国王対王妃
「アヴィス……何故この場所が分かった……!?」
動揺と怒りの思いを込めてヒュマス国王が睨みつけたのは、フォート大神官と語り合っていた密室に文字通り殴り込んできた彼の妻であり、今となっては国王にとって目の上のたん瘤に等しい存在であったアヴィス・コンチネンタルであった。そして彼女もまたヒュマスに負けない程の憤怒の表情を見せつけていた。
「やはり『夢』で見た通りでしたわ……」
「『夢』だと……?」
「ほう……」
アヴィスの心には、昨晩に見た『夢』の内容がずっと脳裏にこびりついていた。自分自身の目が届かない密室でヒュマス国王とフォート大神官が憎たらしい顔つきで語り合い、アヴィス自身を陥れる策を練っていると言う、彼女にとって予想はしていても記憶に残したくない光景であった。暗殺、謀殺など物騒な言葉を並べる中で、次第に両者の考えは一致し、やがて揃ってこちらへ向けて勝ち誇ったような嫌らしい笑みを見せてくる――何とかしてその夢を忘れようとアヴィスは努力したのだが、奇妙な事にその夢は目が覚めてもなお彼女の心から消える事がなかったのである。
これは敬愛する女神エクスティア様からの啓示に違いないと確信した彼女は、その『お告げ』に従い、宮殿を抜け出して大神殿へと向かった。目的地についてもあの『夢』の中ではっきりと示されており、アヴィスはそれを頼りにヒュマスとフォートが語り合う場所を探し当てた、という訳である。そして、彼女がたどり着いた時――。
「……全て聞きましたわ……一体貴方たちは何を考えているのですか!?」
――アヴィスを追放したうえで聖女ヒトアを新たな王妃として迎える、と言う2人の会話を耳に入れてしまったのだ。
コンチネンタル聖王国のためなら受け入れざるを得ない話であるが、明らかにこれはヒュマスの欲望や私怨、フォート大神官の野心が絡んだ自分勝手極まりない陰謀そのもの。このような事が平気で語られてよいのか、幾ら国王の発案とはいえ許すわけにはいかない――ずっと我慢に我慢を強いられていた彼女は、溜まりに溜まった怒りを爆発させ、目の前にいる2人の醜い存在に対して罵声を飛ばし続けた。
「そもそも……貴方たちは聖女というのをどう考えているのですか!?聖女は貴方達の思い通りに動く道具ではありません!!」
女神エクスティアの加護を受け、人々から尊敬される立場の聖女を自分たちの私情のためだけにその立場を降ろさせる時点で言語道断、貴方たちは本当に大神官なのか、国王なのか――普段ならそのような事を言われるとヒュマスは耳が痛くなり、心に湧き上がる苛立ちを発散させるために彼女を怒鳴りつけ、自分に幾ら行っても無意味であることを文字通り分からせるために様々な策に打って出ていた。ヒュマスに王としての自覚を持たせようと懸命に訴え続けたアヴィス王妃に大量の仕事を押し付けて自身と会う機会を減らしたのもその一環であった。
だが、不思議と今日のヒュマスは彼女の怒りの言葉をすんなりと聞き入れることができた。その言葉の内容を聞いているうち、ある事に気が付くほどに冷静さを保ち続けていた。確かにアヴィス王妃の耳にも、この国において重要な役割を持つ聖女に最も近いとされた存在が様々な事情でこの国から追放され、代わりにフォート大神官の娘が『聖女』に任命された事は知っていた。だが、本来国王が為すべき書類の整理や確認などの事務的な仕事まで押し付けられていた彼女には、その新たな『聖女』と顔を合わせる機会すら与えられていなかった。当然、その聖女――ヒトア・ポリュートがどのような人物か、アヴィスは把握しきれていない。今の彼女は、ヒトアが聖女の仕事を続けたい、と真に願っていると勘違いしているかもしれない。その事実に同時に気づいたヒュマスとフォートは、互いに笑みを見せた。まさしく、アヴィスが夢で見たあの『歪んだ笑み』そのものだった。
「アヴィス王妃……貴方こそ、『聖女』の役割をわが娘に押し付けようとしているのではないですか?」
「……なっ……何を言い出すのです!聖女という大事な地位を好き勝手に……!」
その『聖女』が日々の激務で疲れ果て、自身から休みたいと申し出た、と言うのなら話は別ではないか――フォート大神官が自信満々な表情で述べた、一部に虚偽の内容を混ぜた言葉に、アヴィスは驚きの顔を見せてしまった。それが意味することは、彼女が聞いてしまった会話はヒュマスとフォートがこの密室で語り合った内容の一部に過ぎないという事であった。それを把握した大神官は、更に彼女を責めた。ここ最近、国の各地で起きている『異変』に対処するため聖女ヒトアは毎日懸命に舞を踊り続けている。だが彼女も人間であり、日々頑張れば疲れもする。それを貴方は、『聖女』だからという理由で更に無理をさせようとしている――。
「そ、そんな事言っていません!無茶苦茶な理屈で……!」
「ねじ伏せようとしないでください、ですよね、アヴィス王妃?あなたにその言葉、そっくり返させて貰いますよ……ふふふ……」
――勝ち誇った笑みでフォート大神官が告げたその言葉に対して、アヴィス王妃は反論する事ができなかった。ずっと部屋に籠りきりで書類の整理やその内容の承認などの雑務ばかりを押し付けられていた彼女は、聖女ヒトアがどのような人物か把握しきれていない。そんな状況で自分の意見を押し付けるというのは、まさに大神官によって跳ね返された『無茶苦茶な理屈』そのものにあたってしまうからである。
悔しさのあまり顔を歪ませた彼女であったが、その後に耳に入った言葉には流石に反論せざるを得なかった。フォート大神官の言葉に便乗するかの如く、彼女の夫――そこに全く愛はなく、最早名義上夫婦であるだけの存在であるヒュマスが彼女を嘲り笑うような言葉を飛ばしたからである。
所詮碌に外の様子を見ていないお前に、聖女どころかこの国の現状など分かるわけがない、と。
「……な……何てことを!!それは貴方の事ではないですか、ヒュマス!この国が揺るぎかねない状況なのに宴ばかり……!」
「何だと……貴様、国王の事を呼び捨てで呼んだ挙句いう事はそれか!」
「当然ですわ!あちこちから支援の申し出が……!」
「それは貴様の仕事であろう!さては大事な仕事を放り出して『休み』を取る気か?」
「それは貴方でしょうが!」
面倒な仕事を全て自分に押し付け続けていたが、最早それも限界。いい加減に目を覚まして真面目に『国王』としての仕事に励め、さもなければこちらも婚姻破棄などの手がある――今までためてきた鬱憤を吐き出すかのように、アヴィス王妃はその怒りを露わにした。ところが、そんな彼女に対してヒュマス国王は怯むどころか、勝ち誇った笑みを見せつけたのである。その表情を見て逆に怯んだ彼女に向けて、国王は彼女を嘲るような言葉と共に、手元にあった資料――フォート大神官が密かに『作り上げた』と言う偽の資料を見せつけた。自身との婚姻を破棄したのち、たっぷりと贅沢三昧の生活をするつもりだろう、と。
その資料を見て、王妃は唖然とした。当然だろう、そこに記されていたのは、彼女が密かに国家予算を着服し、自身の贅沢のため様々な金品や装飾品を買い占めている事を示す、彼女にとって全く見覚えのない書類だったのだから。
「な……何ですか、このふざけた内容は……」
「ふざけた?ほほう、引き籠ってばかりのお前は知らないだろうが、とっくに噂になっているぞ。なぁ、大神官?」
「ええ、アヴィス王妃が予算を着服している、密かに自室で贅沢三昧をしている、なんて……」
そんなふざけた噂をだれが信じるか、そんな大嘘なんて信じる人はいないはず――そう反論するアヴィス王妃の言葉は実際のところ正しかった。彼女のよからぬ噂は、全て生真面目な彼女を鬱陶しがり排除しようと以前から目論んでいたヒュマス国王とフォート大神官、そして聖女ヒトアの3人が密かにまき散らしていたものなのだから。だが、部屋に籠りきり、いやヒュマスによって部屋に押し込められていた彼女は、その噂が予想以上に広まっている、多くの人々がそれを耳にしている事を知らなかった――それを信じるか信じないかは別として。
だが、そんな彼女でも、書類に書かれていたサインを見てしまっては愕然とせざるを得なかった。その形状は、まさしくアヴィス・コンチネンタルが書いたものと寸分違わず等しかったのだ。これはどこからどう見ても明らかに彼女が記したもの。これをどうやって否定するのか――歪んだ笑みを見せる2人の男を前にしては、これが自分のものではないと幾ら批判しても、アヴィスの勝ち目は皆無に等しい状況になっていた。
「何で……どうしてこんな事を……!!」
「何でだと?不正をした者がよくそのような事を言えるな」
「ええ、その通りでございます。アヴィス王妃」
「不正なんて……不正なんてしていない……!!私は……っ!!」
「私は?私はどうしたのか?」
貴様のような存在など、『婚約者』どころか『女』としてもふさわしくない――どこまでも自身の婚約者を蔑み、貶し、嘲り笑い続けるヒュマス国王の言葉を聞いた直後、アヴィスの体は彼女自身が考えるよりも先に動いた。その掌からは、国王の頬に走る叩かれた痛みの度合いを示すような大きな音が響いていた。彼女が自分が突然何をしたのか気づいたのは、その直後であった。我慢の限度を超えていたとはいえ、『国王』に暴力を振るうという、文字通り一線を越えてしまった行為に唖然とする彼女をしり目に、痛む頬を抑えながらヒュマスは大声で『衛兵』を呼んだ。
その声に応えるかのように、すぐさま2人の衛兵がフォート大神官の部屋へ駆け込んだ。あまりにも早過ぎる到着である事に、誰も違和感を感じなかった。そして、ヒュマスは2人に怒鳴りつけるよう命令を下した。その女は国王たる自分に危害を加えようとした存在。今すぐこの場から地下牢へ連れていけ、と。それに応えるかのように、衛兵たちはアヴィスの両腕をがっちりと握り、彼女の動きを封じた。
「は、離しなさい!!これは何かの……!!」
「「さ、行きますよ、『王妃』」」
「国王!!大神官!!」
巨悪を倒したかの如く不気味なほど穏やかな微笑みを見せる国王と大神官へ向けて、アヴィス王妃は最後の宣告をした。このままこの国と共に滅んでしまえばよい、と。それが、今の王妃に出来る精いっぱいの、そして儚い抵抗であった。やがて、彼女の体は引きずられるかのように大神官の部屋から連れ出され、そのまま王宮の地下の牢獄へと向かわされていった。その瞳は、滅びゆく国を救うのに自分自身があまりにも無力である事を痛感するような悔し涙で溢れていた。
『『王妃……』』
そんな彼女は、自分を牢獄へと連れていく2人の衛兵が何者であるか、気付くことは無かった。
『私たちのご無礼、お許しください……』
『これも、滅びゆく国を救うための作戦なのです……』
言葉ではなく思念を用い、密かに謝る衛兵――いや、彼女たちが、今回の事態の全てを仕掛けた張本人である、ヒュマス国王やフォート大神官によって無実の罪を着せられた挙句追放された元・聖女候補のセイラ・アウス・シュテルベンその人である事に……。
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