第2章:滅びへの足音

聖女ヒトア

 聖女候補、セイラ・アウス・シュテルベンが『偽者』と見做され、事実上の国外追放令を受けてから、更に月日が経った。


 暖かな光を放つ不思議な『雪』がコンチネンタル聖王国中に降り積もって以降、国の様子が少しづつ変わり始めていた。その兆候にすぐに気づいた者は数少なかったが、時が経つにつれて誰もがその異変に気付かざるを得ない状況になっていた。温暖な気候、実り豊かな大地――女神エクスティアを祀るコンチネンタル聖王国の根幹の1つである『実り』が、少しづつ減り始めていたのだ。それまで種を植えて世話をすれば必ず豊かな実りが待っていたはずの作物は、穂を垂れ下げたり大きな実を実らせるよりも前に枯れていき、代わりに畑に生い茂るのは雑草ばかり。酷いときには作物が一晩で全て枯れ果て、残されたのは草木すら生えない荒れ地となる場所も現れていた。それも1箇所だけではなく、あの暖かな『雪』が降り積もった場所のすべて、つまりコンチネンタル聖王国の全域で、同じような現象が次々に発生していた。

 それに加え、各地の家畜にも異変が生じていた。日を追うごとに聖王国各地で飼われていた家畜たちの元気がなくなり、食欲も減衰していったのだ。しかも、その家畜から得られるはずの肉も卵も乳も、どれも少しづつ減っていき、質も悪くなっていった。家畜を主体とした暮らしも成り立たなくなっていったのである。


 更に不可解だったのは、雨も普段通りに降り、風も穏やかに吹き、太陽も全く変わりなく大地を照らし続けていたにも関わらず、コンチネンタル聖王国の『大地』だけが、実りの提供を拒絶していた事だった。それはまるで、が聖王国の全国民に対して試練を課すかのようであった。

 

「どうなってるんだよ……何を植えても芽生えなくなっちまった……」

「ちゃんと水もやったのに……」

「世話もしてたのに、何でなんだい……」

「父ちゃん母ちゃん、お腹すいたよ……」


 困惑し、腹を空かせたコンチネンタル聖王国の国民たちの対応は、場所によって様々だった。例えばとある良心的な領主は、自身の薬草趣味を応用して畑に生い茂る雑草の調理方法を領内の人々に教え、この事態を皆で乗り切ろうと呼びかけた。当初は唐突な連絡に困惑した領民たちであったが、いざその教え通りに調理をすると、その手法こそかなり面倒なものだが意外と美味しく味わえる事を理解した。更に、他の作物が次々に消失するのと裏腹にそれらの雑草はあちこちに繁茂し続けていたのも幸いした。

 何とか明日への希望が見いだせた人々は、自身の未来を繋いでくれた領主に感謝の言葉を述べた。しかし、その領主はお礼なら女神エクスティアに述べてほしい、と領民たちに呼びかけた。自分たちがこれからも生きていけるのは、彼女が見守ってくれるおかげに違いない、と。


 また、とある危機感の強い領主は、非常時に備えて蓄えていた作物を領民へと配給し、領民たちにも蓄えていた作物を利用するよう指令を与えた。女神エクスティアへの信仰が強く、大聖堂で神官を務めた経歴もあったこの領主は、女神が『聖女』となって降臨する前、この国が混乱に包まれ、多くの人々が苦しみ続けていた事を何度も書物で読み漁った。このような事態が今後起きないとも限らない、この世に『絶対』という言葉はない――そう考えていた領主は、実り多き作物を蓄えておくよう領民たちに命令し、自身も各地から届けられた作物をいざという時のために備蓄し続けた。当然他の場所よりも自分たちの作物の取り分が少ない事に領民たちは不満を持っていたが、次々に『実り』が消えていく今、領主を非難するものは居なかった。

 掌を返して感謝の言葉をかける領民たちに対し、領主は言った。全ては女神エクスティアの思し召し。感謝をするならこの知恵を授けてくれた女神に言って欲しい、と。



 だが、このように『女神』への感謝の念を忘れず、自分のためではなく他者のために動く国民の数は残念ながら少なかった。大半のコンチネンタル聖王国民は、このような非常事態になってもなお自分たちの事しか考えず、作物が少ない、実りが少ない、と不平不満を並べるばかりで何も行動を起こさなかったのである。勿論、他所から様々な解決策を持ち込もうとする者たちもいたが、それらの意見はあっという間に一蹴されてしまった。面倒臭い、そのような手間をかけるならいつものやり方の方が安全、他所は他所、俺たちは俺たち――様々な屁理屈をつけては、自分たちの不平不満を一掃してくれるはずの手段を拒否し続けていたのである。


 そして、そんな大多数の国民たちの心の拠り所になっていたのは――。


「みんなー!聖女様がおいでになったぞー!」

「聖女様!聖女様だー!」

「聖女ヒトア様なら何とかしてくれるはずよー!」


 ――大神官から『真の聖女』というお墨付きをもらっていた彼の娘にして当代の聖女、ヒトア・ポリュートであった。


 『聖女』といえば、女神エクスティアの加護を人々に伝えてくれる役割を持つ、コンチネンタル聖王国において非常に重要な存在。あらゆる存在を創り出す力を持つとも伝えられている女神の意志を受け取ることができる聖女なら、この事態を解決してくれるはずだ――多くの国民は、派手な深紅のドレスに身を包み、分厚い化粧で顔を覆った美少女に全てを託そうとしていたのである。そして、神官たちが見守る中、ヒトアはこの場所に建てられた聖堂の上で舞い始めた。


「聖女様ー!」「素敵ー!」「かわいいぞ聖女様ー!」


 作物が実らず、暗い顔ばかりをしていた住民たちは、体をくねらせ自由自在に踊るヒトアに歓喜の声を上げた。彼女の舞は、今や多くの人々にとって数少ない娯楽、前向きな感情を溢れさせてくれる要素になっていた。人々は以前よりも増して、聖女に対する信仰心を増幅させていたのである。そして、舞の終わりはいつも満面の笑みを見せるヒトアからの感謝の言葉だった。


「みんなー!今日もありがとうー!みんなに幸せがきますよ~に!」


「キャー!聖女様ー!」

「ありがとうございますー、聖女様!」


 熱狂する人々の関心は、全てヒトア・ポリュートに向けられていた。彼女に追いやられたセイラは勿論、彼女に加護を与えているはずの女神エクスティアの事など、誰の頭からも忘れられていた。そして、その人々の中には、本来事態の解決に向けて動く必要があるはずの領主や貴族などの上層階級も含まれていた。最早彼らは全ての解決を投げ出し、ヒトアに全てを任せる――いや、すべてを押し付けようとしていたのである。

 彼らの声援は、ヒトアが馬車に乗り込み、王都の大神殿へ戻り始めるまで続いた。


 そして、その馬車の中では――。


「……ああああああクソがああああああ!!!」



 ――苛立ちに溢れたヒトアの絶叫が、今日も響き渡っていた。


 好きなだけ大好きなダンスが踊れ、好きなだけ贅沢が出来、好きなだけ人々から尊敬を受ける事ができる――聖女に対してそんな考えを抱いていたヒトアにとって、今の状況はまさに願ったり叶ったり、理想的な状況のはずだった。あちこちに赴いては自分の考えた創作ダンスを存分に披露し、例えでたらめでも失敗しても多くの国民からは熱狂的な声援を受け、更に思う存分装飾を施した多種多様なドレスを着こなすことが出来る、それが今の彼女の環境だった。だが、好きなことだけで生き続けているようなヒトアでも、自分たちに声援を寄せているコンチネンタル聖王国民――愚かな人民どもが自分に寄せている想いが、以前と変わっている事に薄々気づいていた。


「なんなのよあいつら……あの声援、全然あたしに向けられてないじゃない!!」


 あの『暖かな雪』が降る前、国民たちの声援はヒトア自身に向けられていた。彼女のダンスを人々が喜び、感動している事が身に染みて分かっていた。だが、『雪』が王都を含む各地に降り注いで以降、国民たちがヒトアに浴びせる歓声は彼女自身ではなく、彼女が就く『聖女』という役割に向けられている事を、彼女は認識し始めていたのだ。舞という名のダンスという形で人々にアピールする自分の美しさ、可愛さ、綺麗さは完全に二の次に置かれ、誰も彼も『聖女』という役職にばかりに目を向けている。そればかりではなく、彼らは自分に対して過剰な期待を押し付けている。何でも解決してくれるとばかり考えている――。


「あたしも人間なのよ!ヒトアっていう女性なのよ!それなのにあいつら、『聖女』をなんだと思ってるのよ!」


 ――自身に課せられた『聖女』という役割に対する面倒臭さから、ヒトアは再度馬車の中で怒りを爆発させた。

 そんなワガママな『聖女』を、隣に座っていた王室より派遣された侍女は優しい言葉で慰め、諭そうとした。彼らは決してヒトアの事を蔑ろにしようとしているのではない、むしろ尊敬心は以前と比べて一層高まっている。皆、ヒトア・ポリュートが大好きだからこそ、そうやって期待の念を強くしているのだ、と。勿論、彼女は紆余曲折を経て聖女となったヒトアの事を応援し、今後も是非皆が尊敬する立場として是非頑張ってほしい、と背中を押すつもりでそう告げたつもりだった。だが、彼女の言葉を聞いたヒトアは、今にも怒りが爆発しそうな顔を侍女に向けた。


「何よ……あんた、あたしに文句でも言いたいの?」

「い、いえそんな事は……」

「じゃあ何!?あんた、あのクソな国民どもの味方なの!?あたしはね、大好きなお父様や愛する国王陛下が応援してくださってるからやってるだけなのよ!!あんな面倒ごとを全部押し付けるような連中の味方じゃないの!!」

「そ、それは承知済みですが……」


 何とか自分に悪意がない事を証明しようと言葉を並べようとした侍女であったが、バックに父親たる大神官や『愛人』――本来聖女が持たざるべき関係者――である国王がいるヒトアを怒らせた時点で、彼女の運命は決まったようなものだった。お父様たちにあなたの言論をたっぷり報告してあげる、と嘲り笑うヒトアの言葉を受けた侍女は顔を青ざめ、一言も話さなくなった。

 ここ最近、ヒトアはこうやって自分に口を出そうとする従者たちを性別問わず罰し続ける機会が増えてきた。衣装の用意が遅い、食事がまずい、馬車の乗り心地が悪い――毎回様々なケチをつけては、その事を大袈裟に大神官や国王に告げ口し、彼らの手を借りて自分の気分を損なわせた者たちに苦しみを与え続けていた。そうやって、彼女は自分の中に湧き上がる苛立ちを解消し続けていたのである。『聖女』たる自身に与えられた様々な期待や願望が、逆に彼女を苦しめ続けていたのかもしれない。だが、結局その苛立ちの解消法の効果はほんの僅かであった。すぐに彼女の目の前には『聖女』としての役割が押し付けられるのである。


「……ああああああ!!!畜生!!!!!」



 こんなイライラを抱えながら『聖女』をやるつもりなんて無かったのに――彼女の中のイライラは、いつまで経っても消えなかった。ただ、それでも今の自分はダンスをたっぷり踊れる満ち足りた環境にいると言う事だけは否定したくなかった。今の恵まれた状況を手放すなんて以ての外、もっと自由にダンスを踊って皆から褒められたい、ちやほやされ続けたい、と言うのもまたヒトアの本心だった。


 聖女は面倒臭いが、かと言って『聖女』の地位は守り続けたい。一体これから、自分はどうすれば良いのか――。


「……はぁ……」


 ――今日もまたお父様や国王陛下に慰めてもらうしかない、という諦めや苛立ち交じりのため息を、今日もヒトアは口から漏らすのだった。

 



 そんな彼女は、自分を見つめる視線に気づかなかった。いや、気づける訳はなかった。


『ふふふ……ヒトアさん、大変ですね♪』


 誰からも見えず、誰からも触られず、その場にいる事すら気づかれない――女神の言葉でいう『位相を変えた』状態になり、ヒトアの傍でにこやかに笑う、純白のビキニアーマーを着た、元・聖女候補、セイラ・アウス・シュテルベンがいた事に……。

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