ふたりの大神官

『ヒトア!わしだ、フォート大神官だ!今すぐこの扉を開きなさい!』

『嫌!!!!絶対に嫌だ!!!!絶対に開かないんだから!!!』


 実の父親であるフォート大神官の忠告を無視し、聖王国の国王であり自身の秘密の愛人であるはずのヒュマス国王の元を密かに訪れた日から、聖女であるヒトアの様子は一変した。確かにそれまでも彼女は自分の役職――人々の心を癒し救う女神の代弁者として舞を披露するという役割に対して嫌気がさしていることを何度も国王や大神官に告げては彼らを困らせ続けていた。何とか彼女の機嫌を取るために様々な策を講じ、更にいっその事彼女を聖女から引退させるのはどうだ、という奥の手も取ろうとした。

 だが、その計画は王宮、神殿、そしてコンチネンタル聖王国全体から忽然と人々が消え去るという異常事態の前に敢えなく崩れ、大神官は自信が描いていた将来設計の大きな転換を余儀なくされた。自分自身が完全に教会を牛耳り、信頼や崇拝、名誉、そして多数の授け物といった暴利を貪ろうとする計画を、この状況の中で如何に進めるか、頭を悩ませていた時に、泣き叫びながら国王に対する誹謗中傷を口走っていったヒトアが部屋に閉じこもり、そのまま出ようとしないという事態まで起きたのである。


 幸い着替えや食事などを用意する神官の出入りはヒトアによって許されてはいたが、それ以外、例えば彼女を何としても無理やり外に出そうとする試みはすべて失敗に終わった。獣のように泣き叫び、国王に対する怒りとも悲しみともつかない感情をまき散らす彼女を前にしては、流石のフォートもたじろぎ、彼女の言うことを聞くほかなかった。だが、それが更に彼にとって大きな悩みの種となった。


『ヒトアめ……折角「聖女」となったというのにあの態度はのぉ……』


 彼にとって、ヒトア・ポリュートは目に入れても痛くない愛娘であるのと同時に、『聖女』として人々から信頼という名の利益を得るための有能な『道具』でもあった。勿論ただの道具ではない、丁寧に扱い、大事に守り続ける、至極のコレクションのような存在であった。だが、その彼女自身が聖女の役職を完全に放棄し続けている以上、せっかく勝ち得た信頼――国が重大な危機を迎えている中で頼りになる『聖女』というブランドが崩壊してしまう。それを彼は恐れ続けていたのだ。事実、消えることなく残された各地の町や村からは、人々の不安な心を癒してもらうためにも是非聖女が来てほしいと言う要望があちこちから寄せられていたのである。


 今日も部屋から出る事なく、父に対しても誹謗中傷をまき散らしたヒトアに対して愚痴を言いながら歩き続ける彼は、苛立ちや焦りを顔に滲ませながら近くにいる神官――賄賂をたっぷり頂きながらフォートの胡麻を擦り続ける、今回の消失現象の中で残り続けた数少ない宗教幹部に、その場をごまかすための言葉を各地の町や村へ伝えるよう命令を下した。聖女ヒトアは現在自室の中で真剣な祈りを捧げ続けている。国難を解消するため女神エクスティアの助けを借りるための神聖な行為の邪魔をすることは誰にも許されない。そのような行為をしたものは、女神へ対する裏切りと見做すだろう――その中には、『聖女』頼りの愚かな国民に対する怒りも込められていた。


『それにしても、国王陛下も陛下だ……』


 神官がその場を去った後、フォートはヒュマス国王に対する愚痴を口に出した。

 ヒトアの言っている事が正しければ、彼女をここまで追い詰めたのは急に仕事へ真面目に打ち込むようになったというヒュマス・コンチネンタル国王の行動である。今までは相手が国王陛下という事で、流石の自分自身も奥手に出ざるを得なかったが、ここまで事態が追い詰められている状況ならば、やむを得ない選択肢も考えなければならない。いや、そもそもあそこまで遊び惚けるのが大好き、嫌な事はすぐ自分自身を含めて他人に押し付けたがるあの国王が、何故急にここまで仕事とやらに打ち込むようになったのだろうか――。


『くそっ……いったい何がどうなっているんじゃ、この国は……』


 ――様々な要因がある中で最も大神官を苛立たせていたのは、全ての現実が自分の思い通りに動かなくなった、自分の想像を超える事が次々に起こり始めた、と言う、フォート大神官の威厳や信頼を失墜させるような出来事が頻発している、という事そのものだった。

 自分が予想しえない事がこれ以上起こり続けてたまるものか――歯ぎしりをしながら、彼は長い廊下を進み続けた。


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「「「「「「「ふふふ……フォート大神官様♪」」」」」」」」

「「「「「「「よっぽど困っておられるようですわね……♪」」」」」」」」」」」」


 そんな彼の様子は、その超常現象とも呼ぶべき事態を起こし続けている存在――かつてフォートたちが自身の欲望のためにこの国から追放した元・聖女候補のセイラ・アウス・シュテルベンによって逐一監視され、彼女が同情や嘲りを混ぜた微笑みを見せる対象となっていた。そして、彼女たちの視線には大神官を含む残された者たちの行動に対する『興味』――彼らが予想から若干外れた行動を取っている事への関心が含まれていた。


 確かに、ヒュマス国王が異常なほどに大量の書類を捌く事だけに熱心になり始めた裏には、彼の側近に成りすましたセイラが女神の力を使い、僅かながら彼に暗示をかけていたと言う一面もあった。目の前にある書類を全て片付けなければ、今までのような贅沢な暮らしも豪華な食事も、そしてヒトアとの楽しい日々も過ごせない。そのように彼自身が認識してしまうよう、幾ら片付けても無限に沸き上がり続ける書類の山を生み出したり彼を心理的に部屋に閉じ込めたり、そして密かに彼の心へ『毒』――意味もない行為を続けてしまう事に違和感を持たせないよう、心を僅かばかり麻痺させたのである。しかし、ここまで彼がその暗示にかかり、愛していたはずのヒトアにすら暴言を吐き、挙句暴力をふるう程になるとは、セイラにとっては予想外であった。勿論、良い意味で。


 ただ、あまりにも露骨に異変が生じた結果、薄々何かがおかしいと感づき始めたであろう大神官がこれから行うはずの行動も、セイラはある程度予想していた。大神官を含む人間というものは、自分の常識を超えた現象が起きると自分自身の中で勝手に答えを導き出し、それに納得してしまうものである。恐らく大神官が求める『答え』というのは、自分自身が招いた責任とは程遠い、『他者』、それも自分にとって最も憎たらしき存在に責任がある、という事だろう、とセイラたちは納得していた。ただ――。



「「「……でも、それはそれで構いませんわね、セイラ」」」

「「「「「そうですわね、セイラ……」」」」」」

「「「「「「「「だって、そもそもフォート大神官様に国王陛下、それにヒトアさんたちは……ふふ……」」」」」」」


 ――彼らがどう足掻いても、自分たちの滅びの計画には何ら支障はない。それどころか、自分たちが思い描いた構想通りに進んでくれて有難いほどだ、と彼女たちは互いに納得しあった。

 それ以上に、やっておかなければならない事がある、という点を含めて。



「「「「「「「「「……それよりも、『大神官様』は……」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「……はい……」」」」」」」」」」」」



 彼女たちが告げた『大神官』という言葉は、フォートを指す言葉と同一の単語であったが、彼女たちの口から放たれるその響きは全く異なっていた。そこには、フォートに対しては一切存在しなかった尊敬や敬愛、そして悲しみの感情が込められていた。


 あの時――コンチネンタル聖王国で困窮する日々を過ごしていた善良な国民を脱出させた際、ほとんどの国民は『女神』の代弁者として各自の夢の中に現れたセイラの啓示、そして彼女の願いに従ってくれた。だが、ほんの僅か――たった2名だけ、敢えてセイラの言葉に背き、そのまま聖王国に留まり続けることを選んだ者たちがいた。そして、セイラもその意思を尊重し、一切手を出すことはしなかった。だが、その2名に残された日々がもうすぐ終わりを迎えようとしている事を、彼女たちは知ってしまった。

 セイラを麗しい美女へと育て上げてくれた心優しき先代の大神官――ディーノ・サウリア。フォートの陰謀の前に大神官の座から引きずり降ろされ、遠く離れた辺境の地で、彼は長い生涯に幕を閉じようとしていたのである。彼に最後まで付き従う決意を固めていた、老女性神官のロコが見守る中で。


「「「「「「「「「「「セイラ……」」」」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「ええ、そろそろ向かわなければ……」」」」」」」」」」」」」」」


 あの世への旅立ちを間近に控えた彼に、セイラは最後に一目会う事を決めていた。フォートによって引き離され、無理やり聖女を目指す道を押し付けられ、肉体的にも精神的にも過酷な日々を過ごす中でも、彼女は女神エクスティアへの尊敬の念と共にディーノ前大神官との日々を決して忘れることは無かった。白い髭を生やし笑顔が似合う優しいお爺様であった彼に、せめてもう一度会って、これまでの感謝の念をはっきりと伝えたい。女神エクスティアの代弁者としてではなく、エクス教の一員、セイラ・アウス・シュテルベンとして――純白のビキニアーマーを纏い、『光の神殿』に集まった美女たちの総意であった。


 やがて、聖堂の中央にゆっくりと光の粒子が注がれていき、新たな『セイラ・アウス・シュテルベン』を形作った。すべてのセイラを代表し、最後の挨拶へ向かう役割を彼女に託したのだ。


「……それでは、行って参りますわ」

「「「「「「「「「「「「「「「「「いってらっしゃい、セイラ」」」」」」」」」」」」」」」」」



 そして、『代表』として選ばれたセイラは、再度自分の体を無数の光の粒子に変え、ディーノが追放された辺境の地へと飛び立った……。

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