第1章 その2

 翌朝、ハッシュは日の出の直後に目覚めた。

 水差しを手に取り、左手首に飲ませる。今日は目覚めが早かったため、痛みが激しくなるようなことはなかった。

 軽く身支度をして、外の空気を吸いに表へ出た。すると、裏庭で何か物音がしていることに気づき、そちらへ回り込む。

 短い金髪を朝日にきらめかせ、一人の少女が剣を振っていた。正眼の構えから一息で前へ踏み込み、兜割りの一刀に続いて返す刀で横薙ぎ、バックステップを入れて右脚を軸に一回転。残心も忘れていない。

 リーザが一人稽古をしていた。昨日の、本人の宣言通りではある。

剣士ソードユーザー》志望というのは伊達ではなく、踊るような軽やかな動きとともにショートソードが舞うのはそれなりに様になっている。仮想しているだろう見えない敵が見えるよう、というのは言いすぎだが、一朝一夕で身につく動きではないと思えた。

 ちなみに、今は昨日洗い終えた自前の服を着ているようで、白を基調とした動きやすそうな格好をしていた。確かにこれは汚れが目立ちそうだ。


「おはようございます」


 背後から声がかけられる。ナルだ。


「おはよう」

「見惚れてらしたんですか?」


 つまらなそうにナルが問う。


「筋は悪くない」


 真面目に返すハッシュに、彼女はちょっと眉根を寄せた。


「どうせ、お金持ちのお嬢様の道楽ですよ。ちょっと厳しいことを言ってあげればすぐにべそかいて帰るでしょう。そうしてあげたほうがいいですよきっと」

「キャリブレの祭りは一緒に出ると約束したからな」


 件のイベントは、四人一組で参加する必要がある。だから、ハッシュ、ナル、リーザの三人と、もう一人現地で誰かと協力しなければならない。

 二人探すのと一人探すのでは難易度が違うというのはまあわかる。だが実際のところ、リーザはこのイベントで自分の実力をアピールしたいと思っているのだろう。ねぶり猪は最大でも大人が両手を広げた程度の大きさで、新米冒険者が油断できる相手ではないが、決して一人で倒せない相手でもない。

 あわよくばここでいいところを見せ、才能あふれる弟子としてハッシュに取り入ろうという魂胆なのだ。

 ナルの中では、リーザは昔話に出てくる悪賢い魔女とオーバーラップしていていた。


「生真面目なんですから……。リーザさん、そろそろご準備お願いします!」


 稽古を続けるリーザに、ナルが呼びかけた。リーザはこちらに気づくと一礼し、とたとたと駆け寄ってくる。


「おはようございます、先生、ナルちゃん」

「なんですかその先生っていうのは」


 引きつったような顔になってナルが言う。


「教えをいただくお相手ですから、先生って呼ぶのがいいかと思って。師匠のほうがいいでしょうかね?」

「好きに呼べばいい」


 短く言ったハッシュに向き直り、リーザは笑顔を浮かべた。


「はい!」


 ナルは話は半分だとばかりに声のトーンを上げる。


「あと、わたしをちゃん付けするのはやめてください」

「ナルちゃん、わたしと同い年なんでしょ? 先生に訊いたんだけど。だったら、ちゃんでいいかなーって」


 ナルが横目でハッシュを見た。ハッシュは悪気なさそうにナルを見つめ返す。根負けしてナルのほうが視線を戻した。


「……早く出発しましょう」


 キャリブレには、その日の昼前にたどり着いた。

 ハッシュの住んでいた屋敷も同じ領地であり、言ってしまえばキャリブレの外れの外れにこれまで住んでいたというべきだろうか。買い出しの際には近くの村に顔を出していたのだが、余裕のある時には時折足を伸ばしていた都市なので、ハッシュやナルにとっても馴染みのある街ではあった。


「先生とナルちゃんは、キャリブレは詳しいんですか?」

「まあ、何度かは買い物に来たくらいです」

「わたし、先生のお屋敷にお邪魔する前にちょっと寄ったくらいなんで、あんまり街を知らないんです。よかったら一緒に――」

「ハッシュさん、食料屋さんに行ってもいいですか?」

「ああ」

「わ、わたしも! わたしも行きます!」


 長身の男と少女二人の組み合わせはなかなか目立ち、道行く人々がちらちらと視線を向けてきていた。

 ハッシュはゆったりとした外套とレザーブーツで旅装している。太めのベルトには、剣ではく、樫を削り込んだ杖が差されていた。

 そのそばで存在を精一杯主張しているリーザは、ハッシュに比べて頭ふたつ分近く背が低い。ナルも同世代と比較して大きい方ではないが、リーザはさらに小柄だ。腰に差すショートショードが長く見える。

 そしてナルは、ハッシュと同じような外套を身にまとい、巨大なを背負っていた。

 並の大きさではない。ナル自身がすっぽり入ってまだ余るだろうそれは、歩くたびにゆさゆさと揺れ、市井の人々の注目を集めていた。

 食料品店は、大路の中心にある。

 基本的には冒険者向けの保存食を販売している店で、こういったところは地方による旬や豊作不作によって品揃えが細かく変化するため、人によっては武器防具よりも先にチェックしたいという者もいる。

 陳列された商品を、目を皿のようにして確認するナル。リーザは物珍しそうにきょろきょろとあたりを見渡し、目についたものをいろいろと指差し、幼児のように「これはなんですか」とハッシュに聞いている。


「『オニグルミ入りのライ麦パン』だ。中に入っているクルミは好みが分かれるが、俺は歯ざわりがよくて好きだ」

「これは? なんですか?」

「『黒羊チーズのガレット』だ。アーモンドクリームが適度にカロリーを補給してくれる」

「先生、こっちは?」

「『サイリン烏賊のかた焼きそば』だ。保存食の割に具の瑞々しさが長く続くから、人気の商品だな」


 背後でのやりとりが気に障ったのか、ナルが目を三角にして振り返った。


「少し、静かにしていただけませんか? 集中して選びたいので」


 自分の口を手で塞いで、リーザはこくりとうなずいた。

 ハッシュはナルの方に歩み寄り、「これも買ったらどうだ」などと話しかけている。

 ナルは声の調子を普段に戻し、「ちょっと高くないですか?」と返す。


「イベント中はあまり落ち着く暇がないだろう。歩きながら食べるにはちょうどいい」

「たしかに、そうですけど」

「優勝すれば二千ゴルドだ。問題ない」 


 その言葉に、ナルは苦笑した。


「アスタさんみたいですね。その台詞」

「あとから数倍になって返ってくるなら、それは無駄遣いじゃない。先行投資だ」


 続けたハッシュの言葉に、ナルは今度こそ笑顔になってうなずいた。


「すみません、『発酵鱒のパニーノ』を六つください」


 店主がパンで魚の切り身と野菜を挟んだサンドイッチを包んでくれた。

 背後でおとなしくしていたリーザが好奇心に負けて、遠慮がちに覗き込むようにナルの隣に立った。


「わ、おいしそう……」

「この時期しか捕れないカブキマスを発酵させて、玉ねぎやパプリカといっしょに挟んで食べるんです。パンの塩気がちょうどよくて、とっても美味しいんですよ」


 ナルが、どこか自分のことを自慢するように言った。


「ナルちゃん、物知りなんだねぇ」


 感心したようにため息をつくリーザ。ナルはハッとしたように取り繕う。


「べ、べつに、大した知識じゃないです。冒険者なら誰でも知ってる基本的なことです。ほら、買い物もできたし、今日の宿を取りましょう」


 そう言って、さっさと店の出入り口に行ってしまう。

 しかし巨大なリュックが引っかかってナルはつんのめった。


「……大丈夫?」 

「大丈夫です!」


 耳を赤くして、ナルはリーザの声を振り払うように、通りへと出ていった。

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