第3章 その1

 亡霊ファントムが聖水を浴びてもなお消滅しなかったことで、アスタは「おお、まだ生きてる」と感心した声を上げた。

「最初から死んでるって」と、お決まりの返しをしたのは、スノードロップが呼んだ知り合いの死霊術師ネクロマンサーだ。

 その指には、白い宝石の埋まった指輪が嵌められている。

 ナルがもう一度聖水を浴びせたことで、今度こそ亡霊ファントムは怨嗟の声とともに蒸発した。


死霊術ネクロマンサーでも、効果があるってことだね」


 楽しそうに言ったのは、スノードロップだ。

 彼女が発明したという、白い宝石の試験をしようと言ったのは、今朝のことだ。何事かと首を傾げる一同に、「これは冒険者の力を増幅するアイテムだ」とスノードロップは宣言した。


 あまりの胡散臭さにナルは顔をしかめたが、頭の中では少し興味を惹かれていた。スノードロップは性格が破綻しているが、天才であるということに疑いはない。短い付き合いでも、そのくらいのことは理解していた。

 パーティの面々も、『また始まった』と言わんばかりの表情だったが、どこか期待するような雰囲気があったことは、ナルの勘違いではないだろう。


「今日予定していた依頼はどうするんだ」と、ハッシュがごく当然の疑問を口にしたが、スノードロップは言下に「キャンセルだよ」と切って捨てた。

「知り合いの冒険者も呼んでて、時間が合うのが今日しかなかったんだ。大丈夫、これが使い物になれば、夢の左うちわ生活だから」


 彼女が呼んだというのが、《死霊術師ネクロマンサー》と《召喚士サモナー》だった。指輪を嵌めた状態でそれぞれのスキルを使ってもらえば、レベルアップした効力を得られるはずだという。

 百聞は一見にしかずということで、まず召喚士サモナーが試してみることになった。彼女は鳥類と特に親和性が高く、普段であれば、《覇穹鷹ブラストホーク》レベルまで召喚できる。

それ以上ということなら《グリフォン》あたりだろうということで、スノードロップがまるで近所の猫を餌付けしてくれとでもいうように軽く頼んだ。


「じゃあちょっと喚んでみて」


召喚士サモナーは横目でスノードロップを睨めつけていたが、気を取り直して呪文を詠唱する。

 そして召喚されたのは、見事な体格のグリフォンだった。

 グリフォンは召喚者に頭を寄せ、羽を閉じて服従の姿勢をとった。見事に使役できている。


「わぁ……」


 喜ぶ召喚士サモナーがグリフォンの顎を撫でているのを、ナルはちょっと羨ましそうに見ていた。

 そして死霊術師ネクロマンサーが召喚した亡霊ファントムも、聖水に対する抵抗力を得ていることを確認し、魔術師ウィザードのアスタの出番となった。

 ここまでくると、アスタも子供のようにワクワクを隠さず、『火礫フレアビット』が遥かに大きな火球を生じているのを見ると、無邪気に手を叩いて喜んでいた。調子に乗ってどんどん呪文を唱え、空に向かって攻撃魔法の花を咲かせている。


 それを尻目に、スノードロップは召喚士サモナー死霊術師ネクロマンサーと意見を交わしている。いわく、錬金術を応用して、合成魔法を作れないか。術式を呪符のようにして、遅延魔法を作れないか。たとえば、特定の行動や術者の状態をトリガーにして、致命傷を負った時に自動的に『再生術オーバーヒール』が発動するようにするとか。宝石を使えば、新たな魔法の枠組みが生まれるかもしれない。


 三人とも、夢中になって喧々諤々の議論を続けていた。


「ああいうところが、天才の理由なんでしょうか……」


 そばに立っているハッシュに、何気なく話しかけた。

 スノードロップはあくまで錬金術士アルケミストではあるが、死霊術師ネクロマンサー魔術師ウィザードのギルドに行ってそれらのスキルをかじったこともある。本人が言うには、幅広い知見を得ておけば、それがたとえ浅いと思われるようなレベルでも、いつかどこかで役に立つことがあるということらしい。不器用な自分にはとても考えられないと、ナルは思う。


「スノーは興味のあることには寝食を忘れられるし、どんな相手でも臆せず知識を得ようとする。そういうところが、天才といえるなら、そうかもしれない」

「普通は、寝てる人を叩き起こして実験道具を探させたりしないですよ……。スノーさん、最近調子に乗ってわたしの荷物どんどん増やすんですから……」


 ハッシュが神妙な顔になって、少し考え、ナルの頭を撫でた。


「そんなのじゃごまかされませんから……」


 そうは言いつつ、髪に触れる大きな手の感触を、目をつぶって堪能していた。

 その時、轟音が起こった。

 その場の全員がそちらを見た。

 魔法を空に向けて放っていたはずのアスタが、なぜか火だるまになって転がっている。そばにいるライラクルスも、治療をしようにも近づけずにいた。


 ハッシュと狩人ハンターのリリィが風のように駆けつけ、外套をかぶせて叩いてなんとか火を消した。すぐさまライラクルスが再生術オーバーヒールを唱え、アスタの火傷を全快させる。


「どうなってんだスノーコラ‼」

 開口一番に、アスタはスノードロップを面罵し、胸ぐらを掴んだ。焼け死にかけたのだから当然だろう。


「それはこっちの台詞だよアスタ。君ともあろうものが、呪文の制御をミスったのか? それとも、服を涼しげにしたかったのかい? まだまだ夜は冷える時期だよ」

「俺が呪文をミスるわけねぇだろが。どう考えてもおまえのこの石っころが原因じゃねぇか」

「まあ、そうだよねー……」


 気を取り直したように、スノードロップが言う。


「じゃあ、今度はもっとよく見ておくから、もう一度呪文を連発してくれない? 何回目で暴発するかも確認したいし」

「おまえな……」


 むしろ呆れで毒気が抜かれたように、アスタはスノードロップから離れて頭を抱えた。リリィが肩に手を置いて慰めている。


「駄目? しょうがないなぁ。ねえ、もう一回協力――」

「あ、この石返すわ」

「私も」


 協力者に向き直った瞬間、死霊術師ネクロマンサー召喚士サモナーは指輪を突き返した。さもありなん。


「えー……うーん……ねぇハッシュ。これ、《剣士ソードユーザー》とか身体技能のスキルにもいい影響を与えるはずなんだ。ちょっと試して……」

「やめてください!」


 ハッシュにまで悪魔の囁きを仕掛けるリーダーに、ナルは全力で抗った。

 子供を守る親猫のようにハッシュの前に立ちはだかるナルに、さすがにスノードロップも負けた。


「わかったよ……じゃあまた今度……」

「未来永劫ダメです!」


 噛みつきそうなナルの叫びは、スノードロップの耳を素通りしているのだろうと、その場の誰もが思っていた。




「で、結局その石っころは欠陥品ってことかよ」


 その日の夜、酒場で食事をしている時に、アスタがスノードロップに悪態をついた。


「欠陥品とは失礼だね。ちゃんと呪文の効果は増幅されてたじゃないか」

「それで自爆してたら意味ねぇだろが! 命がいくつあっても足らんわ!」

「暴発のきっかけも、よくわからないのよね?」


 ライラクルスが話に入った。最もアスタのそばで観察していたはずだが、特に変わったことはなく、普段どおりの様子だったらしい。


「まあ、強いて言えば呪文の構成がなんか違ったような気がしたけど……あたしの専門じゃないからね。攻撃呪文の細部まではわかんないわ」

「だから呪文は完璧だっつーの!」

「でもその石、実際どうなってんの? 魔法のレベルは確かに上がってたし、やってることは劣化賢者の石くらいあるわよね?」


「ふふふ。これはね、装着者の脳に秘められた機能を引き出す力があるんだ。みんな聞いたことあるだろ? 人の脳は、本来の能力の十分の一しか使われていない。それをもっと有効に活用すれば、魔法を強化するくらい朝飯前だよ」

「うさんくさ……」

「なんだよ! みんなちゃんと見たろ? 効果は間違いないんだよ! がんばって作ったんだぞ!」

「まあ、ねー……」


「どっちみち使えねーよそんな危険物。捨てとけ捨てとけ」

「えーもったいないー。ねぇハッシュ。捨てる前にこれ、つけてみてよ」

「な、なに言ってるんです!」


 矛先が突然ハッシュに向いたことで、ナルは慌てて立ち上がった。


「私らみたいな頭脳労働組だけじゃなくて、肉体労働組にも試してほしくてさー。あれ? さっきもこのやり取りしたっけ?」

「しました! ダメです!」

「まあちょっとだけ。先っぽだけでいいから」

「っ、なんですかそれ!」


 ハッシュはスノードロップが差し出している指輪をつまみ取ると、自分の左手人差し指に嵌めた。


「あっ」


 ハッシュはしげしげと指輪を眺めると、自分のスープをスプーンで掬って口に運んだ。


「……前よりうまい」

「マジ?」

「ほんと?」


 アスタとライラクルスが、身を乗り出してきた。

 隣に座っていたリリィが、ハッシュから指輪を取り上げて、自分で装着した。目の前のステーキを一切れ口に入れ、もぐもぐと咀嚼、嚥下し、親指を立てた。

 かわるがわるアスタもライラクルスも同じように試してみて、軽く目を見開いている。


「……確かに」

「悪くねぇな」

「脳機能の開放っていうのも、こんな形なら歓迎かもね」

「まあまあの発明したじゃねぇかスノー」


 スノードロップは顎に手を当てて、真面目くさって考え込んでいた。


「思わぬ副作用だね。味覚の拡張……いや、この場合は、脳の受容範囲が広がったのか……?」

「とにかく、もう指輪は没収です! 没収!」


 アスタが嵌めたままだった指輪を無理やり奪い取り、ナルはスノードロップに傲然と手を出した。


「えぇ……」


 無言で睨めつける。


「わかったよぉ……」


 スノードロップは懐から指輪を二個取り出すと、ナルの手の上に載せた。


「これで全部ですね?」

「うん、ぜんぶぜんぶ」

「ほんとに?」

「いや、マジだよ? マジでガチにこれで全部」

「……信じましょう」


ナルはしぶしぶ矛を収め、三個の指輪をリュックサックにしまった。

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