追放された男

 話は数日前――その男が『帰らずの森』へ放逐された少し前に遡る。



 光り輝く暖かな雪が降り積もった日から、野菜、果物、家畜など様々な『実り』が姿を消す――コンチネンタル聖王国でゆっくりと、だが着実に進行し続けている異変の中で、大半の国民たちは緊急事態でも碌に動こうとせず、苦しみを紛らわすために聖女を招いてはその祝福を受ける、という怠惰そのものの対処法を取り続けていた。彼らが信仰する女神エクスティアを祭る『エクス教』側が、その雪こそ新たなる聖女・ヒトアを祝福するためだ、と断言した以上、その言葉に逆らったり疑問視したりする意志は持ち合わせていなかったのである。


 だが、その『エクス教』の内部――ほとんどの国民が立ち入ることのできない大神殿の中枢部では、この異変の中で1つの動乱が起きた。いや、正確には『起きかけていた』と言った方が正しいかもしれない。


「何故だ!なぜ私が裁かれなければならん!しかもお前の……!」

「黙れ、罪人!大神官が裁判長を務めるのはエクス教の戒律だ!」


 既にその動乱の引き金となった男――エクス教を司る宗教幹部たる神官の中でも高い地位を得ていた、横に広い体格と毛量が薄い白髪混じりの男、ヨーク・バルートは、既に臨時に開かれた裁判の中で『罪人』として裁かれていたからである。


 戒律で定められた事に逆らうとは言語道断だ、と言わんばかりに四方八方から集まる怒りの視線を受け続けたヨークの視線には、僅かに口元に笑みを見せる、エクス教の最高位の座にいる男、フォート・ポリュートがいた。そしてヨークは憎々しい視線を再度彼に向けた。当然だろう、彼に課せられた容疑の1つが、フォートを大神官の地位から引き摺り下ろし、自分やその一派が彼らに代わってエクス教を完全に支配可能な地位に君臨しようとする『クーデター』を企もうとしていたのだから。


 それが真実なのか否か、裁判員役の幹部――フォートと仲良くしているという男に尋ねられたヨークは、フォートを始めとするエクス教の中枢を担う者たちへ堂々とした態度で告げた。今のエクス教はフォートを始めとする一派によって完全に支配され、根っこから腐りきっている。このままではコンチネンタル聖王国が根幹から崩れ落ち、やがて滅亡に陥ってしまう――。


「そもそも貴様らは何故あの不気味な『雪』を神聖なものだと国民に告げた!各地で作物の収穫量が落ち始めたのは、あの『雪』が降ってからではないか!お陰で国民たちは飢えに苦しんでおるのだぞ!!」


「貴様!エクス教の教えを……」

「良い良い、そのまま語らせてやれ。ではないか」

「フォート大神官……!」


「くっ……!」


 彼の言葉を意にも介さず、余裕の表情で大演説を楽しむ様相のフォート大神官を見たヨークは、舐めおって、と捨て台詞を吐く事しか出来なかった。そして、今度は彼らを裁くフォートたちがヨークを追求する番であった。


 今の大神官では未来はない、エクス教の未来を創るのは女神エクスティアへ信心深いこのヨーク・バルートだ、と豪語した彼の元には、密かに幾人もの宗教幹部や彼らを尊敬する神官たちが集結し、フォートを追い詰めるための策を練っていた。その中には、大神官自身の命を猛毒やナイフ、紐などで密かに奪い、日を置いて大神官が急死した旨を国民や国王に告げ、そしてその混乱をヨークが綺麗に収め、人々からの信頼を勝ち得たうえで新たな大神官になる、と言うシナリオも含まれていた。だが、まさにこの強硬策を実行に移すべく準備を始めようとした矢先、彼らはフォート一派に属する神官たちによって取り押さえられ、計画は水の泡になったのである。


 誰にも明かさず密かに行われていたはずの計画が何故呆気なく露呈してしまったのか、その要因は単純明快なものだった。ヨーク一派が企てていた暗殺計画を、が洗いざらいフォート側に暴露していたのである。その結果、フォートは自分の掌の上でヨークたちが自分を排除する案を練るのをじっくり楽しんだのち、頃合いを見計らって彼らを一網打尽にした、と言う訳である。


「どうやらお主の一派とやらは、一筋縄ではいかん奴が揃っておるようじゃのぉ」

「くっ……発言を求める!」

「許す、ヨーク・バルート」

「一体その密告者は誰なんだ!教えろ!」


 だが、返ってきたのはヨークにとって予想外の言葉であった。エクス教を揺るがす重要な事態であるにも関わらず、フォート大神官はその密告者とは何者なのか、顔も声も、果ては名前すら一切覚えていないと告げたのである。ふざけるな、と罵声を挙げようとしたヨークであったが、フォート・ポリュートがどのような男なのかを思い返し、反論を諦めた。エクス教を我が物顔で操るこの男は、自分自身が気に入った存在、もしくは徹底的に忌み嫌う存在を除いた『どうでもいい存在』など、あっという間に記憶から削除してしまう冷酷な一面を持っているのだ。

 しかし、その際の密告の内容については、フォートは一語一句残さずはっきりと覚えていた。その『密告者』から書類を渡されたのは勿論だが、自分を危機に追い詰める、だが逆に自分の立場が安泰になる側面もある重要な情報だからこそ、この禿げ頭の大神官はしっかりと記憶に留めていたのだ。自分自身にとって忌み嫌うべき存在となり果てたヨーク・バルートを追い詰めるために。


 そして、なおも反抗的な態度を示し続けるヨークに対し、フォートは決定的な一打を与えた。近くにいる幹部に命令して持ち出した資料――件の『密告者』から渡された書類には、文字通りエクス教を揺るがしかねない彼の計画が記されていたのである。



「ヨーク・バルート……貴様はフォート大神官を排除したのち、『聖女』の地位も自身の手中に収めようとしていた……」

「……!?」

「貴様の娘、カライア・バールトを利用して、のぉ」


 何故それを、とヨークが慌て始める様子は、まさにフォートが思い描いていた行動そのものだった。


 書類に記されていた計画に記されていた通り、フォート大神官を何らかの方法で排除し、その後の混乱を収めるという自作自演の形で『大神官』の地位を手に入れた後、ヨークは現在の聖女――フォート大神官の娘たるヒトア・ポリュートすらも手にかけようと画策していた。命を奪うと言う方法以外にも、食事に毒を含ませて外に出られない体にする、彼女の悪評をばらまき自然に聖女の地位を剥奪される流れを作る等、様々な形でヒトアを追放する方法を模索していたのである。そしてその策略が成功した暁には、ヨークの娘であるカライア・バールトを、人々から尊敬を集める地位に当たる『聖女』に君臨させよう、と企んでいたのだ。


 そして、彼女自身も父やその仲間が企てた策略に大いに賛成していた。誰もが憧れる『聖女』という立場になれば好きなものを食べ放題、皆からチヤホヤされ放題、なんでも自分の思い通りに出来る――そんな薔薇色の未来に憧れ、ライバルであるヒトアを蹴落とすための策略を積極に提案していたのである。

 そんな彼女も、結局父親その仲間たちと共に計画が露呈した事で捕まり、宗教裁判を経て重い罪を課せられたのは言うまでもない。今の彼女は、一生出られない薄暗い牢獄の中に閉じ込められているのだから。


 女神エクスティアの意志を人々に伝える『聖女』と言う地位を甘く見ていた者には当然の報いだ、とフォートはふんぞり返るかのように自信満々な口調で被告人に告げた。まるで自分の娘、ヒトア・ポリュートが『聖女』として大活躍し、人々から信頼を集めている事を自慢するかのように。


「何だと……そもそもフォート、自分の娘を『聖女』にするなど、私物化も……!」


「それは貴殿も同じではないのか?」

「自分のことを棚に上げるとは……」

「あきれ返りますなぁ」


 それに、確かにヒトアは親の七光りと言われる面もあるが、しっかり人々から尊敬を受け、得意の舞で国中に笑顔を与え続けている。ただ欲望のためだけに聖女になろうとしていたカライアとは大違いだ――四方八方から指摘を受けてしまえば、流石のヨークも反論する事は出来なかった。


 そして、しばし他の宗教幹部との間で会話を交わした後、おもむろにフォート・ポリュート大神官は立ち上がり、厳かな声で大罪人たるヨーク・バルートに罰を言い渡した。大神官および聖女暗殺未遂、エクス教転覆罪、および女神への侮辱行為により、『帰らずの森』への追放を命ずる、と。


 その言葉を聞いた瞬間、ヨークは文字通り打ちひしがれた表情に変貌した。当然だろう、『帰らずの森』への追放令は事実上の国外追放、そして『死刑』に等しいものだったのだから。

 今まで懸命に各所に媚を売り、賄賂も送り、懸命にしがみ付いていたエクス教の宗教幹部と言う地位からあっという間にどん底へ突き落された男は、何も言わないまま牢獄へと連れていかれた。彼が最後に見たものは、ざまあみろ、と言わんばかりに嬉し気な、そして『邪悪』な笑みを浮かべる、フォート・ポリュートの姿であった。



 だが、そんな彼らは知らなかった。この一方的な宗教裁判の一部始終が――。


『……ふふふ……♪』


 ――追放したはずの元・聖女候補、セイラ・アウス・シュテルベンによって全て見届けられていた事に……。

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