をセイラに任せる、と言うものだった。全てはセイラの思うがまま、彼女の行動は全て女神の御心に沿ったものとなる、と女神は笑顔で彼女を励ましたのだが、それは裏を返せばこれから行う『滅び』のための行動の全てはセイラ自身の責任の上に成り立つもの、と言う事でもあった。女神の御心に従い、この『国』を真の平和へ導く本当の意味の聖女を目指すためとはいえ、セイラは日々その責任の重大さを認識しては女神エクスティアに自信の決意を祈りとともに捧げていた。


 そして、彼女の策略によってコンチネンタル聖王国中の『実り』が失われ始めてから、更に月日が経った。


 日頃から様々な準備を重ねていた人々や、緊急時に備えて互いに協力して生きる努力をしていた人々は以前より質素な生活を強いられながらも何とか最低限以上の生活を続け、面倒な調理の工程を経ながらもしっかりと食事から栄養を採る事が出来ていた。だが、それ以外の多くの国民――このような緊急事態になってもなお『聖女』の加護に頼り、楽な解決方法ばかり求めていた者たちは目に見えて減り、質もますます悪くなる食糧に耐え凌ぐ状況になっていた。そして当然、それに我慢できなくなった一部の住民たちは、質素ながらも安定した食料を得ている一部の住民たちを羨ましく、憎らしく思うようになっていた。

 長期にわたり平穏を保ち続けていたコンチネンタル聖王国の中、憎しみの渦が巻き起ころうとしていた。


「……やれやれ……」「思っていた通りですね……」


 当然、それはセイラ・アウス・シュテルベンの思い描いていた構想通りの流れであった。 

 かつて彼女たちが読み漁った、コンチネンタル聖王国や女神エクスティアに纏わる古い文献にも、聖王国が成立する前の人々は飢えや渇きに襲われ、いつ終わるかもしれない苦悩を紛らわすように妬みや憎しみの感情を周りにまき散らすようになった、と解釈できる文面が幾つも存在していた。ごく一部の善良な人々がその感情の標的となり、女神が降臨するまで耐えがたい苦痛の日々を過ごす事態になり、生き残った者はごく僅かに過ぎなかった、とう事も。


 確かに憎しみの力というのは日を増すごとに強くなり、力を持たぬ人々はそれに抗う事もできず滅び去るのみ、というのは1つの真理かもしれない。しかし、セイラは真の『聖女』は単に女神エクスティアからの使命を受けたり、女神からの加護を与えて人々を喜ばせるだけではなく、彼女の力をもって苦しむ力なき人々を救う事も重要な使命である、と考えていた。そして、いまにも爆発しそうな愚かな者たちの『憎しみ』から、善良な人々を保護する事が必要になっている事を痛感していた。それも、迅速に。


『……ったく、隣の村の奴……』

『あんな美味そうに飯を食いやがって……』

『そうよそうよ、あたしたちがこんなに腹すかせてるのに……』


『許しちゃおけねえょな……』

『全くだぜ……』


 セイラたちが集う『光の神殿』から遠く離れたとある村――努力もせずに残されていた食料を食い漁り、『聖女』の舞で自分たちの苦悩を発散し続ける道を選んだ愚かな人民たちが集う場所でも、不穏な空気が流れていた。備蓄していた食料をゆっくりと消費し、その傍らで雑草を調理して飢えを凌ぐ道を選んだ隣の村と異なり、彼らはそういった工程を面倒くさがり、それどころかいちいちそのような事をするなど愚の骨頂、どうせこの危機はすぐに去る、と楽観的な見方をしていた。そして、そんな彼らが追い詰められた末に選ぼうとしていたのは、背後に並べられた様々な農具を武器代わりにして隣の村を襲撃し、力をもって制圧しようとする動きだった。

 しかも、『光の神殿』に表示された幾つもの映像には、似たような計画を行う町や村の様子が幾つも映し出されていた。彼らもまた、豊潤な実りや温暖な気候に恵まれていたコンチネンタル聖王国で暮らしていく中で怠惰の限りを尽くした結果、他者から物を奪うという選択肢しか思い浮かばなくなる程にまで堕落していた。


「……さて、どうしますか……」

「……このまま放置しておくわけにもいかないですわね……」


 善良な心を持つものを救いたい、という自分自身の信念を裏切るわけにはいかない。彼らを救うと同時に、愚かな人民たちへ罰を与える良い方法はないものか――『光の神殿』を覆い尽くすセイラたちの間にしばしの沈黙の時間が流れた。そして、同じ考え、同じ思考判断、そして同じ純白のビキニアーマーを身に着ける彼女たちは、一斉にある発想を思い描き始めた。少々段階を経る事になるかもしれないが、女神に選ばれたとはいえ聖女候補の資格を剥奪された自分自身が介入するよりも、こちらの方がより効果的に善良な民衆たちを救い出せるかもしれない、と。


「「「「「「ふふ……それじゃ早速……♪」」」」」」」


 そして、彼女たちが一斉に微笑んだ瞬間、全ての映像はある1箇所の様子を表示し始めた。そこは、『光の神殿』がそびえ立つ『帰らずの森』から遥か遠く離れた場所、セイラにとっても馴染み深い王都の中心に建てられた王宮の更に内部にある一室だった。窓際に置かれた豪華な装飾が施された机の上には大量の書類が山のように積まれており、それらを処理するかのように1人の女性が懸命に目を通しては署名や返信を記し続けていた。その表情はどこか疲れきっているようだったが、それでも彼女は自身の頬を掌で叩き、職務をやり遂げようと奮闘しているようだった。


 その女性が何者か、セイラは一目で把握していた。事務的や儀式的な内容以外での会話をしたこともなければ、直接顔を合わせたことも非常に少なかったが、その信念が込められた凛とした表情、セイラ程ではないが整った体形、そして威厳がありつつも苦労している事を滲ませるような雰囲気はセイラの中に記憶として留められていた。

 間違いない、彼女こそコンチネンタル聖王国の王妃、アヴィス・コンチネンタルその人である。


「「「随分苦労をなさっているようですね、アヴィス様……」」」

「「「ええ、全く……」」」


 この国を司る立場であるアヴィス王妃が何故このような雑務を必死にこなさなければならないのか、セイラはすぐに彼女の心そのものを読み取る事で調査した。そして、その結果は彼女が概ね予想した通りであった。

 彼女が処理をする書類の中には、本来なら彼女の夫であるヒュマス・コンチネンタル国王が書き記さなければならないものが含まれていた。それを彼は言葉巧みに誤魔化し、アヴィス王妃へと押し付けたのである。真面目で正直、思ったことをはっきりと口に述べる性格と自分でも認識していた王妃は当然そのやり方に反発したのだが、最終的に国王に味方する者たちによる『数の暴力』の前に敗れ去った。大臣を始めとするコンチネンタル聖王国を司る大部分の高貴な役職の者たちは、自分たちに楽をさせてくれるヒュマス国王の味方に就いていたのだ。


『……はぁ……』


 彼女に職務を事実上押し付ける法案が成立してしまった時、ヒュマス国王は高らかに大臣たちへ向けて宣言していた。この国で『女性』が活躍できる基盤がまた1つ出来上がった。これで女性たちは男性と肩を並べて国家を支える原動力になるだろう、と。確かにその言葉通り、アヴィス王妃が片付ける書類には国家予算をはじめ重要なものが幾つもあり、彼女によって国家が支えられているというのは間違いなかった。だが、肝心の男性――ヒュマス国王はそれからと言うものあちこちへ遊びに行き放題、贅沢のし放題、文字通りのやりたい放題の限りを尽くしているようだった。それは、彼女の顔に滲み出る疲れから一目瞭然だった。セイラの記憶にある彼女の顔と比較しても、明らかに頬がやつれていたのである。


『……いけない……私がしっかりしなければ……』


 だが、そんな状況になってもなおアヴィス王妃は必死に職務をこなしていた。その心の奥底には、コンチネンタル聖王国を自分自身が守り抜かなければならない、と言う強い信念が根付いていたのを、セイラはしっかりと確認した。それが彼女自身を縛り付け、怠惰なヒュマス国王の思い通りに動く手駒に成り果てようとしている事を。



「「「……よし……!」」」



 そんな彼女を見て、セイラは彼女の心を『揺るがす』策に出る決意を固めた。アヴィス王妃と言う、国民から間違いなく信頼を得るであろう存在を、自身の『滅び』の計画において最良の形で利用するため、敢えて手荒な策略に出ることにしたのだ。勿論、若干の後ろめたさはあったものの、それでも彼女は仕方ない、と割り切った。職務を押し付けられた結果とはいえ、セイラが聖女候補の地位を剥奪され、『帰らずの森』へ追放される事態になった時、『王妃』として彼女は一切動かなかったのだから。



 そしてその夜、アヴィス王妃は今日も疲れ切った表情でベッドに横たわった。柔らかなベッドも暖かな毛布も、彼女の疲れを癒すのには足りなかった。また明日も多数の書類を片付けなければならない、自分がこの国を支えていかなければならない、何故なら私は『王妃』なのだから――そのような苦しみを抱えているうちに、彼女は次第に夢の中へと潜り込み――。



「……!!」



 ――その『夢』の内容で突然目が覚めた。夢として片づけられないほどに現実めいたものだったから、と言うのも理由の1つであったが、その内容が彼女にとってあまりにも衝撃的だったからである。夢は夢、と片付けたかったのだが、もしこれが本当に起きるものなら、あまりにも許し難いどころか、この国自体が根本から揺るぎかねない事態になる。今すぐ止めに行かないと、とは思ったものの、夢の通りならばその出来事が起きるのはもう少し先になる。事前に首を突っ込めば解決は遠くなってしまう――結局、アヴィス王妃は疲れで再度眠りに落ちるまで悩みに悩む事となった。



『……王妃……もう少しお待ちくださいませ……』


 そんな王妃の枕元には、純白のビキニアーマーを身につけたセイラ・アウス・シュテルベンが立っていた。勿論、『位相をずらす』という女神エクスティアの力を用いた彼女の姿を王妃が感じ取ることは出来なかった。そして、そのままセイラは王妃の額に自身の掌を置き、彼女の体に溜まりきった疲れを拭い取った。哀れな彼女への救いの念は勿論だが、これからアヴィス・コンチネンタルには彼女の『計画』にたっぷり役立ってもらう必要があったからである。


『よろしくお願いしますわ、王妃……ふふ……♪』


 ぐっすりと眠るその顔は、セイラの視線から見ても素晴らしい、美しさと勇ましさを兼ね備えたものであった……。

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