第3章 その2
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リーザが右の短剣を突き出し、ハッシュは半身で避ける。同時に杖で足払いをかけ、勢いを利用してリーザのバランスを崩させる。前転したリーザは左手を地面について転倒を回避し、そのまま回転するように踵でハッシュの顎を狙った。
蹴りは一歩のけぞったことで避けられたが、再び両足で地面を踏みしめると、地を這う姿勢のまま飛びつくように足首を襲った。
しかしいつの間にかそのルート上に杖が突き立てられていて、リーザの頭にまともにぶつかった。
「へぶっ」
怯んだ隙にハッシュのつま先がリーザの右手を捉え、短剣は虚しく地面に落ちる。そのまま足で背中を踏みつけられるかと思われたところで、左手に隠し持っていたスティレットが閃いた。
ギリギリで足を持ち上げたハッシュに追撃の突き、腿の外を掠めた刃は、左腕で挟み込まれて動きが封じられた。
「あ」
杖を捨てたハッシュの右の掌底。思い切り後ろに退いてリーザは勢いを殺したが、胸に入った衝撃は彼女を仰向けに転倒させた。
慌てて立ち上がろうとした彼女の鼻先に、拳が突きつけられた。勝負ありである。
拳を収め、ハッシュはリーザが立ち上がるのに手を貸す。
「ありがとうございました!」
元気よく最敬礼し、こちらへとたとた走ってくるリーザ。
「おはようナルちゃん!」
「おはようございます」
ナルは花壇のレンガに腰掛けたまま、挨拶を返した。
すっかりハッシュもリーザの手合わせに付き合うのが日課になっている。こうなるのは目に見えていたことだが。
「あ、ブルーベルさんも、おはようございます」
リーザが目線を移して誰かに挨拶した。ナルもそれにつられて、後ろを振り向く。
そこには、いつの間にか妙齢の女性が立っていた。
「おはよう、リーザちゃん、ナルちゃん。すごいわねぇ、あんなに動いて。私、見ててハラハラしちゃったもの。冒険者さんって、あんなに激しい訓練してるのねぇ」
「真剣で稽古してる人はそんなにいませんけどね……」
「わたしはまだまだ未熟ですけど、先生がいるから大丈夫です! 今日には到着しますからね!」
胸をそらして自信満々なリーザの背後に、ハッシュが立った。
「おはようございます。食事をとったら、早めに出発しましょう。昼過ぎにはケイルヴィーネに着けると思います」
貴重なハッシュの敬語というものを初めて聞いた時、リーザは目を丸くしたものだ。が、さすがに今は慣れてしまったのかうんうんと頷いている。
「お願いしますね、ハッシュさん。やっぱり旅慣れてる人といっしょだと、はかどるわぁ」
「先生は最近ずっと引きこもりだったらしいですけど……あいたっ」
余計なことを口にするリーザの頭をナルがはたいた。
上品に口を押さえて微笑するブルーベル。
彼女が、今回の依頼人だった。
路銀が尽きそうだということをナルが宣言したのが二日前。フーザでいろいろと買い物したのに加え、白燈石に二二〇〇ゴルド費やしたのが効いて、
金がなければ依頼で稼ぐのが冒険者である。そして旅の途中であることを鑑みると、最も時間効率がいいのは、同じ旅人の護衛任務となる。
目的地であるタックベル方面に向かう護衛依頼を探してみると、幸運なことに、一人の女性がケイルヴィーネまで行きたいという。タックベルから半日ほどの街だ。
渡りに船でコンタクトを取ると、快く護衛を依頼してくれた。そして途中で宿を取り、もう一息で目的地という状況である。
朝食を済ませ、一行はケイルヴィーネへの旅路を再開した。
森を切り開いた道は、一応馬車の轍ができているが、あまり歩きやすいとは言いがたい。ブルーベルが躓かないように、リーザが気遣いながら歩いている。
春の風が梢を揺らし、さわさわとした音が降ってくる中、ブルーベルは小さくハミングをしていた。
隣を歩くリーザも、身体を揺らしてリズムを楽しんでいる。
前を歩くハッシュも、殿のナルも、その音楽を聴いていた。森の中の行進にふさわしい、ポップで足取りが軽くなるような曲だった。
ハミングがやんで、リーザはにへっと笑顔を作った。
「ブルーベルさん、昨日聞いたけど、笛吹きさんなんですよね? 自分で曲を作ったりもするんですか?」
「そうねぇ。基本的には誰かの作った曲を演奏するのが仕事なの。でも、ときどき自分の考えた音楽を吹いてみたりもするわ。今のは、即興で歌ってみた曲」
「わ、すごい。やっぱりこういう自然の中って、創作意欲、湧いちゃったりするんですか?」
「あんまりそういうのはないわねぇ。街を歩いてる時でも、お買い物してる時でも、曲を思いつく時は思いつくから。なんていうのか、神様が歌った音が、たまたま私の上に落ちてくる感じ」
「すごい! 天才っぽい!」
「すごく頭悪そうな感想ですよ」
背後からのナルの茶々は聞こえなかったようにリーザが続ける。
「ケイルヴィーネって、ブルーベルさんが生まれた街なんですよね? 音楽が盛んなんですか?」
「そうでもないかなー。機織り物が産業の主力で、みんなあんまり芸術―みたいなのには興味ないかも。私がフルートに触ったのも、たまたま行商人の人が父に贈り物として持ってきてくれたからだし」
「……お父さんが」
「うん。地元ではちょっと有名なお店をやってて。その関係で、ときどき珍しい品を送ってくれる人がいたの。その中の笛を、私がたまたま吹いて、いつの間にかこうなってたわけ」
「運命的ですね。それがなかったら、ブルーベルさんも、有名な奏者にならなかったかもしれないんですね」
ナルがどこか感じ入ったように言った。
「運命かぁ。そうかもね」
「きっかけがなんであれ、奏者として成功したのは、あなたの意志の力もあったでしょう。それは誇れることです」
先頭のハッシュが歩きながら振り返った。
「ご立派になった姿を見て、父上も喜ばれるでしょう」
「そ、そうでしょうか……」
照れたように頭を掻くブルーベル。リーザとナルが注目しているのに気づいて、ちょっと顔を赤くした。
「故郷にはずっと帰っていませんでしたから……。旅の楽団に混ぜてもらって、街から街で……。正直なところ、どんな感じで父に会ったらいいのか、あんまり思いつかないんですよ。お恥ずかしい……」
「……大丈夫ですよ。きっと、すぐブルーベルさんのことわかってくれます。お手紙も、出してたんでしょう?」
ナルが元気づけるように言った。
「ええ、まあ……。あ、なんか緊張してきた。わー。どうしよぉ」
「先生」
和やかな空気を、リーザの声が吹き払った。
「何かいます。大勢。木立に隠れて、前方の左右に」
「ブルーベルさん、ナルのそばにいてください」
ハッシュが足を止めて言った。普段どおりの、感情の出ない目だった。
「え? ええ? もしかして、盗賊とかですか?」
「可能性は高いです」
場所は木々に囲まれ見通しの悪い道路。地面は凹凸が多く、逃げるのには苦労しそうだ。襲撃をかけるには、悪くないシチュエーションだった。
少しの間、沈黙が落ちた。そしてだしぬけに、森の中から何かが飛来してくる。
一本の矢が、ハッシュ目がけて飛んできた。
それを杖の一振りで叩き落とすや、森の左右から男たちがわらわらと出現し、こちらへ襲いかかってくる。道の先、十メートルほどの距離だった。
本来は、もう少し引きつけてから左右の挟み撃ちにするはずだったのだろうが、こちらが途中で足を止めたため、しかたなく前方からの襲撃に切り替えたのだろう。
右に三人、左に四人。手に持っているのは剣や槍、鎌などという者もいる。
「右のほうはおまえが止めろ、リーザ」
「は、はい!」
振り返らずに言い放ち、ハッシュは男たちのただ中に飛び込んだ。
先頭の一人を迎え撃つと見せかけて、突進を躱しつつその右の男へ打擲。眉間を打たれた男はもんどり打って転がり、動かなくなる。目の端でリーザが会敵したのを確認。相手の男の手首を裂いて武器を取り落とさせている。
自分の背後では、先頭だった男が怒りを
同時に、左前方の男が槍を突き込んでくる。左手をそっと沿わせて軌道を変え、その間に彼我の距離を詰めていく。が、横合いからロングソードの男が上段斬りを仕掛けてきたため、やむなく急停止、槍ではなくそちらの男へ杖を振るう。
男は剣の柄で杖を受け止めると、流れるように横薙ぎの斬撃を見舞ってくる。バックステップで躱すが、外套の端が切り裂かれる。こいつは動きがいい。冒険者崩れかもしれない。
腰の後ろに隠していた左手から伸ばした茨を、男の手元に突き入れる。男は瞠目しながらも、剣で払い、防御する。
逸らされた茨は、リーザと戦闘中の、蛮刀を持った男の膝を叩いた。悶絶してその場にくず折れるのを見届けず、ハッシュは杖を長く持ち、横薙ぎに振るった。ロングソードの男はのけぞって躱したが、目測を見誤ったか、杖の先端が顎を掠めた。間合いの読みにくさは杖術の強みである。
しかし追撃を許さないとばかりに、槍の男が再び突きを入れてきた。
その槍を躱し、ロングソードの反撃を杖で逸らし、互いに距離が生まれた時、相手がそれに気づいた。
槍使いの槍に、茨が絡みついていた。
茨が波うって力がこもり、槍の柄が跳ね上がった。使い手の男の顎がまともに打たれ、脳を揺らして昏倒させる。
そのまま奪った槍を振るい、ロングソードの男を追い詰める。擬似的な一対二のような形となったことで、相手は素早く退いた。それを逃さず、茨が槍を投擲し、見事に男のふくらはぎを抉った。
これで四人。リーザのほうは、森から飛来した矢を短剣で弾いたところだった。
二人が倒れているが、残りの一人はだいぶ粘っている。マフラーを口元に巻いた短剣使いという、リーザと似たスタイルの人間だった。リーザの連撃をうまく弾き、体格差を活かして時折蹴りを入れたりしている。いや、何かがおかしい。よく見れば、リーザの握った短剣には薄く霜が張っている。
茨を男に向けて伸ばした。それに気づいた相手は、短剣を茨に向けて防御したが、攻撃の余波でマフラーを引き裂かれた。一方、刃を受けた茨は、氷が張って力を失い地面に落ちた。
『
ここで逃がすつもりはない。追撃しようとしたハッシュを、背後からの叫びが止めた。
「ハッシュさん、待ってください!」
思わず足が止まった隙に、男は森の中に逃げ込んだ。いつの間にか矢も飛んでこなくなっている。
逃げられたらしい。
ひとつため息をつき、リーザの様子を確認した。怪我はないが、右手が短剣の柄に貼りついている。『
「手を出せ」
「へ?」
リーザの右手を取ると、ハッシュは自分の外套を開き、胸に押し当てた。その上から両手をかぶせ、体温で温めようとしている。
「せ、先生……ちょっと恥ずかしいです……」
それを無視し、ハッシュはブルーベルに向き直った。
「ブルーベルさん、なぜ止めたんですか」
「あ……すみません、そのぉ……。さっきの人の顔、私の知り合いに見えて……」
「……知り合い」
「はい。……その、ケイルヴィーネに暮らしていた時の、幼馴染と、よく似ていたんです。六つの頃から、仲良くしていて……。八年前に故郷を出る時、ほとんど同じ時期に冒険者になるために街を出たんですけど……」
「……そうですか」
「とりあえず、もう手は離していいんじゃないですか」
イラッとしたようにナルがブルーベルの隣に並んだ。
「そうだな」
胸元からリーザの手を離して、「指は外せるか」と訊くハッシュ。
「ちょっと難しいです。手が強張って……」
リーザの指を一本一本丁寧に外していくハッシュを押しのけて、ナルが短剣を一気に引き剥がした。
「ぎゃっ! ナルちゃん、手の皮が剥がれちゃうよ……」
抗議を無視して、ナルはブルーベルに話しかける。
「ブルーベルさんの幼馴染が盗賊の中にいたとして、どうするんですか? 確かめようにも、逃げちゃいましたけど」
「……できれば、ちゃんと話したいです。悪いことできるような人じゃなかったし……。もちろん、みなさんにご無理は言えないですけど……」
「八年前に街を出たって、その当時は一五歳くらいですか? それだけ時間が経ってれば、人の心も変わりますよ。説得とかしても無理じゃないですかね」
「今日のナルちゃんちょっとドライ……」
ハッシュが口を挟む。
「依頼はケイルヴィーネまでの護衛です。しかし、さっきの男を追跡しろというのなら、可能です」
「本当ですか?」
「ナル」
呼ばれたナルは、露骨に渋い顔をしながらも、リュックサックから大きめの香炉を取り出した。
「この『旋誘香』を使えば、あの男を探し出すことができます」
「ただし人探しの時に使う葉っぱは一二〇〇ゴルドしますけど」
「えっ」
「追加料金、必要経費と手間賃含めて一三〇〇ゴルド、いただきますけど」
「……構いません。お願いします」
少し躊躇いがあった気がしたが、ブルーベルはしっかりとうなずいた。
「わかりました。ただ、追跡する前に、こいつらを片付けておかなければ。ナル」
「はい」
ハッシュが辺りに転がる盗賊どもを見下ろした。全員気絶するか悶絶しているが、ちゃんと息がある。
「こ、殺しちゃうんですか?」
「近隣の騎士団に任せます。ただ、直接送り届けていたら時間が足りないし、危険も大きい」
「ハッシュさん、全員起こしました」
気絶していた盗賊に活を入れたり、水をぶっかけたりして目を覚まさせたナル。それと入れ替わりに、ハッシュが盗賊の前に立った。
その左手から茨が自分たちを囲むように成長していることに気づき、盗賊たちは震え上がった。逃げ出そうとする者もいたが、ナルが両手で引っ掴んで数メートル投げ飛ばすと、自発的に全員身じろぎすら遠慮するようになった。
「離れていろ」
茨のあちこちから、黄色い花が咲いた。その花弁の隙間から花粉が生じ、盗賊たちの周囲に漂う。
「あれ、なんなのナルちゃん」
「ドリアードの『
「魅了って……え? じゃあ今洗脳してるの?」
「人聞きが悪いです。ただちょっとボーッとして人の言うことを素直に聞きやすくなってるだけです」
「やっぱり洗脳……」
「みなさん、聞いてください!」
ナルは地べたに座り込む盗賊たちに、堂々たる態度で命令を下した。
「みなさんはこの森で無辜の旅人を襲う盗賊です! 悪い人です! ですので、ここから一番近い騎士団に出頭してください! 元気な人は、怪我をしている人を助けて無事で到着できるようにがんばってください!」
盗賊どもは、野太いが魂の抜けた声で返事をする。そしてある者は槍を杖にし、ある者は怪我人に肩を貸し、整然と道をフーザ方面へと戻っていった。昨晩宿をとった村の騎士団に捕まりに行くのだろう。
「ハッシュさんはこっちです! 杖をその人たちに貸さないでください! 大事ですそれ!」
虚ろな目で盗賊についていこうとしていたハッシュを、ナルがしがみついて止めた。
「なんで先生まで洗脳されてるの⁉」
「花粉の飛散範囲的に、どうしても自分自身も効果がかかっちゃうんですよ。さ、ハッシュさん。そこのマフラーの切れ端を取ってくださいね」
「はい」
ナルに忠実に従うハッシュというものを見て、リーザが自分の肩を抱いた。
「いい子です。じゃあこれを香炉に入れますからね。……あっちですか。ブルーベルさん、森の中になりますけど、注意して追いかけましょう」
「はい」
「ねえ、ナルちゃん」
ハッシュと連れ立って森に分け入ろうとしたナルに、リーザが後ろから声をかける。
「なんですか」
「先生に、『自分に
「…………まあ、そうなんですけど」
不承不承といった調子で、ナルは言われたとおりに命令をした。正気に戻ったハッシュが、頭を振りながらナルを見る。
「ん……終わったか。連中はもう行ったようだな。問題なかったか?」
「はい。まったく」
「そうかな……」
しばらくあの状況を堪能したかったのではないかと邪推するが、そこまでは口に出さず、リーザはブルーベルの手を引いて森に入っていった。
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