セイラのせいだ
「だから、本当に悪かった!さっきからそう言ってるではないか!」
「知らない!!知らないったら知らないんだから!!」
「……うーむ……」
煌びやかな装飾や宝石で彩られた自室で、エクス教の頂点に君臨するフォート大神官は目の前で口論を繰り広げる男女に頭を抱え続けていた。当然だろう、自分たち以外の存在はこの世に必要ないと言わんばかりに愛し合い続けていた2人が、まるで汚らわしいものを押し付けるかの如く言い争いを延々と続けていたのだから。
こんなはずではなかった、顔を合わせればすぐ仲直りする算段だったのに――彼は頭を抱えつつも、机を挟んで睨み合うヒュマス国王と聖女ヒトアに対して若干のいら立ちや怒りを滲ませていた。
そもそも、この場所へ2人を連れてくるだけでも大変であった。
ヒュマス国王に会いに行くと言って勝手に出歩き、少し経った後に号泣しながら部屋へ籠り、決して外に出ようとしなかった愛娘のヒトアを、フォートは毎日のように懸命に説得した。このままでは『聖女』と言う役割自体が意味をなさないものとなり、聖王国は崩壊する。ヒトアも今のような暮らしができなくなり、ひもじい日々を過ごす事となる。そうなっても良いのか、と若干脅しめいた口調で部屋の外から何度告げても、ヒトアはそれに反抗し、部屋から一歩も出ようとしなかった。
一方でヒュマス国王の方も、明らかに様子がおかしかった。何故このような事に、と苛立ちながらフォート大神官が向かった先にいたのは、机に向かって一心不乱に書類へサインを書き記し続ける、痩せこけ変わり果てた国王の姿だった。そしてフォートの自室に負けずとも劣らない煌びやかさを誇っていたはずの部屋の中は、彼が次々に放り投げ続ける大量の書類に埋もれていた。まるで落書きのような乱暴なサインが次々に書かれていく、どこからどう見ても明らかに不自然な状況を何とか収めようとフォートは声をかけ、止めさせようとしたのだが、返ってきたのはすぐにこの部屋から出ていけ、という国王の乱暴な一言――ヒトアを泣かし、部屋に閉じ込めさせたものと同じ罵声だった。
傍から見れば仕事へ徹するまじめな国王に見えていたのかもしれないが、フォートはそれらの書類が出鱈目な内容ばかり記されている事に気が付いた。ヒュマスはその内容すら気づけないまま、ひたすら何者かに押し付けられたかのような無駄な仕事を繰り返し続けていたのだ。
『国王陛下……いい加減……目を覚ませ!!!』
そして、彼を我に返らせたのは、自分に苦労を掛けさせおって、という苛立ちや怒りを込めた、フォート大神官の強烈なビンタであった。
「……私はあの頬の痛みがなければ、こうしてヒトアに会う事も無かったのだ……」
大神官の自室で、痩せこけた頬を見せながらも何とか元の姿を取り戻したヒュマスは、大神官へ感謝の言葉を述べつつ、懸命にヒトアに謝り続けた。フォート大神官が怒りの言葉とともに教えてくれなければ、自分は仕事ばかりに打ち込みヒトアの心を全く見据えない冷たい男になっていた。自分が愚かだったのだ、と。そんな彼を、大神官はじっと見つめたまま何も言わなかった。
だが、ヒトアの方の機嫌はまだ直る様子がなかった。ヒュマスが謝罪をしにやってきた、という報告と共に部屋に乗り込んできたフォートによって半ば無理やり顔を合わせられた彼女は、その行為に対する苛立ち、そしてすっかり美形さを失ったフォートをなかなか受け入れられない気持ちが満ちていたのである。
「そんな事言って……私が許しても、また仕事に打ち込むつもりなんでしょう?」
「そ、そんな事はない!これからはヒトアを第一に思って……」
「嘘よ!あの時の頬の痛み、絶対忘れないんだから!」
「だからそれは悪かったって何度も……!」
「ほら見なさい!ヒュマス様はやっぱり私に怒ってる!!私なんて要らないなんて思って……」
「そんな事思うわけないだろう!!ヒトア、いったい何を考えてるんだ!!」
自分第一の凝り固まった考えを崩さないヒトア、それを何とか崩そうと必死の形相を見せるヒュマス。いつ果てるとも知れない2人の公論は、今までずっと相思相愛、だれにも邪魔ができないほどの間柄だったとは信じられない醜い有様であった。謝罪なんて受け入れないヒトアの挑発的な言葉に対してヒュマスもつい声を荒げてしまい、豪華絢爛だった部屋の中には喧しい罵声が響き渡っていった。
そして、いい加減にしないか、とヒュマスが怒鳴り、以前彼女を追い払った時のように手を上げようとした時――。
「やかましい!!2人とも黙らんか!!!」
――更に大きな声で怒鳴りつけたのは、彼らの間で耐えに耐え続けたフォート大神官であった。その形相にヒュマスは勿論、ヒトアもその指示に従う他無かった。やがて、自室が静まりかえったのを確認するかのようにフォートは咳払いをし、とんだ無礼を働いた事を2人に謝ったのち、おもむろにこの事態に対する意見を述べ始めた。
「……先程から聞いている限り、国王陛下、貴方は少なからず罪の意識はある、と」
「ああ……何度も言う通り、私は『仕事』とやらに操られ続けていたようだった……」
「まだそんなこと言って、本当は……」
「ヒトア、少し落ち着け。これでは事態の真相が伝えられんぞ」
「はい……えっ、お父様、今なんと!?」
一旦落ち込みかけた彼女は、実の父から飛び出した言葉に目を丸くして驚いた。国王を『仕事』へ誑かし、ヒトアを苦しめ続け、疑心暗鬼に陥れたこの異常事態の真相を、既に彼は把握している、と言うのだから。勿論、ヒュマス国王もまた彼女と同じ表情でフォート大神官へと詰め寄った。手っ取り早くその真相を伝えよ、と。
興奮する2人を何とか鎮めた後、おもむろにフォートは語り始めた。本当は自分自身も認めたくはなかった。あのような忌々しい存在が今も蠢いているとは信じたくもなかった。だが、今となっては『彼女』以外、この異常事態を引き起こした存在などあり得ない、と。
「そいつは誰なんだ……今すぐ話してくれ、私が成敗してやる!」
「国王陛下、ヒトア……どうか落ち着いて聞いてくださいませ……」
そして、彼は今回の事件の真犯人と目される人物の名を語った。
セイラ・アウス・シュテルベン――『帰らずの森』へ永久追放されたはずの、元・聖女候補だ、と。
奴の仕業としか考えられん、と神妙な顔で述べたフォートであったが、返ってきたのは予想もしなかった反応だった。
「……セイラが?奴が?そんな馬鹿な!」
「そうですわ、お父様。あのクソビッチは野垂れ死んでいるに決まってますわよ♪」
ヒュマス国王も、愛娘のヒトアも、彼を笑顔で見つめ、同情するかのような視線を向け始めたのである。それはまさしく、彼の言う事を全く信じていない証であった。
当然、フォートはそんな2人に苛立ちを募らせ、声を荒げながら自身の持論を語った。白く輝く『雪』のような奇妙な光の粒子。直後に各地から報告が始まった、作物や家畜の気力が失われ人々が飢えに苦しみ始めるという非常事態。そして、先頃起きた、国中の人々が一斉に跡形もなく消え去った異常な出来事。これらの常識を覆すような出来事をしでかしたのは、自分たちに恨みを持つセイラ――『聖女』を目指すべく過酷な試練を与え続けていた、憎たらしき先代の大神官の忘れ形見を置いて他にない、と。
「奴は『帰らずの森』で生き延び、自分たちに復讐しようとしている……そうに決まっておる!」
ところが、フォートの懸命な説明は、2人の心にそこまで届いていなかった。確かに国中で自分たちの常識を超える非常事態が起きている、という事はヒュマスも承知しており、ヒトアも嫌々ながら認めざるを得なかった。だが、それをセイラと結びつけるのは幾らなんでも安直過ぎるのではないか、と、まるでフォート大神官を舐めきるかのような口調で語ったのである。
「それに、『帰らずの森』に入った者で生き延びたのは誰一人としていない。そうだろう?」
「お父様、きっと疲れておられるんですわ……可哀そうに……」
「だ、誰のせいで……!!」
そもそも、セイラが生きているという証拠はどこにあるのか――ヒュマスにそう言われてしまったフォートは回答に窮した。当然だろう、彼が語ったのは何の証拠にも文献にも基づかない、彼の中で生まれた1つの憶測に過ぎなかったのだから。それでも彼は顔を歪ませながら、ヒュマスやヒトアに向けて自分の考えこそが正しいのだ、と懸命に語り続けた。自分は大神官、エクス教で最も位の高い存在。彼の言う事は絶対であり常に正しい。だから今回も正解に決まっているし、それが何よりの証拠だ――顔を真っ赤にしながら語り続ける彼は、最早自分が何を言っているのか分かっていない様相であった。彼を見つめるヒトアやヒュマスが、若干同情したかのような顔になっている事にも気づいてない様子だった。
「貴様ら……!!私は大神官だ!!それにセイラ、わしはお前の父だぞ!!」
ますます顔を真っ赤にしながら怒鳴りつける彼と真逆に、すっかり冷静さを取り戻したヒトアとヒュマスは互いに顔を見つめあいながら、申し訳なさそうな表情で語り合った。
「ヒュマス様……先程までのはしたない真似、申し訳ありません……」
「いいんだ、ヒトア……君が、私を許してくれるのなら……」
そして2人は、互いの体を抱き合った。それは、まさしくフォート大神官が望んだ『仲直り』そのものだったのだが、彼はその光景を見ても喜ばしさは全く感じなかった。それどころか、自分を差し置いて打ち解けあった2人への苛立ちがますます募る結果になったのである。ふざけるな、ワシの目の前でイチャイチャするな、と自分勝手な憤怒をまき散らす彼へ向けて、ヒュマスとヒトアは憐みの顔を見せながら何とか彼を落ち着かせようとした。セイラならもういない、きっとセイラが貴方の心に入って苦しめているだけ、もうセイラはこの世界には存在しない――。
「セイラはいる!!生きておるのだ!!」
「いいえ、お父様。セイラはもう森の中で息絶えたのですわ……」
「全くだ。大神官、少し休んだらどうだ?さぞ疲れただろう?」
「き、貴様らぁぁぁ……っ!!!」
――目に悔し涙まで浮かびながら、自分を耄碌したかのように見つめる2人をフォートが睨みつけた、その時だった。けたたましいノックの音が聞こえてきたのは。喧しい、と抑えきれない苛立ちを罵声で発散した彼に、ノックの主――フォートのもとに残った数少ない神官の1人が、緊急の用事がある、と告げた。そして、許可を得る前に尚早とした表情でその神官は部屋に飛び込んできたのである。
「なんだ貴様!!!わしの許可も得ずに部屋に入るなど極刑ものだぞ!!!」
「も、申し訳……で、ですが!!!窓を!!!!窓をご覧ください!!!!」
そう言うや否や、彼は悲鳴を上げてそのまま部屋を去っていった。一体何事だ、と言う興味本位でヒュマスとヒトアは、面倒事を押し付けおって、と言う苛立ちの思いでフォートはそれぞれ窓を見つめた。
そして、そこに映る光景に全員とも唖然となった。
「な……な……!!」
「あ……あ……」
そこには、3人が忘れもしない存在――緑色の長髪、端正な美貌、スタイル抜群の肉体、そして純白のビキニアーマーのみを纏う、思い出すだけでも腹立たしい先代の大神官の忘れ形見、糞女、クソビッチ、そして元・聖女候補であるセイラ・アウス・シュテルベンが、笑顔で立っていた。ただし、その大きさは彼らが佇む大神殿よりも、ヒュマス国王が住む宮殿よりも、そしてここから望むコンチネンタル聖王国の山よりも遥かに巨大であった。
唖然とする人間たちを笑顔で見つめる彼女は、まさしくヒュマス、ヒトア、フォート、そして彼らを含めた人間たち全員を見下すかのような姿であった……。
『……ふふふ……♪』
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