再会の時

 コンチネンタル聖王国の王都から遠く離れた、山に囲まれた辺境の地。そこに建つ石造りの建物に、長らくこの国の人々の心の支えとなっているエクス教の頂点に立ち、人々と女神エクスティアを繋ぐ大きな役割を果たしていた先代の大神官、ディーノ・サウリアが、彼に付き従う女性神官のロコと共に余生を過ごしていた。王都にある大神殿からの仕送りは少なく、顧みる者も稀と言う、人々から敬われていた大神官の座を退いた者という立場からすれば不適当な待遇を受けながら。


 ほとんどの国民には、彼が流行り病で倒れ、職務を全うできない状況にある事が引退、そして辺境の地への隠居の理由と告げられていた。実際、その時期にはコンチネンタル聖王国各地で伝染病が蔓延しており、王家もエクス教幹部も大きな被害を受けており、現在の大神官たるフォート・ポリュートから説明された『真実』とやらを疑うものはほぼ皆無という状況だった。だが、その裏で大神官の地位を狙っていた当時のフォートが暗躍していた事は、ディーノからは筒抜けであった。もし彼が病に倒れることがなければ、もしフォートに入り込む隙を与えなければ、この辺境の地に追いやられていたのはフォートだったであろう――ロコのように真実を知るごく一部の者はそう信じ、ずっと悔しさを心の中に隠しもっていた。


 そんなディーノとロコの元に、『女神エクスティア』からの啓示――この国を捨てて脱出し、新たなるコンチネンタル聖王国を築き上げよ、という言葉が夢の中で舞い降りたのは、少し前のことだった。


「本当に、私たちは行かなくて良かったのでしょうか……?」


 ベッドにその身を横たえ、やつれた顔で自身を見つめるディーノへ、ロコは改めて自分自身を含めてあの時の判断は正しかったのか、と尋ねた。この国を脱出するチャンスを自ら捨てた、と言う事への若干の後悔が無かったと言えば嘘になるが、最も大きな理由は、敬愛する女神からの啓示を断るという、自分たちでも考えられない選択肢をとった事であった。


「きっと女神様は、私たちの事を思ってあのような言葉を述べたのでしょう……」

「……そうじゃの。ワシらの事を、女神さまは見守ってくださっておった……」

「それなら、どうして私たちはあの時……」


 不安そうな表情を見せる彼女の手に、ディーノはそっと皺だらけだが暖かな手を乗せた。そして、優しくも真剣な口調で伝えた。女神の意思を自分の思いで断る、それもまた女神エクスティア様の思し召しだったのだろう、と。

 ディーノは先代の大神官、女神と人々を繋ぐ役割を果たしていた者として、彼女が世界を滅ぼすという結論を出すまでに至った責任を取り、敢えてこの国の全てが消えるのを見届けるという決意の元、女神が用意した『ポータル』へ入るという行動を取らなかった。一方のロコもまた、長年に渡りお世話になった、尊敬する大神官と共にこの国に残るという決意を選んだ。自分たちがそのような考えを選んだのは、きっと女神エクスティアがそのように自分たちを導いた結果なのだろう――体こそ弱っていたが、ディーノの心は決して衰える事はなかった。


「……そうかもしれませんわね、大神官様……あ、いえ失礼しました……」

「構わんよ。ワシはどんな呼ばれ方でも、な」

「……ありがとうございます……」


 恐縮する彼女へ向けて、ディーノは逆に謝った。結果的に野望に満ちたフォートの行動が起こしたものとはいえ、この辺境の地できびしい暮らしをさせる事に巻き込んでしまって済まなかった、と。だが、それを聞いたロコはすぐにその言葉を否定した。当然だろう、あの時――フォート大神官がディーノに隠居を促しこの場所へ追いやった際、長年彼のお世話になった彼女だけはそれに猛反発し彼と同じ道を選んだのだから。誰に言われたのでもなく、自分自身の意思で。


「例え女神がディーノ様を罪ある者とみなしても、私は貴方の傍にいる所存です」

「……そうか……ありがとう……」


 そして、自分自身の目頭が熱くなるのをこらえながら、ロコは一礼をして彼が眠る寝室をそっと離れた。尊敬する存在の前で弱音を見せたくない、涙なんてもっての外、と言う意地らしい彼女の気持ちをディーノは尊重していた。

 やがて、彼の体にもゆっくりと眠気が舞い降り始めた。またこうやって今日も終わる。貧しく厳しい大地だが、穏やかな日々を過ごせるのも、女神エクスティアやロコのように、自分をずっと信じてくれる存在のお陰だ。また明日も、彼らに感謝を捧げる時間を送りたい――そのようなことを考え、瞼を閉じようとした、その時だった。一度閉じたはずの扉がゆっくりと開き始めたのは。そこにいたのが、先程部屋を出たばかりのロコではない、と言う事を、直後にディーノは知る事となった。


「……!!」


 夜を温かく照らす灯では、扉の向こうから見えるあの眩い光は作り出せない。しかもあの場所には灯など置いていない。一体誰が、何のために――驚きのあまり目を見開いた彼の元に、光の中から1人の女性が姿を現した。それは、先代の大神官たるディーノ・サウリアにとって、二度と会えないとばかり思っていた姿形そのものであった。長く伸ばした緑色の髪、誰もが優しい気持ちになれるであろう穏やかな美貌、芸術のような美しい体つき――それを見た時、ディーノは『彼女』を女神エクスティアだ、と一瞬感じた。当然だろう、神々しいほどの光を浴びながら、自分のような年老いた爺の元にわざわざ現れるなど、よほどの人でない限りあり得ない、と彼は信じ切ってしまっていたのだから。

 だが、ゆっくりとその光の中から彼の部屋へ足を踏み入れるその姿を見て、彼はすぐ自分の考えが間違っていた事に直感で気づいた。


「……セイラ……セイラ……なのか……?」


 確かにあの『夢』の中で、彼女と同じ声をした者が女神エクスティアと名乗り、彼をはじめとした多くのコンチネンタル聖王国の人々の元に舞い降りた。目の前にいる女性――神殿の古文書に描かれていた純白のビキニアーマーを着込んだ美女も、それと全く同じ姿形をしていた。だが、セイラ・アウス・シュテルベンと言う名を知る者――いや、その名を彼女に授け、彼女が麗しく誠実な1人の女性になる手助けをした者として、彼女が間違いなくセイラその人である事を、彼は察したのである。

 もう二度と会えないとばかり思っていた存在がまばゆい光とともに現れると言う事態に、驚きのあまりもう一度その名を尋ねた彼に、その女性――セイラは、彼の考えが正しい事を示すかのように、穏やかな笑顔と共にゆっくりと頷いた。その表情には、彼ともう一度会えた事に対する嬉しさも存分に込められていた。


「そうか……そうか……」


 彼女の回答を見たディーノは、嬉しさを笑みに込めて返そうとした。だが、病と長きに渡る隠居生活で弱りきった体では、まぎれもない本物のセイラへ向ける笑顔を作るのには限界があった。どうしても心の全てが伝えられないもどかしさや悔しさがその笑顔から滲んでしまったのか、セイラはゆっくりと彼に歩み寄り、そっと皴に覆われたその手を握りしめた。そして、彼の名をゆっくりと、しかし丁寧に告げた。


「……お久しぶりです、ディーノ・サウリア


 全く、誰も彼も、今の自分は『大神官』でもないごく1人の爺だと言うのに――そう秘かに思いつつも、ディーノには決して悪い思いはしなかった。傍らにいてくれる者たちがそれだけこの自分自身を大事に感じてくれている事、そしてセイラ・アウス・シュテルベンにとって、自分自身が今もなお大きな存在であり続けている事。それを感じ取った彼は、目から今にも溢れそうな雫を堪え続けた……。

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