密室の秘密

「申し訳ありません……私としたことが、取り乱してしまうなんて……」

「気にする事はないぞ、セイラよ」


 大切な誰かのために涙を流す事ができる優しさを持っている事は、女神エクスティア様に認められる清き心の表れだ――そう言いながら、先代の大神官たるディーノは、彼が手塩にかけて清く優しく美しき女性へと育てあげたセイラを慰め、そして励ました。彼女の頬にはまだ流し続けた涙の跡が残っていたが、その顔は気持ちが落ち着いた事を示すかのような、凛々しくも美しい笑顔に変わっていた。

 そして、改めて彼女は尊敬するディーノに自分の思いを告げた。どれほど女神様に選ばれようと、貴方のような素晴らしい存在にはまだまだ及ばない、と。それは謙遜ではなく、自分の命がもう少しで終わりを迎えると宣告されようとも、それらを拒絶することなく受け入れる彼の心の広さ、豊かさ、そして深さに対する率直な思いだった。


「……全く、ワシは照れ屋だと言うに……」

「……ふふ……」


 冗談を言うディーノに笑顔で返せるほど、セイラのほうも心の余裕が戻っていた。

 そんな彼女に向けて、ディーノは改めて先程聞いた内容を反芻するように言い直した。この自分自身、ディーノ・サウリアの命が尽きた日が、コンチネンタル聖王国の滅びの合図だ、と。そして、彼はどこか感慨深そうに大きな息を吐いた。


「そうか……女神様もようやくお動きになられたか……」

「ディーノ様……」

「先程も言った通り、女神様にはそれなりの事情がおありなのだろう。ワシがこの世から消えた時、と言うタイミングも含めて、な」


 だが、出来ればもう少し早く、せめてあの心に黒い野望を秘めた男やその取り巻きのせいでセイラが苦しみ続けていたであろう時期にお救いになってほしかった――ディーノが告げた言葉を聞いたセイラは驚きの表情を見せた。長年にわたりエクス教の頂点たる大神官を勤め続けていた彼は、女神エクスティアから与えられた『思し召し』に対して、決して不平不満を口にする事は無かった。声を荒げることはあっても、それはこのコンチネンタル聖王国の未来、エクスティアを敬いその教えを人々に届けて心の支えとなると言うエクス教の根幹を揺るがすような事態を招きかねない場合ぐらいであった。そんな彼が、女神に対して自分自身の願望を、女神からの使者として降り立ったセイラに対してはっきりと告げたのだ。


「ディーノ様、それは……」

「……不思議なものでのぉ、『大神官』という身を離れてから、ワシも様々な事を考えられるようになったのじゃ……」


 勿論、女神エクスティア様を敬愛する気持ちは今も変わらないし、自分の命を彼女に捧げても構わないと考えるほど、ディーノは女神を敬い続けていた。だが、『大神官』であった頃の彼は、女神を地位にあった。それに対する疑問を表に出す事は勿論、疑問に抱く事も本来は避けるべき事であった。当然だろう、そのような事になれば国民の支えとなるエクス教そのものが揺るぎかねないのだから。しかし、そんな彼の信念、そして大神官としてあるべき姿と真逆の立場を取り続け、文字通りエクス教を私物化し続けたフォートに追放された事で、結果的に彼はその役割から解き放たれた。ディーノ・ザウリアは、重要な役職から切り離されることで自由に物事を考える事が出来るようになったのだ。

 皮肉なものじゃ、と若干申し訳なさそうな顔で語る彼を見たセイラは、その姿に自分自身を重ねていた。フォートの野望によって彼と引き離され、純白のビキニアーマーを着せられ聖女候補に任命されて以降、彼女は『聖女を目指す』事だけを目標にひたすら過酷な修行、人々からの卑猥な視線に耐え続け、その裏で何が起こっているかなど気にする余裕など全く残されていなかった。だが、散々に弄ばれた挙句『帰らずの森』へ追放されたことで、逆に彼女は誰からも縛られることなく、自分の意志で聖女を目指す選択肢を取るほどの余裕を持つことができた。何より、女神エクスティアと出会い、この国の暗部を知る事ができたのも大きかった。

 自分もディーノ様も、自分自身の立場から『解き放たれる』事を密かに心の中で求めていたのかもしれない――そう考えていた時、セイラはディーノから、1つだけ、どうしても知りたかった質問がある、と告げた。そして、彼が語りだした言葉は、更にセイラを驚かせる事となった。


「様々な古文書を読んでいるうちに、ワシはふと思ったのじゃ。女神エクスティア様は、本当に真実のみをワシらに教えてくださったのか、とな……」


 この国の歴史を記した様々な古文書の中身は、どれも一様に女神エクスティアの偉業――純白のビキニアーマーの姿を纏って戦乱の世を終わらせ、この国を造り上げた事を大きく讃えている。だが、それらを何度も読み漁る中で、若き彼は大きな『疑問』に行き当たってしまったのだ。コンチネンタル聖王国が抱える『過去』そのものに。

 大神官となる存在がそのような疑問を持つなどあり得ん話じゃろ、と冗談っぽく語る彼であったが、その時に抱いた『疑問』は決して消えることなく、彼の心の奥深くにずっと根付き続けていた事を、セイラは察していた。そして、同時にその『疑問』の中身も、女神からの使者、彼女の意志を直接知る者としておおかた予想する事ができた。


「……ディーノ様……」

「……セイラ、今からする質問によっては、ここでワシの命を奪っても構わん」

「そ、そんな……!」

「当然じゃろ、ワシが今から行うことは女神エクスティア様への冒涜になりかねんからのぉ……」


 そう告げる彼の言葉を、セイラはすぐに否定した。それは決して冒涜でも侮辱でもない、と。女神の御心をより深く知るためには、煌びやかな輝きや豪華な彩りばかりではなく、その裏にある陰の部分にも触れる必要がある。それは決して避けられず、心の中に受け入れなければならない事である。そして、ディーノ・ザウリアと言う偉大な存在は、例えその『陰』がどれほど深刻なものであろうともそれから目を反らす事無く受け止めるだけの大きく清らかな心を持つ。そのような人物を、女神様が罰するはずがない――その言葉が、どれほど仙台の大神官たる男の心を和らげたか、女神の代弁者たるセイラでも計り知れなかった。


「そうか……エクスティア様、ワシのような愚か者を許して頂けるとは……」

「勿論です、ディーノ様。女神エクスティアからの使者として、私があなたを加護致します」

「ありがたい……」


 やがて、1つ大きな咳払いをした後、彼は表情を真剣なものへと変え、傍に屈みこんだセイラの耳元へゆっくりと口元を近づけた。そして、彼は小声で、だがはっきりとした口調で、長い間ずっと抱き続けていた『疑問』――コンチネンタル聖王国、そしてエクス教事態の根幹を揺るがしかねない程の内容を、初めて他人へと打ち明けた。その内容は、セイラが予想したもの――彼女が女神エクスティア本人から授かった膨大な『知識』の中に刻まれていた情報とほぼ一致していた。改めて彼女は自分自身を育て上げてくれたディーノの偉大さや聡明さに感銘を覚えた。


「……相違ありません……」


 そして、彼女は一呼吸置き、ディーノの推測が全て当たっている事を、頷きと言葉で示した。それを認めるというのは、文字通り彼の尊厳や存在をも揺るがす事でもあったが、彼はその事態に恐れ戦くどころか、心からの嬉しさを示す満面の笑みを見せた。皺だらけの年老いた顔から覗かせたのは、まるで試験の問題が全問正解だった子供のような無邪気な表情だった。


「そうか……はは……やはりワシの考えは正しかったようじゃのぉ……!」

「ディーノ様……失礼ですが、そこまで嬉しかったのでしょうか……」

「勿論じゃ。長年抱き続けていた疑問が解決して、しかもワシの読みが見事に当たっていた。それだけでも嬉しいもんじゃよ」


 それに、もうじき自分自身はこの世界そのものの表舞台から姿を消す事になる。その事を涙ながらにはっきり告げてくれたセイラには申し訳ないが、ある程度は自分自身も察していた。だが、『察する』だけでは心の中に現れる不安や恐れを拭う事はできない。セイラが口に出してくれたことで、自分の中からそれらの気持ちが洗い流されたのだ。結局どんな立場であろうと、人間というのは正解を求める存在なのかもしれない――ディーノは自身が元来持ち合わせていた探求心が満たされた喜びを存分に示していた。そのはきはきした口調は、とてもあと数日で命が尽きる老人とは思えないものだった。


「ディーノ様……何度も言いますが、やはり私はあなたには敵いません……」

「褒めても今の老いぼれ爺は何もお礼は出んぞ、セイラよ」

「いえ、十分頂いております。貴方とこうやって語れる機会を得た事は、私にとって何よりの幸せですから……」


 そう言って口元に笑みを見せるセイラに、ディーノは1つ助言をした。この『事実』を、自分だけに留めておくのは非常に勿体ない。折角ならば、教えておくべき者にはっきり告げるのが良いだろう、と。

 それを聞いたセイラは、最初驚きで目を丸くした。女神も大きく関わるこれらの『真実』は、自分自身とディーノ、2人だけの秘密に留めておこうと考えていたからである。だが、次第に彼女はその言葉に秘められた真意、そして『皮肉』を察する事が出来た。『コンチネンタル聖王国』や『エクス教』といった既存の概念、長年に渡りこの大地に根付いていた要素にしがみつき、甘い汁を吸い続け、これらを腐らせに腐らせた者たちに、この『真実』とやらを教えたとき、果たしてどのような反応を示すだろうか――先代の大神官たるディーノが、どこか悪戯気な笑みを見せたのは、まさにその考えに基づくものであった。


 そして、2人は声を揃えて笑った。やがて訪れる滅びを想像し合いながら笑い続けた。


「ははは……全くセイラよ、お主は中々の『ワル』よのぉ……」

「いえいえ、ディーノ『大神官』こそ……ふふ……」


 互いに残り少ない事を察していた2人の時間を心に刻むかのように……。

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